例会日が8月25日(第4金曜日)と、いつもより遅い地蔵盆例会ということで、「皆さんこの猛暑続きで夏バテをされたのか56名という通常の例会よりだいぶ少ない出席者となりました。少数精鋭で、始めます」と信ヶ原雅文事務局長が挨拶。

 

大谷義博会長

大谷会長 開会の挨拶
東京は、涼しい雨の日が続きまして、ようやく三日ほど前から晴れ間が出た次第であります。
もともとカビだらけの人生でありましたけれども、さらにカビが多くなって、皆様から嫌われておる存在でありますが、何卒よろしくお願いします。(会場笑い)
東京では、地蔵盆という言葉はございません。東京の人はほとんど知らないですね。
それで、私も、仏教クラブにご縁を頂いてから、東京でこの地蔵盆のお話をするのですが、ぜんぜん反応がありません。
やはり京都という地は、千年の都。子供さんの頃から地蔵盆という行事は大切な行事として培われ、大人になっても、その経験が大きな意味を持ってくるのではないか、このような仏教の行事はやはり人間形成の上で欠かせないのではないかと、そう思っております。今日は、吉村会員から、貴重なお話をお聞かせ頂けるとのことで、どうぞ、よろしくお願いします。
今日は、皆さん、お暑い中ご出席いただきありがとうございました。
(※例会終了を待たず、御不幸があって九州へ行かれるとのことでした。)


吉村忠幸会員

本日は、とても貴重なこのような場を頂戴しまして感謝しております。ありがとうございます。
ここに来る時から先ほどまで緊張の連続でしたが、今は、皆さんのお顔を目の前にして、なぜか、不思議と気持ちが落ち着いています。と挨拶され、若手会員のお一人、吉村会員のお話が始まりました。日頃の皆さんのにこやかなお顔に接し、度胸が据わったような印象です。
(※と、ここまで録音データより書きお越しを始めたのですが、吉村会員より当日のスピーチ用にご用意されたデジタル原稿と資料画像が届きましたので、以下にそのまま掲載させていただきます。編集者としては、書き起こしをしなくて済むので大変楽なのです。(^^) )

 

出逢い 一期一会
お話:吉村忠幸会員

この度はこの様な貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうごさいます。
吉村忠幸と申します。
京都の一乗寺で工務店を営んでおります。
今日はメンバーズスピーチと言うことで五月にお話しをいただいた時は大変驚きましたが、自分自身なにかしら、今年は飛躍したい!変わりたい!と深く思ったこともあり、ありがたくお受けさせて頂くことにしました。
様々な面でまだまだ未熟な自分ではありますが、正直にお話しさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

『出逢い ・ 一期一会』をテーマに、話を進めさせて頂きます。
建築専門学校卒業後、建設会社に就職し大工見習いとしてスタートいたしました。
祖父は数寄屋大工の3代目、私の父も大工、私で5代目となります。
(※数寄屋造り(すきやづくり)とは、日本の建築様式の一つ。数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式をいいます。)

就職して間もない時期に、奈良の唐招提寺にある奥之院、西方院茶堂六末庵を三世代で取り掛かることになりました。
その1989年当時の写真がありますのでご覧いただきたいと思います。
(※プロジェクター操作は、吉村会員の奥様が担当です。)

 

唐招提寺奥之院西方院茶堂六末庵移築再建保存

こちらの全ての写真や文章は、唐招提寺の石田様が当時アルバムにしてくださったものです。
心あたたまる贈り物を頂戴し、貴重な資料として大切にしております。

伊藤博文公が愛用していた数寄屋造りの茶室は財閥の三井家に渡ったのち、最初の神奈川・大磯から、持ち主が代わるたびに転々とし、直近は鎌倉にあったそうです。
老朽化で廃棄されるところを引き取って、移築保存されることになりました。
解体された木材の梁や柱、部材のわからない破片を一つづつ番付を記し、試行錯誤を繰り返し、補足しながら棟が上がったと聞いております。
この当時の話しを父である大工頭は、鮮明に覚えており、熱を込めて語ってくれました。

着工時の記念撮影

土壁の下地と強度(割れを防ぐ)に竹の小舞を組んで取り付けているところです。

土壁の下地としての竹の小舞を組む

20歳頃の吉村会員

吉村会員が尊敬し憧れた祖父(右)

若き父が黒部のへぎを使って天井の網代を編んでいるところ

完成した網代天井

縁の下部分を煤竹をヒラ割した物を一枚ずつカンナで削り合わせ手のひらでこよりながら空けるキリで穴を開けて、替折釘でとめたのを覚えています。
今は電動ドリルやインパクト充電式ドライバーが支流になってきまして、バッテリーの消費とパワーが進化し、使用する場面が非常に増えてまいりました。

当時は、成り立ての大工見習いでありましたが、廻り縁と接する四隅の三角形のくる割付と治りの感覚の善し悪しを感じ取り、今に活かされありがたいと思います。

図面には記されていない丸太の太さや節の向き、質感、色合い 鴨居 敷居 建具の戸当たりの見付けのしつらい等、空間の調和を体感体得する現場でした。

祖父を尊敬し憧れ、この職業をすることになったとも言えるのではと今では思います。
その尊敬していた祖父が5年後闘病の末、他界しました。

その時期から父と折り合いがつかず、啖呵を言い放ち家を出、全く別の職業をやりだしました。
その間に結婚し、娘を授かりました。

しかし浮き沈みの激しい不安定な生活が続き、恥ずかしい事に、この時代に食べることも、ままならない状況でした。
そしてその頃、尊敬する恩師から「吉村くんは手に職業があるのだからその道に行かれてはいかがですか」言われたことをきっかけに、再び父や職人のみなさんにも頭を下げ、一から教えを請う気持ちで、叱咤激励をいただきながら再スタートさせていただきました。

多くの人との出逢いに支えられ、信頼を取り戻せるようにと無我夢中で仕事をし、御所の迎賓館建設に大工職人として携わる機会を頂けたことも、ありがたい出来事でした。

そして、父から継承して始めて亀岡で家を建てさせて頂きました。
その御宅様が偶然にも当クラブの鈴木事務次長さんのご自坊『宗堅寺』の檀家様宅でした。
2年程前、その鈴木様から突然お電話をいただき「今、実は〇〇さんの御宅にいるんやけど、此処は吉村さんが建てはったんやてなぁー」と話され大変驚き、ご縁に感謝でした。

そして翌年亀岡で仕事をする機会があり、ふと鈴木様のお寺は、このお近くだったかな?と思い訪ねました。
たまたま、ご夫婦とも居られ、突然来たにも関わらずあたたかく迎え入れていただき感謝でした。

そして、去年の年末に鈴木様からご連絡をいただき、庫裏の改修工事をさせていただくこととなりました。

宗堅寺山門

 

宗堅寺庫裏改修工事の改修前と改修後をスライド写真で観て頂きたいと思います。

宗堅寺境内

本堂と前の庫裏

本堂と新しい庫裏

以前の玄関周り→

新しい玄関周り

以前の玄関扉↓

玄関扉の1枚目は格子戸

玄関扉の2枚目は網戸

玄関扉の3枚目はすりガラス

20年ほど前に建てられた、庫裏は経年が進み外壁の損傷がひどく、雨水の侵入が気になった。御本堂との調和と機能的なくらしの快適さを大切に、改装しました。
費用面でも、色々な工夫や現状を見極めることにより、抑えることが可能になりました。

仏教クラブに入会させていただき、ご住職のみなさまにも生活があり、社会やまわりとの調和を大切に自分らしく居心地の良い暮らしのお役にたてる仕事ができればと思う今日この頃です。

 

(※実際のお話はこの原稿通りではありませんでしたが、ここで、ひとまず吉村会員のお話は終わります。)

 

さて、今日はこの場にて伝えたい事がもう一つあります。実は皆様のお席に資料(※最下部の画像アルバムにご用意しました)を置かせ頂きました。
世界14ヶ国で活躍されておられる冴木杏奈さんとの出逢い、魅力をお伝えしたいと思います。

これより先ずはDVDをご覧いただきたいと思います。本日は、東京から『冴木杏奈』さんのマネージャーの津元美紀江さんにも来て頂いてます。
映像についてのコメントを津元さんよりご紹介いただきたいと思います。

(※津元さん自身の自己紹介に続き、『冴木杏奈』さんのプロモーションビデオ(約10分)を観ながら説明がありました。※冴木杏奈さんの動画がyoutubeにたくさん有りましたので、その内のひとつをリンクしておきます。)また、10月に京都でコンサートがあるそうです。チラシは最下部の画像アルバムにあります。)

(※実は、このビデオの上映とマネージャーさんの説明(広報)が終わった時点で、例会開始より1時間が過ぎようとしていた為か、吉村会員は、このビデオの主役の冴木杏奈さんとの関わりの詳細な説明もなく、この時点でお話を終わられました。
お預かりしたスピーチ原稿には、吉村会員が、この世界中で活躍されているタンゴ歌手『冴木杏奈』さんとの関わりや、なぜ応援するのかが、記載されてありましたので、氏のお話しされたかった「一期一会」の主なる部分でもあるような気がしますので、このページでご紹介しておきます。)

約20年、冴木杏奈さんの活動をボランティアで応援をさせていただいてます。
きっかけはある講座で出逢い、冴木杏奈さんの人柄に魅力されたことでした。冴木杏奈さんのコンサート活動を通して、人とのふれあいの中で社会性を学び、自分自身の言動を客観的に見つめ直す大切な機会と時間のように感じています。

昨年の秋頃のことです。
娘が学校に行くのを嫌がり、困ったとお話ししましたところ、「吉村さん。どうか娘さんを心の中に置いてあげてください。」「どうか、娘さんが幸せでありますように?って祈ってあげてください。」と冴木杏奈さんに言っていただきました。
ふり返ってみると今日まで、仕事中心の生活をし、無我夢中に駆け抜けてきましたが、知らず知らずの間にバランスを崩していたことに反省し、それからは毎朝娘を送り出し後ろ姿を観ながら、深く祈る日々を過ごし始めました。

そして、現在は娘も一歩づつ前を向いて歩き出し、先日は京都新聞にも取り上げていただくほど元気になり、夢に向かって歩む汗と涙の日々を過ごさせていただいています。 感謝です。

何気ない一言で、人に勇気や希望を与え続け、全身全霊で歌われるその姿、歌声に魅了され冴木杏奈さんを応援し続けています。
やさしさで人を包こむ、お人柄でしょうか教育、医学 、福祉の各関係からの依頼をうけて講演活動もされてます。

色々な場面で、人との出逢いによって支えられ助けられて今日があります。
自分を変えて生きるのは簡単なことではありませんが、これからも一期一会を大切に歩みたいと思います。

本日は、みなさまの胸をおかりし、このような貴重な機会を与えて頂き、あたたかくお聴きくださいまして、本当にありがとうございました。


乾杯の発声役は、前の事務次長山路純正会員指定の代理人が引き当てられました。
山路会員のご自坊の慶昌院で寺務をされている諏訪至孝師で、「至孝というこの名前は純正和尚に付けていただきました。名付け親です。ちょっと遅れてきたら、席を決める番号札に(乾杯)と書いてあって、そんなシステムがあるとは全然知らなくて、慌てました。吉村さんのお話が緊張で右から左でした。そんな若輩者ですが、そんなことで乾杯の発生をさせていただきます。乾杯!!」

 

文責:藤野正観

Photo:藤野