9月(秋彼岸)例会


大谷会長開会の挨拶
9月はお彼岸の月ということでありまして、暑さ寒さも彼岸までという言葉があります。
秋の彼岸は、夏の暑さ(残暑)は秋分頃までには和らぎ、凌ぎやすくなるという意味がありまして、暑くもなく寒くもなく、丁度よい頃となるわけであります。
「丁度良い」といえば、私共の真宗系の寺院では、お彼岸に、この「ちょうどよい」という詩を朗読する習慣が多いようであります。
その一節に、「地獄へ行こうと極楽へ行こうと行ったところが丁度よい」「死ぬ月日さえも丁度よい」という部分があり、全て阿弥陀様にお任せという他力本願を表しておると言われ、なかなか考えさせられる心に残る詩でありまして、仏教の柱、「中道」をも表しているように思います。
今日は、加藤廣隆会員より、「 心を聴く カウンセリングとの出会い」 と題してお話していただけるとのことで、楽しみにして参りました。加藤先生、よろしくお願いします。
(※下方にこの「ちょうどよい」の詩の全文を掲載しました。後日、会長よりお手紙にてお届けいただきました。)


 

心を聴く カウンセリングとの出会い

お話:加藤 廣隆 会員

 

加藤でございます。今日はメンバ-ズスピーチをさせて頂くことになりました。
大変緊張しておりますが、どうぞよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
私共の寺は、釘抜地蔵 石像寺と申しますが、その寺で住職をしながら、臨床心理士としてカウンセリングに励んでおります。
で、お寺が何でカウンセリングを始めたのかと言いますと、この釘抜き地蔵の釘抜とは苦しみの釘を抜くというお地蔵さんということで、古くから親しまれ信仰を集めております。
それで、心に悩みを持ってお参りになられる方もけっこうお出でになるんです。
そういう方がお見えになって、お百度をお踏みになるんです。うちの寺、お百度が踏めるんです。で、このお地蔵さんの周りを巡りながら、お地蔵さんと対話をされるんですね。それで、心がスーと落ち着いて行かれる方もあるんです。
それはそうですよね。お地蔵さんとお話ができるのですから、それは、やすらぎます。当然です。納まりますし、治ります。
けれど、全部、仏さんとお話ができる人ばかりではないのです。
そういう人たちは、「住職、ちょっと話聞いて!」となるわけで、生身の人間に話を聞いて欲しいという人が世の中にけっこうおられるわけで、そういう人たちがお寺においでになります。

釘抜地蔵尊 石像寺山門

若い頃は、「住職、ちょっと話聞いて!」ということもなかったのですが、50歳を過ぎるころになると、こういった機会が多くなったのです。ちょうどその頃、「住職として人の話もそろそろ聞かなあかんのかなぁ・・・」と思っていたその頃です。今から、25年ほど前になるのですが、ワンダフルな光景に出会いました。

春でしたね・・・境内もホーカホカしている時で、幼稚園ぐらいの小さな女の子とそのお母さんが遊びに来ていました。 その子、花子ちゃんがお母ちゃんに尋ねるんです。「ねぇ、お母ちゃん、仏さんの耳ってなんであんなに大きいの?おせぇて。」と言ってるんですね。これが聞こえたんですね、僕に・・・。
「これは、おもしろい。お母さんはどんな風に応えるんやろうなぁ・・・。」と楽しみに待っていますと、ちょっと間があいたんですが、お母さんが応えました。「あのねぇ、花子ちゃん。仏さんはね、花子ちゃんのお話を黙ってふんふんそうかそうかと、しっかり聞いてあげようと思ってね、耳を大きいしたはるんやで。」このお母さんは、こうゆう風にゆうたんですよ。
「おぉ!これはすごい!良い応えやなぁ!」とその時思いました。それを聞いた花子ちゃんは「ふ~ん、そうなんや、」と言って仏さんのところへ走って行きます。そして仏さんの前に行くと何かお話しているんですね。仏さんにお話を聞いてもらったんでしょうね。話し終えた花子ちゃんはニコニコ顔でお母さんの元へ帰って来ました。
「これや!これやったらできる。僕にもできる。聞くことやったら、聞くだけやったら僕にもできると思ったんです。」
この出来事を境に、人の話を聞きだしたんです。でも、まもなく、すぐに「ふんふん、そうかぁ」と聞くことが、どれだけ難しいことか思い知らされるんです。」

地蔵堂の裏壁面にある多くの釘抜札

25年前のある日のことでした。
60代の女性の方でした。いつもお寺にお参りされている方でよく存じ上げている方でした。
その良く知っている方が、「うちの娘、閉じこもっていますねん。娘の話を聞いてもらって頂けないでしょうか?」とおっしゃったんです。
聞くだけならできるだろうと思って、「そうですか、じゃあ娘さんに来てもらってください。」とこう応えたんです。」
そうすると間もなく娘さんがお越こしになります。その娘さんが面接の部屋に入って、挨拶もそこそこに開口一番、
「住職、ちょっと聞いてください。私の母親、知ったはりますやろ? 毎日お参りさせて貰ろうてますやん。あの人、ここへ寄せてもらうときは、穏やかな顔してねぇ、にこやかな顔して来てますやろぉ・・・いかにも善人のような顔してまっしゃろう・・・。住職、だまされたらあきまへんでぇ。あれは、うそでっせ。あれは、鬼や、鬼ババァや、冷たい女ですよ・・・。」というふうに始まったんです。続いて「私はねぇ、小さい頃から抱っこしてもろたことがありませんねん。一度もないんです。ましてや、手を繋いで歩いてもろたことなど一度もありませんねん・・・。冷たい母ですよぉ・・・。私がね、閉じこもって外へ出なくなったんは、あの母のせいです。あの人のせいなんですよ。早よう、死んでくれたら良いのに・・・と最近思うようになりました。あの人と同じ空気吸いとうないし、顔も見とうないし、このごろでは、(あんた、早よ死に!)とゆうてますねん。」というような話なんです。
この人のお母さんを知ってますからね、「うんうん、そうかそうか・・・。」というふうに素直に聞けなかったんです。25年前のことです。今は聞けますよ。聞き方がありますから。
とっても、鬼とは思えないお母さん、そして自分の実の母親に「早よ死に!」という娘さん。この娘さんのお話を「ふんふん」といって聞くことは大変むずかしいことと思ったんです。聞くことだけならできると思ったのは大間違いでした。とても、仏さんのようにはいかへんなぁ・・・。と思い知ったわけです。
ですので、こんな難しいことは誰かに教えを乞わないとどないしょうもないとこう思ったのです。

地蔵堂正面

この中にどなたか、阪神タイガースファンの方お出でになりますか?
そのタイガースファンがね、広島カープの大ファンの人に出会ってね、「阪神タイガースってなに?あれ、だいじな時にすぐ負けよるね。監督、何してるのぉ!それに比べて、広島は立派やねぇ。」と言われたら、にこにこ笑って「ほんまやなぁ」と聞いてられますやろか。阪神タイガースの話ですらそうですから、友達の悪口ボロクソに言われたら、聞いてられますか? まず、聞けないと思います。
ましてや、家族の悪口やったら、やはり聞いてられません。昔やったら、「お前のかあちゃんでべそ!」とゆうたら、これで、お終い(しまい)です。(会場笑い)言われた相手は怒ります。
ということで、「そうかそうか」とて聞くだけということは大変むずかしことと思い知り、教えを乞う為に先生を探しました。
そうすると、すぐに良いご縁が見つかり、素晴らしいお師匠さんに巡り合うことができました。

ここからカウンセラーとしての修行が始まったのです。お寺にカウンセリングルームを開きながらの修行でした。
カウンセラーというのは、やはり、クライエント(※心理療法を受ける人)の想いを聞けるかどうかなんですね。ここでも聞かないといけないんですね。「あぁ、聞いてもろた」といかなぁ、あかんわけです。ですので、まずクライエントの想いを聞きます。心を聞くということには、訓練が必要なんです。その訓練の中で特に必要なのが、『素直に聞く』ということなんです。
素直に聞くということはどういうことかと言いますとね、素直とは、『自分の想いに囚われないで相手の想いを聞くこと』なんです。

ここで、実際にあったような形でご紹介したいと思います。
登場人物は二人です。太郎君という小学生とそのお母さんです。太郎君が学校から帰ってきます。「お母ちゃん、お母ちゃん、ちょっと聞いて!聞いてえなぁ、」「何やなぁ、帰る早々」とお母さん。「聞いて欲しいんや、聞いて!」「うん、何やぁ?どないしたんえ?」「お母ちゃん、あのな、うちの学校の先生、皆、阿保やねん。み~んな阿保やねん。」「そうなんや、太郎の学校の先生は皆、阿保なんやぁ」「そら、そやで、全くの阿保やで、校長先生阿保やろ、教頭先生も阿保やろ、それに担任の先生も、ほんで、隣の先生が一番阿保やねん。み~んな、阿保!!」「へ~ぇ、学校の先生、みんな阿保なん、そおぅなん・・・。」「そうやで、阿保やぁ。どうにもならん阿保やねん。お母ちゃんもそう思うか? おかあちゃんも、そう思う?」「うん、そう思う。」「お母ちゃん、なんでそう思うの?」と太郎君。「太郎がそう思てるからやん。太郎にとったら皆、阿保なんやろ、そやから間違いがないやんかぁ!」「そやな、そやから皆、阿保やねん・・・阿保や・・・阿保なんやけどな、僕の担任だけはちょっとだけましなんやで・・・それでな、教頭先生もちょっとだけましやねん・・・、校長先生も、ま、ましか。」「ふ~ん、そうかぁ。」「お母ちゃん、もうええは!すっとしたワァ。遊びに行ってくるワ」と、太郎君は遊びに行きました。

このお母さんは、これ、素直に聞いたんです。太郎君は、きっと学校で嫌なことがあったんでしょう。その対応がね、隣の先生が一番ヘタやったんですね。教頭はちょっとまし、校長はもうちょっとましで、担任はかなり増しやったようです。学校で嫌なことがあった太郎君は、お母さんに聞いてもらうことで、苛立ちが収まったんですね。お母さんが、太郎君が話し出した瞬間に、何か辛いことがあったんやなぁと察知して、素直に聞いてあげようと思ったんですね。吸い取るように聞いたんですね。吸い取られてしまうと、太郎君は自分で自分を収めることができ、ちょっとましな奴、かなりましな奴が居たなと、言えるようになります。で、すっきりしてまた学校へ行けるようになったのですが、このお母さんは、子供の言っていることを否定することなく肯定的に受け取り、我が子を信じて素直に聞いていましたね。信頼関係なんですね。なかなかのものでした。これがカウンセラーの聞き方なんです。

それでは、逆にヘタなお母ちゃんだったらどうなるか、ちょっとやってみたいと思います。
「お母ちゃん、お母ちゃん、ちょっと聞いて!聞いてえなぁ、」「お母ちゃん、あのな、うちの学校の先生、皆、阿保やねん。み~んな阿保やねん。」「えぇ!あんた、いったい何言ってるの!?学校の先生は阿保ではなれへんえ。」「そんなことない!そやけどみんな阿保なんや!」「まぁ、そんなことゆうて・・・。校長先生はオックスフォード出たはるし、あんたの担任はハーバード大学やんかぁ、凄い人なんやで。」「そんなん、関係ないねん。阿保や!」「そんなこと言ったらあかん。」「そんでも、阿保は阿保や!!」「そんなことを言うものではありません!!」「もうええわ!お母ちゃんも僕のこと何もきいてくれへんやんか!阿保や!大嫌いや!」と言って、自分の部屋に引っ込んでしまったんですね・・・。

この違いは、すごく大きいのです。素直に聞くというのは、自分の思いに囚われないと、先ほど申し上げましたが、つまり、学校の先生は阿保やないんです。阿保では学校の先生は務まりません。確かにそうです。
それが、お母さんの認識、思いなんですね。
子供は、学校で何かがあったから、その子の思いで、語っています。だから、「素直」というのは、自分に素直になるということではなく、話す相手に対して素直に聞くという、同じ「素直」でもこの区別が大切なんですね。カウンセラーはこの区別をする訓練を徹底的にします。この訓練をしますと、自分の考えや思いは自分の胸に仕舞っておけるようになります。相手が質問を求めるまで言わない。そういったことができるようになります。
素直に聞くということと、素直に話すということとは全くその意味が違うんですね。

だいたいはですね、悪口は精神の浄化作業です。心理学的に言ったら、悪口を言うことによって、私たちは「悪くならない」で済んでいるんですね。
悪口を言うのは良くないと、止めてしまいますと、その悪口は心の中で腐って爆発します。悪口をまったく言わないのは、仏様ぐらいのものです。人間である以上、どこかそんなところがあるんですね。それをカウンセラーは聞き倒すわけなんです。そして、その悪口を吸い取るんです。悪口を煩惱と表現するなら、それを吸い取るお手伝いをするんです。
その悪口を吸い取ってあげると、その人の中にもともと、自分を癒す力があって、それが前に出てきます。自分で自分を癒す力、これを心理学的に言いますと「自己治癒力」と言います。
自己を癒し、直す力、これは誰にでもあると私たちは信じています。だから私たちカウンセラーは相手の自己治癒力を期待して素直に聞こうとするわけです。

だいたい、全ての悩み、どんな悩みもそうなんですけども・・・、
どなたも悩みを持って僕のところへお越しになります。
「拒食症です。40Kgを切りました・・・。」というような人がお越しになります。
「私の子供、学校へ行かへんようになり、もう半年になりました・・・。」といったお母さんもお越しになります。
「強迫神経症やと言われました・・・。」というように、心に傷を持っている方も病気を持ってる方もいろんな方がお越しになります。
けれども、カウンセラーは、全ての悩みの解決や解消や収まり、またその方法の答えはクライエント、その人の心の内にある。その人が持っていると、信じています。つまり、自己治癒力を信じているんです。だから聞くんです。

それでは、「素直に聞く」ということは、どこで聞くんや?ということになりますが、「耳で聞くんや!」それは分かってるんですが、(会場笑い)そういう話ではなくて、「どこで聞くのか?」 つまり、「頭で聞くのか?」「心で聞くのか?」「魂で聞くのか?」ということなんです。
人間が「聞く」という事にはこのように三つの種類、手段があります。
「すみませ~ん、郵便局はどこにありますか?」「あぁ、その角を右に行ったところです。」この会話は頭の質問を頭で応えてるということです。
「なぜ、私の大切な人は死んでしまったのでしょう。」という相談に対して「交通事故で亡くなったのでは?」というのは、頭で応えた返事です。
「なぜ、私の大切な人は死ななければならなかったの?」というのは心の何故なんですね。それはなかなか簡単に答えられないですね。
それでは、一つ例を出します。

「ご住職(加藤)がご存じの母が2年前に急死したんです。交通事故でした。即死で、死に目にも会えなったんです。何で死んでしまったの。何で私を置いて逝ってしまったの。毎日毎日母のことを思って、寂しくて悲しくて泣いていました。でも、早いものですね。この間、三回忌を済ませたんです。三回忌を済ませてから、不思議なことが起こるんです。亡くなった母が、どうも私の胸の中に居るんです。生活をしていると、いろいろ辛いこと苦しいことがあるでしょう。そんな時に胸に居る母に話しかけてみるんです。そうすると、その母がね、優しく聞いてくれるんです。うんうん、そうかそうか と聞いてくれる声が聞こえる時もあるんです。私が話しかけたら母も話しかけてくれて、ものすごく温かい気持ちになって気持ちが落ち着くんです。」というお話です。
これ、お話が、三つあるんです。
「私の母は、交通事故で急死したんです。」これは頭の話です。
「私を置いて、何で死んでしまったの。悲しくて寂しくて・・・。」というのは、心の話ですね。「それは、寂しいよねぇ、悲しいよねぇ。」と、素直に聞いてあげるところなんですね。
「三回忌を済ませてから、亡くなった母が、私の胸の中に居るんです・・・。」という下り、これは、魂のお話なんですね。この類のお話は、けっこうあるんです。
この状態の時の人は、遭遇した不幸が、腑に落ちたという状態です。
魂のレベルでは、腑に落ちたか腑に落ちないかの状態なんです。頭で分かって心で感じて魂で腑に落ちる。こういうことなんですね。

私が住職なので、よくこんなセリフを聞きます。「私の母親、成仏したかなぁ・・・。いや、まだ成仏してないような気がするんです・・・。」と、こんな場合です。
大切な人を亡くすということは、心理学的に言いますと、対象喪失状態なんです。喪失した対象を取り戻し、その人のアイデンティティを取り戻せるように導いて差し上げること。これがカウンセラーの仕事なんですね。
こういった仕事をしていますと、母の物語、父の物語 といった物語が生まれます。その物語が生まれると、その人は、それまでと同じように生きて行けるようになるんですね。
「胸の中にお母さんが居るって、それは重くてたまらんやろう。」とか「桃太郎が桃から生まれるわけないやろう。」のようではあかんのです。素直にその物語を聞くんです。
映画「2001年宇宙の旅」の一番始めのテロップでもそうですよね。「遠い昔、遥か彼方の銀河系で・・・」で始まりますよね。あれは、物語なんです。
特に、亡くなった人を、自分の中に生かした時のお話は、物語なんですね。この物語をちゃんと受け止めて聞く、これが大事なんです。
魂のレベルでは、腑に落ちることが解決だと先ほど申しました。
法事を済まされた方からこんなことをお聞きします。「法事が済んでほっとしたわ。」これは、法事という面倒な行事が滞りなく無事に終わって、ほっとした。」という意味ではなく、法事をしている最中に、お亡くなりになった方が安堵の表情で喜んでいる姿が施主に見えて、ほっとしたというお話なんですね。

「お寺のお堂の前に立ったら、なぜか、スーッと気持ちが落ち着くんです。」と、いったお話も魂のレベルのお話です。
富士山に登ります。初日の出を拝みます。美しい日の出に思わず手を合わす。これも魂が働いているんですね。
この間、この仏教クラブで高野山に行った時に、大きな古い杉の木にしがみついてる方がおいででしたが、あれ、やはり魂が働いてそうさせたんですね。古い大木の霊気を感じて、思わずそうされたんでしょうね。
このように魂はイメージの世界ですから、物語、ファンタジーの世界が現れるわけです。
で、さっきのお話ですが、「わぁ~そうですかぁ、お母さん、胸の中にいやはるんや、お母さんとお話ししてるんやぁ。そりゃぁ、温かい気持ちになるよねぇ~」と、その方の魂を受け止めるようなやり方を我々カウンセラーはします。
そうすると、その物語が、相談者とカウンセラーのと間に共有することができるんです。
その方の辛くて悲しい出来事、「なんで死んだんや。」といったことが魂のレベルで納まっていくんです。どこかに消えてしまうんですね。

これは、魂のレベルがそうさせるのですが、魂となると、これはもう宗教の域です。太古の昔から、人は、何らかの宗教に救われているんですね。
お寺でカウンセリングをしておりますと、そういった魂の出来事に良く出会います。
我々日本人の持つすばらしい宗教性は、自らの魂をありとあらゆるところに投影し、心の浄化が可能になっているのではないかと気付かせてくれます。
いつも思うですが、25年前に出会ったあの 花子ちゃん母娘のことです。あのレベルの話は、やっぱり、魂の話やなぁと思うのです。
私も仏さんのようにとは、とてもいきませんが、このカウンセリングという仕事へのお導きは、やはりお地蔵様でしたし、私の人生を豊かにしてくれています。
今後もお地蔵様に感謝をし、仏さんのように耳を大きくして精進したいと思っております。
皆様のご清聴に心より感謝を申し上げます。 ありがとうございました。

(※加藤廣隆会員の著書に「カウンセリングにおける宗教性: アニミズム的汎神論的宗教性とトポス」等があります。アマゾンをリンクしておきますのでご興味のある方は、お買い求め頂ければと思います。)

 


司会(事務局長)
加藤さん、良いお話をありがとうございました。
私たち坊さんは、日頃一方的にお話をすることが多いのですが、素直にお話を聞くということ、大変、重要なことと肝に命じたいと思いました。ありがとうございました。
えぇ~、本日は、京都市長の門川会員が来られています。乾杯のご発声と、その前にひとこと頂戴したいと思います。


 

門川会員の乾杯の発声と小スピーチ

私も河合隼雄先生とのご縁で昭和33年ころに京都市カウンセリングセンターを作っており、日本で一番古い施設となっております。
あの、ちょっと私的なお話で申し訳ないのですが、自分が子育てしている時のことです。
ある子育てのグループ相談会のような勉強会やったと思います。
たまには行って来いということで、私が行ったんですね。
その勉強内容はと言いますと、ある子供が、お人形をこわしてしもたんです。
「お父ちゃん、お人形、潰れた」その時、この子に、どう言えば良いかというお話なんです。
途中の話がいちばんだいじなんですが、「このお人形ほかしてしまえ」とか「かたずけろ」とか言ったらだめなんだそうです。
「お父ちゃん、お人形、潰れた」「あぁ、そうか、お人形さん潰れた」と言って、子供と同じセリフを繰り返して言うと良いのだそうです。娘の気持ちに共感することになるわけですね。
この教え、かなり役にたちましてね、夜、遅く家に帰った時、かみさんが、「また今日もこんなに遅くなって、体に悪いよ!」と怪訝な顔で言われますと、「あぁ、体に悪いなぁ。」と応えますと、それ以上かみさんは怒れないのですね。私が共感できたことになるわけですから。(会場笑い)
家内が何か言ったら、そのとおり返す。これがうまく行きまして何度か使いましたが、ところが、これが使えなくなりましてね、家内に誘われて、また同じ所へ勉強しに行くと同じことをやっていたんでネタがばれてしまいました。(会場笑い)それでも、このお話、納得できる話やなと思いながら教室に通いましたが、今、加藤先生のお話をお聞かせいただいて素直に聞くことの大切さは、あのことやなぁ・・・と思った次第であります。
(※少し、間をおいて、改めて挨拶を始められます)
・・・えぇ~、幽霊会員の門川です。(会場笑い)せんだって、文化庁の京都移転のお話をさせていただきましたが、その後のことをちょっと、お話しようと思います。
7月25日に文化庁の全面的移転が決定いたしました。本庁を京都に持って来るということで、長官も議長も京都へということで、正直いって、いろいろせめぎあいがありました。
最後まで残ったことが、宗務 でした。あらゆる宗教団体の本部と言いますのが、ほとんど東京にありまして、これの移転が最後まで残ってしまいましたが、最終的には、松野大臣等いろいろな先生方のご尽力ですべて、京都に移転という事が決まりました。ありがたいことと思っております。
そして、来年は明治から150年、神仏分離令から150年を迎え、廃仏毀釈が施行され、そして仏教美術がどんどん海外に二束三文で流出することに危機感を覚え、120年前に京都国立博物館が建設されており、こんな歴史があるのでございます。
そんなことで、東京中心では何が起こるかわかりませんし、やはり、京都の宗教者に頑張っていただくことが大事だなぁと、あらためて実感しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

それでは、僭越ですが・・・、そうそうたる方々のお集まりである仏教クラブの益々のご発展と、お集まりの皆様の弥栄(いやさか)を祈念いたしまして、また文化庁の京都移転が北海道から沖縄、しいては世界中の皆さんに納得してもらえるように祈念しまして乾杯したいと思います。乾杯!!


■大谷会長が、開会の挨拶でお話された「ちょうどうよい」の詩の全文をご紹介します。(※後日、会長よりお手紙にてお届けいただきました。)
ネットで調べますと、石川県野々市町の真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路(みつじ)さんが、 月に一度発行する寺報「法友」の82年2月号に掲載されたもので、他力本願の真髄と言われているそうです。

 

ちょうどよい

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も  お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も息子の嫁もその孫も  それはお前に丁度よい

幸も不幸もよろこびも  悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は  悪くもなければ良くもない  お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと  行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない  上もなければ下もない  死ぬ月日さえも丁度よい

仏様と二人連の人生  丁度よくないはずがない

丁度よいのだと聞こえた時  憶念の信が生まれます

南無阿弥陀仏

 


 

※編集後記
加藤会員の京都弁をふんだんに巧に取り入れた興味深いお話は、会場の皆さんの心を鷲掴み。会場の皆さん全員聞き入っておられました。このお話をまとめたら「良いページになるゾ!」と感じた私は、まとめる作業を楽しみにこのお話を聞き終えました。が、実は、今回は大失敗をしました。演台に録音機をセットしたまではいいのですが、電源を入れただけで、録音開始のボタンを押していなかったようで、例会の内容すべて録音されていませんでした。
誰か録音していた会員は居ないかと探しましたら、津田正慎会員がiPhoneで録音されていたことが分かり、ご無理を言って録音データを頂きました。データ送信にご苦労をおかけした津田会員に感謝を申し上げます。もし、録音データがなかったら、加藤会員の京都弁での楽しいお話が100%表現できませんでした。
ただ、会長の開会の挨拶の下りが録音されていませんでしたので、たまたま会長と同じ席でしたこともあり、お話の内容を口頭で確かめて、実際にお話されたようにまとめてみましたので、そのことをお断りしておきます。

文責:藤野正観

 

※写真は、藤野が撮った写真の他は、一部ネットの資料写真から拝借したものや、正垣会員のFacebook投稿記事より拝借しております。