いつもの例会場のセンチュリーHがリニューアル工事中の為、2月も仮の例会場、同系列の京都タワーホテルの9階で開催です。

大谷会長のご都合つかず、代理で、中西副会長の開会の挨拶です。

中西玄禮永観堂法主

皆さん、こんばんわ! ただ今事務局の方からお話がありましたが、大谷会長の代理で開会のご挨拶をさせていただきます。
2月は、涅槃会の例会ということになっております。
え~・・・、もう、何年も前ですが、朝日新聞に「折々のうた」という大岡信先生が書かれたコラムがあって、短い文章で解説していらっしゃったのですが、この中の俳句が未だに忘れられないのですが、「泣いて生まれ 泣かれて逝くや 涅槃雪」
生まれて来るときは、泣いて生まれ、それから、その人の寿命が尽きれば、死ぬ時は泣かれて送られて逝く、そんな時に涅槃にふさわしい真っ白な清らかな雪が降っている・・・そんな何とも言えない静かで清らかな情景が目に浮かびますねぇ――。
お釈迦様がお生まれになった時には、たぶん「おぎゃあ!」と言われたとは思うのですが、それが周りの人には「天上天下唯我独尊!」と聞こえたのかもしれません。
そして、伝道の旅を終えられて、沙羅双樹の下で涅槃に入られたのですが、その情景が描かれた「涅槃図」はどれを見ても、その周辺の人々であったり、悪魔、鬼神であったり、あるいは動物たちも集まって来て、お釈迦様が涅槃に入られたのを嘆き悲しんでいるんですね。
お釈迦様は、多くの人に泣かれて、そして涅槃に入って行かれたんだなぁ・・・と思うわけであります。お釈迦さまの涅槃に入られた場所はインドですから、もちろん、雪は降ることはないと思うのですがね。(笑い)
涅槃会の時期が来ますと、私は決まって、この「泣いて生まれ 泣かれて逝くや 涅槃雪」この俳句を思い出します。
今日は、ゲストスピーカーとして、ネパールで大きなボランティア活動をしていらっしゃる先生をお招きしてこれからそのお話を聞かせていただくのですが、大変楽しみにしております。皆さんとご一緒に拝聴したいと思います。ありがとうございました。


ネパール大地震復興支援活動報告(小野田豪介氏)

壇王法林寺研究員の小野田氏とNPO法人トージバ理事の神澤氏等お仲間に、当クラブより2016年12月にネパール大地震被災地への支援金を託しましたが、その経過と成果のご報告を頂戴しました。

小野田豪介氏

皆さん、こんばんわ!
ただ今ご紹介していただきましたように、私は、信ヶ原先生(当クラブ事務局長)の壇王法林寺で研究員を努めさせていただいております小野田と申します。
そういったご縁で、私ども(NPO法人トージバの神澤氏やそのお仲間)が行っている「ネパール地震復興支援」の方に皆様方から100万円という高額な浄財を賜りました。
その時にもお話させて頂いたのですけども、その時にお約束しました通り、この度ヒマラヤの山の中の小学校を再建することができましたので、その活動について皆さんにご報告させていただこうと思います。
スライド(写真)をふんだんに使いながら説明していきたいと思います。
皆さんもご存じのように、ネパールはインドの北、ヒマラヤ山脈の南に位置します。中国とインドという大きな国に挟まれています。
ここに2015年4月25日に首都カトマンズの北西77KMにありますゴルカという地域で大きな地震が発生しました。マグニチュード7.8と推定されています。日本ではあまり知られていませんが、この地震は、この後、震源地が違ういくつかの大きな地震を群発してしていまして、2週間の間に数回の大きな地震があって、そのうちの2度がマグニチュード7以上の大きな地震だったと言われておりまして被害がものすごく大きくなったわけであります。
先ほど言いましたカトマンズ近郊のゴルカというところで最初の大きな地震があり、その後、エベレストとカトマンドゥのちょうど中間地点の所でマグニチュード7.3の地震が起きています。この大きな二つの地震によりまして、たいへん大きな被害がもたらされたということでございます。
ご承知だと思いますが、インド大陸は太古よりユーラシア大陸を押し上げて地殻変動を繰り返していて、この世界の屋根と言われるようなヒマラヤ山脈という高い地域を作り出しているのですけども、その為に大きな地震が発生しやすいと言われているんですが、だいたい80年から100年の周期で大きな地震が発生すると言われています。

地震直後のカトマンズの写真 このように石造りの家が多いのですが、ほとんどの家が倒壊しています。(2段目左)
お寺も、仏さまがむき出しになっている状態で倒壊しています。(2段目左の左下の写真)

死者:9000人以上
被災者:国民の25%と言われる800万人という大きな数字が発表されています。

日本からも直後に、国際緊急援助隊が入り、毛布やテントなどの緊急物資を供与しました。金額にして10億円規模の無償資金の協力を行ったと言われています。
世界各国からも大きなお金が集まったのですけれども、国連からも勧告があったように、世界から集まったお金の半分ぐらいが、どこに使われたか分からいといった状況で、特に山の中などの田舎の被災地には支援金が行き渡っていないといった状況です。

私の仲間、特に日本に住んでるネパール人の仲間が居るんですけども、その方の故郷がネパールの山の中であったりするのですが、彼等に「支援が全然届いていない」といった話を聞かされる中で、こういった状況が何とかならないものかと考えた中で、関東で「NPO法人トージバ」をやっております神澤という私の友人と二人で、我々にできることを探そうとネパ―ルに出向きました。
で、その時が2016年、地震が起きてから1年経った頃から、こういった活動を始めたのですが、その時我々が決めたことが三つありまして、

1、その時に約束したことが確実に実行できる活動を!
現地の組織や団体に任せてしまうと、せっかくの浄財がどこに使われたか分からないということが多いのですけども、そういうことがないように、私たちの知り合いを辿って現地に直接入って行って、現地の人と話し合って、今何が必要なのかということをまず考えて、村の人たちと一緒に建設するなり支援活動をするということ。

2、心と心を繋ぐ支援を!
銀行振込とか募金を募るのではなく、まず計画をして、これをするにはいくら必要なのかということから始まって、その必要な金額を集めていこうということで、例え、100円でも1000円でも頂ける人にお会いして、直接受け取ってですね、それを現地に届けるというようなことをさせていただき、本日、皆さんにお配りしてある支援活動の成果などの報告書などを作成することにしています。

3、ヒマラヤの子供たちの未来に繋がる活動をして行くこと
これは、お金や物の支援ではなく、現地の子供たちに心に響く活動を心掛けたいと思います。約束したことが成し遂げられるまで、何度も現地に足を運び、子供たちと触れ合って、なぜ、我々がここに来ているんだということを、彼らが大人になった時に思い出してくれるような、そういった活動ができればいいなということで、やらせていただいております。

2016年、2年前なんですけども、最初は、標高4500mのチプリング、一度目の大地震の震源に近い山の中の村に入りました。斜面に這うように段々畑があり、そこで、人々が暮らしています。で、そこに辿るには道路が寸断されており、ヘリコプターをチャーターしないと行けないところでありました。

チプリングの学校は小学校と中学校が一緒になった学校で、すごく眺めの良いところにあるんですが、この時には地震から1年経っているんですけども、それでも、まだ校舎が壊れたままという状況でありました。この学校に支援が入るということがなかったものですから、最初、この学校を支援しようということになりました。
仮設のトタンで囲われただけの校舎で勉強をしているといった様子でした。雨季など雨の降る時期にはどうしても学校は休みということになる。そんな状況でございます。2016年のこの時は、壇王法林寺様の方から支援金を賜りまして、学校にはなかったトイレを2棟設置させていただきました。

こんな活動を始めた時に仏教クラブさまの方から100万円を頂けるというお話を頂戴し、その時は、この地域に学校を建設しようと考えたのですが、なにしろ、交通の便が悪く、ヘリコプターをチャーターしないとそこに行けないという状況でしたので、そうなると、せっかく頂いた予算をヘリコプターのチャーター代で使ってしまうことになりますので困っていたのですが、そんな時、たまたま、ネパール政府が、この地域は被害がひどいということで国が支援をすることになったということを聞きまして、それだったら我々は別の被災地域を探そうじゃないかということになりました。
ということで、探した支援先が、去年2017年の支援活動になります。

で、今度は、私の知人であります日本に住んでるネパール人のお母さんの出身地のブルピングカッティという村を支援することにしました。
この村は2度目のマグニチュード7.3という地震の震源地に近い村で、ここも大きな被害が出たところでございます。
この村に行って、小学校を建てるということを約束して参りましたが、この村に行くのも、道路が寸断しなんとか車が通れるだけの広さを確保したという道路しかなく、近くのバラビセという町からブルピングカッティの麓までは、20Km~30Kmほどの距離なのですが、この道程を行くのに車で3時間ぐらいかかるんですね。迂回の連続で、離合する相手がトラックだったら、すれ違えないといった状況でした。(2段目左写真)

ブルピングカッティ村のすぐ北はチベットとの国境なのですが、そこにコダリという大きな町があるんですけども、ここが一番被害が大きくて町全体が住むことができない状態で、住民は全員離村と言いますか、生きている人も帰って来なくて、廃墟状態ということです。(2段目中央写真)
地滑りで、建物ごと谷に流れ落ちている状態です。(2段目右写真)

資材を持って標高差800m上りを2時間~3時間かけて頂上にあるブルピングカッティ村に向かう(下段中央写真)
この村のランタン渓谷を挟むと美しいトレッキングコースがあるのですが、ブルピングカッティ村側には、誰も来る人はなく、自給自足だけの本当に静かな村なのです。

倒壊寸前の校舎(上4段目中央付近写真)柱だけの校舎。3棟あった一つは村人が補修再建したが、一つの校舎で小学生と中学生が一緒に勉強しているといった状況だった。この校舎自体もひび割れがひどくて、不安なのですが、その上に補修しているものですから、補修した部分がいつ何時崩れてくるかわかりません。

で、教室が使えない他の子供たちは、このように(下の1段目中央写真)外で石ころを並べてテラスの土間を黒板代わりにして勉強をしているといったようなことでございます。

仏教クラブから頂いた100万円に見合う校舎を建設しようということに決め、2クラスが入る平屋の校舎ならなんとか80万円でできるのではないかということでしたので、この計画がはじまりました。

我々も現地に通う度に、文具品だとか要らなくなった古着なども持参しております。

で、いよいよ2017年の2月より工事にかかった分けですけども、まず、瓦礫の中から、再建に使える資材かどうかを見極めて使える物は徹底的に再利用しようということで、まずは分類分けしていくところから始めました。

基礎工事もしっかりセメントで固めております。このように、今まではなかったのですが、地震後の新しい耐震基準に則り建てることにしました。今では、公的な学校や病院等に関しましては、四隅には必ず鉄筋を入れることや壁の厚さは何十センチ以上とか建築基準が決めれているようです。
今回、ヒマラヤの村だったら、そんな基準を厳格に守らなくても大丈夫ではという話もあったのですが、せっかくだから、そのネパール政府の決めた基準を守ろうということで新校舎の建築が始まりました。今までの壁の厚さを倍にしたり、鉄筋を入れたりまでは良いのですが、この建築資材をこの村まで運ぶのが大変なんです。車も特別な仕様の車でないと村まで上がれないものですから、そういったものにもお金が掛かってしまいますので、なるべく人力で歩いて上げていくことにしました。
我々もこのように(2段目右写真)セメント運びなどをお手伝いさせていただきましたが、半日もすると、最初は笑顔ですが、笑顔どころでではなくへとへとになってしまうことも常でした。でも、こういったことも女性が凄く頑張ってくれて活躍するんですね。女性が、我々の倍の量を入れて運んでいるんですね。ほんとに軽々と運んでいくのを見て、たくましいなぁと感じ入った次第です。
それでですね、4月に入りますと、耐震用の資材で予算が大幅にオーバーしてしまったり、ネパール国内での復興工事なので建築資材が高騰しましたので、資金不足で、工事が一度中断するということになりました。
そこで、また、壇王法林寺の信ヶ原先生に追加資金を頂きまして、それを私がまたヒマラヤに届けに行くことになりました。
で、また工事を再開することができました。
今回も、なるべく業者を通さずに村の人たちに仕事が回るように作業をやっていただいて、人件費が村の人たちに落ちるようにする仕組みを作りまして、たいした人件費は払えなかったのですが、それでも村の人たちにお金が還元できるような感じでやりましたので、若い自治会長さんの指示で結構多くの村人たちが校舎の再建に集まってくれ、再建工事を村の人たちの手で進めることができました。その甲斐がありまして、雨期に入る前の6月には、校舎の基礎工事が完成しました。(4段目右写真)

その次は、10月の初旬に子供たちと基礎工事完成のお祝いをしようということで3度目の訪問となり、この時は子供たちとも顔なじみになり大歓迎をしていただきました。この時に檀王法林寺の信ヶ原先生に資金を頂戴し、子供たちが写った写真をプリントしアルバムにして配りましたが、大変喜んでもらいました。(下の1段目の写真)
11月がネパールの秋の新学期ということで、11月1日までに、ペンキを塗る作業が残っているだけとなり、この時は塗装代金をお渡しして、4度目の訪問時には新校舎が完成ということになりました。

ヒマラヤの空をイメージした青い色を塗ったと村の人は言っていますが、すごく鮮やかな青い色の新しい校舎が完成しました。(2段目中央写真)
入口が2つあって、二クラスで使用できる校舎となっております。私がテープカットという大役を引き受けることになって、カットした後私がカギを開けて、子供たちが笑顔でなだれこんでいく姿を見た時、すごく感慨深いものがあり、達成感といいますか、大きな仕事ができたことにたいへん大きな喜びを感じました。(2段目右写真)
学校長と一緒にこのように喜び合いました。
高台から見ると緑に映えて美しく、なかなか良い校舎ができたと思っております。(3段目左写真)

と、いうわけで2017年11月1日に、このように子供達が新しい校舎で勉強できるようになったわけであります。(3段目中央と右)
私も、この11月1日と2日にこの校舎を見届けて、今回、山を下りてきたのでございます。

仏教クラブの皆さんに、子供たちのビデオメッセージを撮ってきましたので、ご覧いただきます。
(たくさんの写真を見ながらのご説明でしたのでほとんど全部の写真を使ってスライドを作りました。ビデオメッセージの音声(1:43秒付近)を挿入しています。)

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これで、去年の活動は終わったわけですが、では、今年はどんなことをするかと言いますと、去年、村側と約束をしてきたのですが、学校の水場の建設とトイレの建設が予算が足らなったもので、今年の2月と10月に行かせていただいて、この二つの建設をしなければと思っております。
それと、もう一つは、10月にダサインというお祭りがありまして、どちらかと言いますとヒンドゥ教徒のお祭りなんですが、子供の為のお祭りでございまして、大きなお祭りですが、この村では地震以後開催できていないということなので、何とか子供たちと一緒に、準備をしてこの新しい校舎のある校庭で、一緒にできたらと思っております。

これからは、支援から交流へということで、より、心の広がる活動をやって行きたいと思っております。

で、二つ目のお釈迦さまへの恩返しということになりますが、私が皆さまの前でお話しするのはおこがましい気もするのですが、実はこの村というのは、偶然なんですが、ほとんどの村人が仏教徒なんです。実はネパールでは8割ぐらいの方がヒンドゥ教なんですが、この村はチベットに近いせいかその数字が逆転して、ほとんどの方が仏教徒なんです。
そんなことで、私にとっては3度目の村なんですけども、やはりものすごく居心地がよろしいのです、何かというとすぐに手を合わせていただけますし、関わっていて、しっくり来るものがあります。

で、震災前には、小さな村にも関わらず、仏教の大小のお堂といいますかお寺がありまして、それがほとんど全部壊れてしまいまして、しかも再建の目処が全然立っていないというのが現状であります。
お寺の跡は、全部更地になっているのですが、無事であった仏さまや仏画、経典の類は、仮設小屋に安置され保管されています。(2段目左写真)

それで、私の思う「支援から交流」に広がっていったならですね、全ての村の人たちの許しを得てですね、力を合わせてお堂の一つを再建できたらと想いを新たにした次第です。
偶然とはいえ、お釈迦様のお生まれになったネパールという国の仏教徒の村とこうやってご縁ができましたのも仏さまのお導きといいますか、大きな仏縁によって私たちはその地に行かせていただいたような気がしてならないのであります。

で、本来ならば新校舎建設の支援が終わったなら次の支援候補地を探す予定ではあったのですが、村人から「あなた達が来てくれると村人皆が幸せになれる」というようなことを言って頂いて、また、年配の方々が各家々の佛壇に手を合わせているのを見るとですね、なんとか、ここに五つあったお堂の一つでも再建できないかと思っております。

教育と、信仰の場を復活させてあげるということが彼らにとって、未来に進める何よりもの手助けになるのではないかと思っていますし、私たちが実践しようとしております「心と心を繋ぐ活動」というものの理想のゴールになるのではと思っております。

そこで、また皆さんにお願いがあります。
これから2年先になるか3年先になるか分かりませんけども、そのような準備が整いましたら、またこういった場にお邪魔させていただいて、ネパールの仏教徒の村にお堂の再建をといった趣旨で皆さんのご支援とご協力をお願いに来たいと思っております。よろしくお願いします。

仮設に安置された仏像や仏画、經典の類(2段目中央より3枚の写真)

一番大きかったお寺の構造を描いた図の写真(3段目中央写真)

いつも村を降りる時に見送ってくれる子供達の写真(3段目右写真)

本日は、ご清聴ありがとうございました。

(※ネパールの画像は全て小野田氏が会場で投影されたスクリーンを撮影したものです。不鮮明ですがお許しください。)


吉村忠幸会員

吉村会員の乾杯の発声
こんばんわ! え~と、けっこう遅刻気味でギリギリに受付に入って来てくじを引くと「乾杯をお願いします」というカードでしたので、一瞬出た心は「最悪!」と、正直思ってしまったんですが、実は僕の今年の個人的な事なんですが、目標と言いますか、今年一年を通して「こんなふうにしたいなぁ」ということを掲げたことがあって、それは、え~と、「心定希心」といいまして、「心を定めて希望を持って進む」と言って、これをテーマに今年一年頑張ろうかなと思っております。
そんなことを思ってましたら、今日のように自分が「負」とする心の反動というのが、とてもマイナスだったんだなぁと気付きまして、(今は)貴重なお時間を頂くことができて、本当は幸せなんだなぁと気付かせていただきました。
それからもう一つ、また個人的な事なんですが、今日、ちょっとだけうれしいことがありまして、え~と、うちの娘が高校2年生なんですが、ちょっと学校に行きたくないという、登校拒否までは行かないのですが、なにかこう・・・いじめに会ったのか、自分自身がこう、人とのコミニュケーションがうまく行かないといった、そういう時期がありまして、それはちょっとまずいなぁ・・・と、うち(僕)の家内から聞いて・・・、で、それなら僕自身が娘の為にできることはないかなぁ・・と考えまして、(自分が)何か変わらないといけないなぁということがありまして・・・。
娘は吹奏楽をやってまして、毎朝、「朝練」をしてるんです。
うち(僕)の家から学校まで車で40分ぐらいかかるんですね。朝6時半ぐらいに学校に着かないといけませんので、毎日5時くらいに起きて、車で送って行っていたのですが、最初の頃は毎日会話が一つも無くて、ただずーっと下向いて携帯電話をいじってるんですね。
40分間、何もしゃべらないといった、そういう毎日を過ごしていたのです・・・が、え~と、今日・・・送る(車を降りる)時に、「パパありがとう・・・。」と小さな声で言ってくれたんですね。些細な事なんですが、ものすごく(うれしくなり、)今日は感動したのです。
話が長くなりました。それでは、乾杯です。皆さんのご健康とご発展を祈念して乾杯!


ネパール関係写真:小野田豪介
会場写真:藤野
編集:藤野