八月地蔵盆例会 ゲストスピーチ:今村克彦氏「子供が変われる、大人も変われる」

会長挨拶
皆さんこんばんわ、暑中お見舞いも、残暑お見舞いも申し上げずに、私だけが元気かと思っておりましたが、皆様方もたいへんお元気そうなお顔でご出席いただきまして、ほんとにありがとうございます。(笑い)
先ほども次長さんが、おっしやったように今日は、(関西地方では)地蔵盆でありますが、時代はいろいろと変わっております。
その中で、「子供が変われる、大人も変われる」という題で、今回はゲストスピーチで、今村先生をお招きしてお話をお伺いします。大変、期待をしておるわけでございます。(ゲストの今村氏とマネージャーの中田氏立ち上がり、揃って礼=会場拍手)
昨日、(東京のご自坊で)こちら(京都)に参って、いろいろと他の用件も兼ねようと支度をしておりましたら、鈴木次長さんから電話があり、「危ないから来なくていいよ」と電話連絡が入り、「今回は例会もないのか」と一瞬思い込みましたら、そうではなく、台風20号が通り過ぎるまで来なくていいよということでした。
それで、台風が通過した本日、東京の自坊から来たわけであります。
ということで、近頃は、こういった過酷な自然現象の中で、血迷うような日々がこのところ頻繁にあるのですが、こうして、おかげさまで皆様と共に地蔵盆の例会に出席でき、皆さんと一緒に尊い時間を過ごさせていただけること、うれしく思っております。今日もこのひと時、よろしくお願い申しあげます。(拍手)


【入会案内】
能登春雄氏 (御病気で2年間退会されていましたが再入会です)
どうも、出戻りでございます。ほんとに、また皆さんにお会いしたくて出戻って参りました。今日は、久々に皆さんに会えるということで、ワクワクして参りました。
とりわけ、大谷会長、これからですね、私たちがどう生きていったら良いのか教えていただきたいと思いますし、また、お酒の飲み方もしっかり大谷会長には教えていただきたいと、こう願ってこの場に寄せていただきました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

 

 

谷藤雄一郎氏 (西村朱實氏より名義変更です)
株式会社石留石材、谷藤と申します。よろしくお願いします。兼ねてより、祖父、祖母の西村がお世話になっておりまして、この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございます。昨年末に、祖母に代わりまして、代表取締役に就任させていただきました。まだまだ未熟者ですので、いたらぬ点多々あるとは思いますので、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

 



 

「子供が変わる、大人も変われる」ゲストスピーチ:今村克彦氏 Facebook

株式会社 Office REY 取締役会長      http://imamuragumi.com/10contents/index.html
非営利型社団法人日本共育Project代表理事   http://www.nihonkyoiku.com/
沖縄子ども応援団プロジェクト主宰      http://okinawakodomo.com/
株式会社 禅 代表取締役社長         http://zen-bar.com/
ダンスチーム関西京都今村組総代表          http://imamuragumi.com/index.html
茨城県常盤大宮市特別大使                 http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/page/page000924.html

 

みなさん、こんばんわ。えぇ~、ただいまご紹介いただきましたが、あの・・・、一点違うところがありますので、訂正させてもらいます。
高校の時、「そこそこ悪かった」のではなく、「そうとう悪かった」(笑い) うちの父母が、子供がこのまま地元に居るとえらいことになると、天理教の天理高校に無理やり入れられまして、「叩き直したろう!」ということで、寮生活に入ったんですけども、うちの親のように思って天理高校に入れてる親が全国にいっぱい居て、当然ながらそうゆう悪さをする連中がいっぱい居まして、僕は、その中でそうとう悪くなりまして・・・、それでも、今の子供のような腐った悪さをしたことはないんですけども、この前、奈良県警の全おまわりさんが集まる総会で、講演やってくれって言われて・・・、いや、奈良県警には、何回か捕まってますので、「ほんとに、僕で良いんですか?身元調査はされてますか?」(笑い)ということで、そんなことがありました。
えぇ~、今日のように、1年間で70~80回ほど講演をさせてもらうんですけど、今日はね、あのぉ~、緊張しております。この会、ちょっと僕が聞いたのと違いまして、こんなきちっとした場やと思ってなかったので、こんなラフな格好(つばの短いチューリップハットに洗いざらしの白いTシャツ、くるぶしの見えるパンツに運動靴)で来てしまいました。ほんとに申し訳ないです。
今、後ろに居るのがマネージャーなんですが、スレ違いばかりで、何か「飲み会に呼ばれた!」というふうになぜか理解をしておりまして、「こんな感じで良いだろう」と、「お客さんとしゃべるんやぁ」と思ってやって来ました。大変申し訳ありません。失礼しています。

あの~、簡単に自己紹介をします。49歳まで24年間、小学校の教師をやっておりました。あと、1年教師やっていたら、年金ついたんですけど、1年前に辞めてしまいました。ご覧の通り、若作りなんですけども、実は61歳、還暦を過ぎております。小学校の教師時代からもそうなんですけども、教師を辞めてからもそうなんですけども、皆さん方もそうやと思うんですが、教育者というのは、決して教師だけではない。教師というのは、教育で食わして貰ってる人間であって、教育者というのは、たぶん、皆様方もそうですし、そこらへんに居るおじさん方もそうやろし、何か人に与えたり、その子の為に一生懸命になった時に、それがもう人としては教育者なんだろうと、そういう風に僕は思っています。だから、職業としての教師は辞めたんですけども、それからも、ずーっと、子供たちと活動を共にしているんです。
あのぉ~、6年前でしたか、東北で大震災がありまして、「とにかく行なかあかん、わからへん。」「外からなんぼ野暮なこと言(ゆう)てても、中が見えてこ来ない、行かなわからへん。」ということで・・・・。
実は、その時を遡って阪神大震災の時にも、まだ京都で現役の教師やってた時の話ですが、まず、教師がぐちゃぐちゃになった現場を見て、子どもたちにきちんと伝えなあかん」と、いう風に思いまして、「現場(被災地)を見て、子供たちにきちんと伝えたいので、一週間休みくれ」と当時の校長に言(ゆう)たら、「何を考えてるねん!」と言われました。「何を考えてるねんって、校長こそ何を考えてるねん!」て、僕は、その時、思いまして、むしろ強硬突破で、現場に行たんですけども、その時(被災地の現場視察)に、僕がそういう子どもばっかりに目が行ったのかもしれなのですが、ほんとに、耳にはピアス開けまくって、髪の毛は、まっちゃっちゃ(金茶色)で、こんな子が町で歩いていたら怖いなぁと思うぐらいの子が、必死になって汗びっしょりでボランティア活動している姿を見て、涙が出てきて、本来、僕もそんな人間やったはずやのに、大人になって、どこか、やっぱり服装や身だしなみで人を区別して見ているんじゃないかーと思ったんです。
ここで、ひとつ偉そうなことを言わせてもらうと、「60歳超えて、なんでこんな格好してんねん?」と言われると・・・。これは、自分への十字架です。
あのぉ・・・こうゆう恰好してて、しょうもない生き方してたら、人は、「この人、良い年して何やねん!?」と思われます。僕はすごい弱い人間ですから、カチッ(きちん)とした恰好でぇ・・・う~ん、自分へのプレッシャー無しでは何もできない人間でして、この格好は十字架なんですけどもぉ・・・。で、そこから始まって、東北、行きました。
惨状見たときに、実は何も涙が出なかったんです。一滴も・・・。何も感じなかったんです。僕って冷たい人間なんだろうか・・・。
あの当時、(テレビなんかを観ていると)芸能人は涙ポロポロ流しているんですね。これって何だろうって考えた時にぃ・・・、「当たり前なんだな」と思いました。
その前の景色を僕は知りません。その前に、(その土地に)息づいている人の思いを僕は知りません。あの荒れ果てた土地しか知らないわけです。その時思ったんです。「何回も来よう!」「わかるまで来よう!」「わからない、ということを隠さんとこう!」「僕は当然ながら、東北の方々の本当の苦しみを分かるわけがない。」わからないということをしっかり胸に刻んで、ちょっとでも分かるまで来ようということでぇ、活動を始めました。
その時に、非営利型の団体「日本共育Project」というのを立ち上げ、京都市市長にも相談役になっていただいていて、今回、沖縄の子どもたちを応援するということになり、市長さんに相談していましたら、だんのうさん(檀王法輪寺住職で当クラブ事務局長)の信ヶ原さんをご紹介いただきまして、ここへお招き頂いたわけです。
そういうことで、僕は信ヶ原さんだけを頼りにここに来たんですが、その信ヶ原さんが居ない!(年に一度の沖縄旅行の帰りの飛行機が台風で遅延し、遅れて来られました。) だから、よけいに緊張したんやと思うんですけども。
でぇ、その「日本共育Project」というものを立ち上げて、日本全国の子どもたちの為に、いや、僕は「誰かの為に」という表現は好きではないのですけども、子どもたちと一緒にやって行こうと、いろ~んなとこへ行きました。いわゆる限界集落といわれている町、北海道の羅臼町、目の前に国後が見えるところです。
やっぱり行ってみないと分からないことがいっぱいありました。日本では、北方領土うんぬん、ゆうてます。イデオロギー的にゆうてます。
でも、僕が羅臼町に行って目の前に横たわる国後を見た時に、イデオロギーじゃないな、あそこにお墓があるねんなぁ・・・という、(土地に住む人の)思いがひしひしと伝わって参りました。
僕の活動は、共育ツールを「踊り」というとこでやっているんですけども、その町の曲を作って、その土地の子どもたちと今も活動続いております。
また、北海道の、あまりご存じないと思いますが、浜頓別という町があります。稚内のすぐ下(南)にある町なんですけども、ここでも、踊りツールでやっています。
それとまた、あれは、長崎なんかな、長崎県の壱岐、離島の壱岐、ここの子どもたちとも活動を共にしております。なぜかといいますと、この壱岐島に行ったときに、それ(踊り)を教えてた時に彼らの口からこんな言葉が出たんです。「僕ら、所詮、田舎者やから・・・。」と、これから未来のある中学生が、「僕ら、所詮、田舎者やから・・・。」という言葉を吐かんならんようなそんな教育はおかしい! 田舎であろうが、町であろうが、「おれは頑張るわ!」という教育をせなあかんの違うんかなぁと、そういうふうに、思って、こういう活動をしています。
そんな中で、今度は、沖縄の子どもたちを応援する活動を始めました。
釈迦に説法だと思うんですが、みなさん、そんなに沖縄の子どもたちの状況ってご存知ないと思うんですが、ふっと考えると、日本一、子どもの貧困率が高いのは大阪じゃないかと思うんですけども、圧倒的に沖縄なんです。(沖縄の全子どもの)40パーセントが貧困にあえぐ子どもなんです。晩飯が食えません。お父さんとお母さんが必死になって頑張って働いて、年間300万円。
子供達は、晩飯が食えないので、夜になるといっぱい出歩いています。晩御飯がないのです。家に帰っても誰も居ません。そんな中で、(子どもの)非行がものすごく増えています。
ある、ひょんなことから、沖縄県の子どもたちの現実を知った時に、あの~・・・、僕、元教師と言いながら実は何をやってるのかようわからんようになるんですけども、音楽活動もやっておりまして、あの~、僕を弟のように可愛がってくれたのが、河島英五さんという、もう亡くなられたんですけども「酒と涙と男と女」の・・・、彼が僕をすごく可愛がってくれて・・・、
彼も、阪神大震災の時に、「10年間、手弁当で(支援に)歩こう。志半ばで亡くなれたんですけども、彼はこう言われたんです。
「日本は、災害もすべてブームや!」・・・。
阪神大震災の時(1995年1月17日に発生)には、あんなにたくさんの人が来て支援してくれていたのに、その後のナホトカ号の座礁による重油流出の時(1997年1月2日)には、全部、そっちに行きよる・・・。」「こんな国はおかしい!、災害もボランティアもチャリティも全部ブームにして行く。」
「だから、みんなが目を向けないところに、お前は、目をむけろ。」「災害ブームに乗って、何かあったら、あっち、また、何かあったらあっち、というような活動はするな!」という(河島英五さんの)言葉がありまして、今回の沖縄の子どもの状況を知った時に・・・、沖縄の実情って、基地やなんやしか、皆さんご存知なかったと思います。ほんとに(沖縄の)子供らは貧困にあえいでいます。その子供らから出る言葉が「おれら、どうせ貧乏やから・・・、おれら、どうせヤマトンチュー(本土の人)と違うもん・・・。」と中学生が言っています。僕は、子どもたちが貧困にあえいでいること、この対策をするのが国だと思っています。現に、国は、何十億というお金を投下しています。イデオロギーではなくて、お金さえ渡しておけば良いということになっています。
でも、本当に大事なのは、たぶん皆さんもその中で来られたのだと思いますが、「キャベツの芯をかじってでも、やるねんで!俺ら、貧乏やけど頑張んねん!」というような、強い根性をもった子どもを育てていかないと、本当に(沖縄に)未来はないなと、思っています。その中で、「沖縄の中でも一番、低辺層の子どもたちを助けたい。そのことで、日本全国の子どもたち大人たちの目を覚ましたい。」という思いがあります。
沖縄の子どもたちを助けるということは、決して一方的なこと(支援)ではないのです。この沖縄に、全国の子どもたちを連れて行きたい。実は6年前の東北大震災の時に、
うちの京都の子どもたちを連れて行きました。こんな子が居ました。
え~ぇ・・・、小っちゃいころ、御両親が離婚されて、お父さん、お母さんの間をたらい回しにされて、で、学校ではクソと言われ、で、行き場所もなく、中学校はまったく行っていない。僕には隠していたんですけど、そのころから、うち(ダンスチーム関西京都今村組)に居たんですけど、僕にだけは、その嘘の姿を隠そうと隠しとったんです。
中学校はまったく行っていません。で、(親の用意する)晩ご飯がありません。ある意味、貧困ですね。親の教育状態、家庭状況によって、そうなります。でも彼女は給食が出たら、学校に行きます。命を繋ぐために、昼頃学校に行って給食を食べて、食べ終わったらまた外へ遊びに行って、朝まで帰ってこない。それから寝て、昼頃給食を食べに行って、また遊びに出て行く。これを中学の3年間、続けよったんです。そして、その娘なりに、高校は行かなあかんやろうと、思って、高校には行きました。
その娘が高校1年生の時に、東北大震災が起こりました。僕は、(ダンサーの)若手の子たちを連れて、車でその被災地に行きました。いろんなとこへ行きました。いろんなところで踊りました。「そんな大変な時に、踊りはないやろう!!」と言われ、一生笑われるかもしれない・・・と思っても、それでも行きました。
そんな中で、あるホテルが避難場になっていたんですけども、そこで踊った時に、あるおばあさんが、その踊りを観て泣いておられるんです、号泣されているんです。
で、僕は踊ってるその娘に、「あのおばあさんのところに行け!」と言って行かせた。僕は生まれて初めて観た光景です。
そのおばあさんが、その娘を抱いているので はなく、その女の娘がそのおばあさんを抱きしめて頭を撫でて泣いているんです。二人で。
戻ってきたその娘に聞きました。「なんて言われたんや?」「家も家族も全部流された、もう、死のうと思った。でも、今日あんたの踊りを観て、もう一回頑張ってみる。次、あんたが来るまで頑張る!」と、号泣しながら言うんです。その彼女は高校2年生になる前に、高校を辞めました。
「先生(今村氏)と一緒にこんな活動を続けたい!」と、給料いらんからと、まるで押しかけ女房が如く、うち(ダンスチーム関西京都今村組)の事務所に来ました。彼女はそれがなかったら、たぶん、良くてそれこそキャバクラ、最悪、古い言い方ですが、身を落としていたと思います。
今、彼女は中卒になりますので、中卒の私が先生のマネージャーでは格好悪いということで、今年、見事に大学検定を取って、高校卒業の認定を取ってくれました。
それが、彼女です。(今村氏の話が始まると隣の席から立ち進み、会場最後部隅に立っていた、ノースリーブの黒いブラウスとグレーのワイドパンツを身に着けた黒いハイヒール姿の、ちょっぴり大人に成長した彼女を紹介された。)
そんな風に、支援する側も、変わっていくんです。育っていくんです。そんな活動を私は続けて行きたいなぁと思っております。

今度は、支援される側の沖縄の子どもの話をしたいと思います。
沖縄で、踊りのチームを作りました。でも、お金が取れません。そんな状況ですので。
で、一ヶ月、ワンコインで踊りを教えることにしました。今、2・30人、いや、50人ぐらいおるんかな? なんぼや、50人おって25000円。
飛行機、なんぼねぇ、格安航空できたゆうてもねぇ、一人で行っても帰って来れないという状況で、月に2回、教えに行っております。
あのぉ、踊りを教えているのではありません。踊りを通して「生き方を教えたい」のです。名護市、そして昔のコザ(沖縄市)、浦添市に踊りのチームを立ち上げているんですが、沖縄市は、ほんとに人数が集まらなくて、これでは、作れないなぁと思っていたんですが、ある小学校の3年生の女の子が説明会といいますか体験会に来てくれていました。
その女の子は、ものすごい可愛い顔してるんです。人懐っこくて、体験会が終わって、まっすぐ僕の所へ走って来てしがみついて「またきっと会えるよね?」と、その女の子は言うんですよ。ほんとに小学校3年生の女の子に対して、胸がキューンとなりまして、僕は、「会えるよねぇ」と言って、そのまま駐車場に行きましたが、またその女の子が追いかけてきて、また同じことを言うんですね「きっと、また会えるよね?」僕「作ろう!」と思いました。その女の子一人のために・・・。どうせ500円、ワンコインや、人数多くても少なくても同じや!作ろうと思いました。その女の子のお母さんといっぱい話をしました。彼女は、性同一性障害で、心は男の子なんで、学校の仲間にも先生にもいじめられて、3年間学校に行っていない。こうゆう(いう)子やったんですね。 で、僕は、お母さんとその子を抱きしめて言ったんです。女の子には「学校なんて、いつか行けたらいいから、ずっと先生と一緒に頑張って行こうな。いつか、きっと行けるから」お母さんには、「お母さん、絶対に行けるようになります。」って、言っていたら、なんとその女の子は3か月後には、学校に行きだしたのです。ところがその家は母子家庭で、僕が行く前から、母娘で北海道で牧場しようと言っていたそうです。それが、僕が行ってからその計画が決まってしまったんです。お母さんとその女の子とその件で何回も話しましたが、結局、北海道へ行こうということになって、最後の練習では、泣いてしがみついて「絶対、北海道でも会いたい!」と言うので「わかった、行くから!」と言っていたんです。今、一生懸命学校に行こうと頑張ってます。
出会ったからです。僕に何かすごい力があったからではありません。出会いなんです。そして、本当にここらは「釈迦に説法」なんですけども、「でも、北海道は遠いよなぁ・・・」と思っていたら、先ほど僕は、北海道の町の名前を二つ言いました。一つは羅臼町。そしてもう一つは浜頓別町。
住所決まったら教えてって言っていたら、連絡が届きました。なんと、その新しい住所は、その浜頓別町なんです。
確率で言ったら、いったいこんなことがあるものか!? 僕は今まで共育をやってきて、これは、ほんとに頑張ってる人間にはが、いや、ここではが降りてくるんやなぁと思いました。そんな奇跡に僕は何回も出会っています。奇跡なんです、多くの方は北海道の浜頓別町は知らないでしょう。沖縄からそこへピンポイントで、僕が一番懇意にしているのが浜頓別と羅臼です。これを神や仏のなせる技と言わないで、いったい何なのかと僕は思います。
そんな奇跡を、これからもいっぱい作っていきたいなぁと、そんなふうに僕は思っています。
あぁ、次長さん、これ、何時まででしたっけ? 「まだ、10分ほどOKです」と次長。
「あと、もう10分しかありませんか!」(笑い)
で、今やってることは、沖縄の子どもたちに特化してやってるんですけども、日本全国の子どもたちへの活動もずっと続けています。それと、新たに始めたことがあります。それは何か?
今、沖縄の子どもが日本全国で一番見てあげないといけない子供たちなんですけども。そんな子供が全国にもいっぱい居るんです。若者たちの中にも目を向けてあげないといけない子がいっぱい居ます。それは何か?依存症で喘いでいる子です。
薬物、アルコール、ギャンブル、あれは、れっきとした病気です。あれは、好きでやってるとか、酒が好きやから飲んでるというようなことでは無いのです。
彼らと話をしていると、全部、ちいちゃい(幼い)頃、親子関係がうまくいっていない。これも、ひょんなことから依存症の子どもたちにも今、踊りを教えてるんです。
ほんとに泣いて話をします。共通の言葉があります。「なんで、薬物に手出したんや?なんで、アルコールに頼るんや?」・・・。心に穴があったんやと思います。その穴を埋めたかったんやと思います。
彼らと同じように、今、沖縄と那覇の依存症の子どもたちに踊りを教えています。最近でしたら、愛知県の犬山の祭りに、そして11月には福岡の博多にこの子たちを連れていきます。どん底から這い上がろうとする若者たちの(一生懸命な)顔・・・。その子たちのおおもとは、小学校時代に、うまく行かなかったことに由来しています。
そういった子と、僕は一緒に生きていきたいと思っています。

えぇ~、余談ですが、僕は、こんなことを好き勝手にやっているんで、さっきゆうたように、49歳で、24年間やっていた教師を辞めています。その当時、僕の家は、父子家庭やって、僕と中学生と高校生の男の子しか居ない3人の家庭やったんですが、教師を辞めて、こんなことをしたいと息子たちにゆうたんです。息子らはどうゆうのかなと思ったら「親父の好きなようにしたらええ、親父が一番輝いているのが良い!」で、僕は、思い切って教師を辞めて、今の活動をはじめたわけです。
なんと、3年前、その長男が32歳の時かな、31歳の時かな、僕の作った次の会社というか団体の代表をさそうと思っている時に、息子が一緒に飯食おうと、僕を呼び出したんです。で、行ったら「ちょっと話がある。」「何や!」32歳で団体代表の役が目の前にあるのに、「辞めようと思ってる。」「なんでや?」「歴史小説家になりたい!」と言いだしまして、「馬鹿じゃないかお前!!」とゆうたら、息子がゆうたんです。「親父が、(教師)辞めるとゆうた時、俺等、なんとゆうたかな?」
「お前は、お前らしく頑張れ!」ってゆうたんですね。そりゃぁ、心配しますよぉ、親やからぁ。
それでね、彼ね、ひょっとしたらご存知の方、おられるかもしれませんが、凄いんですね、今、本屋さんにいっぱい並んでるんです。彼の本が。「今村翔吾」という名前で。
えぇ~、「くらまし屋稼業」や「羽州ぼろ鳶組」シリーズで本屋さんに山積みされています。何かねぇ、青年小説家大賞とか伊豆文学大賞とか、何かいっぱいとってまして、この前、うちの事務所へ遊ぶに来寄った時に、「ちょっと金かしてくれへんか?」とゆうたんですけど、印税もすごい出てて、頑張っていますけども・・・、あのぉ~、自慢話になりますけども、彼もやっぱり、こうなるまで、僕と何回もぶつかった子なんです。
大事な事は、大人が絶対にあきらめないことやないのかなぁと思います。
今、沖縄は、基地の問題やら知事選の話題ばっかしクローズアップされてますけども、で、これはね、こういう言い方したらどうなんだろうと思いますけども、子どもがそんな状態であるということは、ここに居られる見識のある方でもそんなにご存じないと思います。
もしかして、意図的に隠されているのと違うのかなぁと思うぐらいに、全国に伝わっていません。今、それだけ苦しんでいる沖縄の子どもたちを助けずして、また、依存症で苦しみながらも、もう一度立ち上がろうとする若者を、助けずして僕の未来はないと思っております。

最後に、余談ですが、僕は皆様(僧)とは違いまして、僕の親父は亡くなったんですけど、神主やったんです。北野天満宮系の神主でして、僕も免許を持っておりまして、祝詞とかあげられるんです。今ではまったく拝まないですけども、いつか戻ってやったろうかなぁ、と思っております。
それと、もう一つ、媚を売るわけではないのですけども、先ほども曹洞宗の方がお出でになって喜んだんですけども、実は、僕、生き方に悩んだり、何か考えたりする時に、よくわからないのですけども、よく永平寺に行くんです。
福井の永平寺に行って座って一日いろんなことを考えるんですねぇ。そうすると何か見えてくるんです「よし!こっちへ行こう!」とか「よし!帰って他のことがんばろう!」とか、その永平寺に、もう亡くなられたんですが大田大穰先生(2017年6月遷化)がおられて、すごく僕を可愛がってくれて、ある時、奥の間に通されまして、案内いただいたお坊様が、(小声で)「一般人でこの部屋通されたのは初めてです。」うれしくなって、今でも生き方悩んだときは行きます。
たぶん、お寺ってそういうとこなんですね、きっと。生き方に悩んだ時にお寺に行って、心静かに自分を見つめるとか、若者にもっと、もっと伝えていきたいなぁと思います。ですから、(会場後ろに居るマネージャーを指しながら)彼女を良く連れて行くんです。
なんでですかねぇ、あっ、今回、また、釈迦に説法ですけども、一つだけヒントをゆうときますけども、あんだけ(あれだけ)やんちゃして、今、バリバリやってる彼女が、僕と一緒に座って(坐禅)たらぁ、1時間ぐらいしたら、そこで泣いているんですよ。「なんで?」「いや、わからへん。」お寺とか、神社は、本来そうなんですね。偉そうに言いますが、そういうところでないといけないのですね。

だから、ぜひ、皆さんのお力、「よし!そんなら、奴らのスポンサーになったろう!」という方があったら、ほんとうにうれしいです。
彼らは、宿舎に泊まってやってますから、一日1500円のお金で、これも修行といいますかプログラムなんですけね。食事も、自分たちで作ってます。彼らは一日100円、200円を貯めて、一緒に踊りに行く費用にしています。沖縄の子たちはまだ、衣装もありません。ぜひ、何かご協力いただければほんとにありがたいなと思っております。
あの、一円の錢、一銭の錢も私事には使いません!!
東北の時も、約1500万円の浄財が集まりました。僕の自慢は、一銭の錢も自分のことに使ってない!それをやったら終わりですから、皆さんと一緒に何かやれたらなと思います。ぁっ!、「そやったら、一回、うちの寺に踊りに来い!」というのもありです!「うちに、しゃべりに来い!」もOKです!
ほんとに何でもやりますので、ご協力いただけたら嬉しいなと思います。
それと、最後に会長さん、僕もお酒の飲み方教えていただければ僕も非常にうれしいかなと思います。(笑い)
今日は、貴重なお時間、ほんとにありがとうございました。よろしくお願いします!!(拍手)

Tomのよさこい写真館

御子息の作家:今村翔吾氏 アマゾン



乾杯の発声
瀬川大秀会員 (仁和寺門跡)
先ほどご紹介いただきましたように、3月までは仁和寺の宗務総長を務め、それからは自坊のある愛媛のほうへ帰っておりました。
6月23日から、立部前ご門跡より引き継ぎまして、51世の仁和寺門跡に就任しました。
7月13日に入山しております。そして、また皆様方と久しくお会いすることができまして、大変うれしく思っております。
この仏教クラブ、ほんとにホッとする会でございます。また行ってみたいなぁと自然に足の向く会であります。
どうぞ、今後とも、よろしくお願い申し上げます。(拍手)
それでは、ご指名でございますので、乾杯の音頭をとらせていただきます。
仏教クラブの益々の発展と会員の皆様のご健康を祈念しまして、乾杯!!


 

小泉顕雄会員から冊子「南の国で見つけた生き甲斐」とカワセミクラブの活動案内が、出席者全員に配布、プレゼントされました。

平成30年8月24日
カワセミクラブ会長 小泉 顕雄
残暑お見舞い申し上げます。
異常な気象に振り回された感が残るこの夏ですが、皆様には厳しい暑さの中、お元気で日々をお過ごしのこととお喜びを申し上げます。
さて当会では、フィリピンの貧困者支援の取り組みを進めるとともに、日比両国の高校生交流事業などを実施して参りました。特に昨年は仏教クラブ様から多額の助成金をいただき、京都の高校生5名と教員1名をフィリピンに派遣し、貧困者支援のボランティア活動に参加させるとともに、現地の学生ら6名を我が国に招待し、日本の高校生との交流や日本の冬を体験させることができました。
これらの事業は大きな成果を上げ、日比両国の関係者から高い評価を得るに至っております。そこで当会では今年度も高校生派遣事業を継続することとして、その準備を始めているところでございます。
なおまた、今年は現地では雨季が非常に長引き、各地で洪水が発生し貧困者の生活を直撃しており、当会では衣類、食糧の配給事業に取り組むとともに、家を失った人々に休息、就寝の場所を与えるなどの事業を実施して参りました。
申し上げるまでもなく、これら上述の事業の実施には多額の財源を必要とすることもあり、昨年に引き続き、大変厚かましいことながら、仏教クラブの会員の皆様にも一口1000円の資金協力のお願いをさせていただきたく存じます。
なにとぞ我々の趣旨をご賢察いただき、温かいご理解とご支援のほどを伏してお願い申し上げます。
涼風が吹き始めたとはいえ、口中まだまだ暑い日が続くかと存じます。
くれぐれもお体ご白愛いただき、ご家族様お揃いで秋の到来を心待ちにしていただきますよう念じ、厚かましいお願いまで。合掌

追伸
カワセミクラブ発足までの経緯と活動内容をまとめた小冊子を発行させていただきましたので、一冊進呈させていただきます。
ご笑読いただき、我々の願いと歩みについてご理解賜れば有り難く存じます。
なお送金には、同封の振込用紙をご利用いただければ幸いです。
(※一般の方々の送金方法はカワセミクラブタイムズにあります。)


【編集後記】:先日、テレビで、山口県の2歳の男の子が行方不明になった事件で、大分県から組織にも属せず、まったく一人で手弁当持参で現地にやって来て、すぐさま男の子を見つけ出した尾畠春夫さん(78)の、見返りも名誉も望まず、ただ、弱者の為に役に立ちたいと、元気に屈託なく奉仕活動をされている。そんな彼の生き方を紹介していました。
尾畠さんの生き方は、どんな良いことを言う人も、いわゆるお偉い方々も影が薄くなる・・・。と、私のFacebookでコメントしました。
私たち仏教クラブの会員も、今まで、たくさんのチャリティ活動において、手弁当で準備期間は別として、年に3日ほどだけですが、「三宝の集い・墨蹟展」などの活動を続けて参りましたし、また、数多くの貧困の方たちや弱者を救済しようとする支援団体には、疑うこともなく浄財を託したり、また、仏教を学ぶ外国の若者を支援し「良いことをしている気分」に浸っていましたが、自身の人生を捧げる点では、やはり尾畠さんの前では影が薄くなります。
今回、今村先生のお話をお聞きし、彼の生き様も垣間見せて頂いた気がします。あまりにも、飾らずラフにおしゃべりされるお人柄は、嘘偽りを感じさせません。あまりにストレート過ぎて、疑る余地もありません。
二つの営利目的の株式会社と、非営利型の社団法人をうまく活用され、ちょっとつまずいて、やる気を失いかけた子どもたちに、踊りを通じて再びやる気を起こさせる活動をされておられ、ご自分もその若者たちのリーダーとして、ご自分の人生をも楽しんでおられるご様子。
尾畠さんは、お一人でご自分の経験と肉体を使い活動しておられますが、弱者救済へのご奉仕をさせてもらえることに、誇りと充実と幸福を感じながらいきいきと生きておられる。
南の国に生き甲斐を見つけた、小泉会員も、ご奉仕させていただけることに生き甲斐を感じつつ、仏教僧らしく、伝教大師のお言葉、「忘己利他慈悲之極」を実践されています。
「自分のことは後まわしにして、まず他人に慈悲の心で接する、それは仏さまの行いで、そこに己の幸せがある」という意味です。
人生の後半にさしかかったら、そんな境地になりたいものですね。


※( )内は、編集者が、一般の方にもわかりやすくつけ足した文言です。
写真・文・編集:藤野正観