仏教クラブ 彼岸会例会

場所:京都タワーホテル9階「飛雲」 18:00~

 

進行:信ヶ原事務局長
皆さんこんにちは。 今年は本当に本当に暑い夏でございました 。暑い夏とともに西日本の大洪水。 それから、北海道の 大地震。 それから、9月4日には、大変な台風がやってまいりました 。皆さんのお寺や、皆さんのお家の方も大変なことにおなったと、チラチラと聞かせて頂いております 。
うちの壇王法輪寺も、大屋根も山門ももやられました 。そのような状況でございます。
さらにさらに鞍馬山であるとか 、それから、もっともっと山の方にある 掃部前事務局長のお寺である善峯寺のお山も 大変な被害を受けられたそうであります 。
被害に遭われたお寺さんは、これからの復興が大変でございます 。私も心労が重なりまして口の方に熱の花が出ております。
そんなことで、今日は秋の彼岸の例会でございます 。彼岸会例会を今から始めさせていただきたいと思います 。

 


 

 

開会の挨拶:大谷義博会長 
皆さんこんばんわ。 いつもこの席に立たされますと緊張の極みでございます。喉をちょっと痛めておりますが 、お許しいただきたいと思います 。
先ほど事務局長からも日本列島が荒れに荒れていることをお伝えいただいたのでございますが 、私は東京におりまして、今回は、東京の方は、ほとんど被害はなかったのでございますが 、それにいたしまして、北海道の地震、それに関西、そして九州の方の水害と 、本当に色々と日本全国荒れに荒れているようなことでありますが、私も、北海道の震度7の地震発生の5時間後には、に函館まで行く予定でありましたが 、行くのを中止しまして 、その前に宅配した法務の衣装やお土産 が未だに帰って来なくて、中に入っていたお土産の賞味期限ももうすぐ切れるところであります 。(笑い)
合わせて、この私も賞味期限の中におりますので 、そろそろ切れるのかなとこのようなことを考えている次第でございます 。(笑い)
ま、そんな中でもこうして大勢の方が例会にお集まりいただきまして誠にありがたく思っております 。今回は秋彼岸例会でございまして、今日は身近に感じるお話を聞かせていただけるということで楽しみにしております 。よろしくお願いします。今日はご参加いただきまして、ありがとうございました 。

 


新入会員のご紹介 :真宗木辺派 林猛雄氏

僭越でございますが、たただいまご紹介に預かりました林猛雄でございます 。
私もこのような荘厳な席に列席できたことを、ご先祖と共に喜んでおります。
実は、私の父親は、浄土真宗本願寺派 の15代続いておる 寺の住職で私はその三男でございまして 、そのご縁で、こうして皆様とご一緒させていただくことができたと、またこの度は、壬生寺の松浦俊海貫主様と上岡社長様の、共に龍谷大学のご縁でございまして、私はそこの後輩でございますので、そういうことで、このような ご縁を頂いて 、仏教を通しまして、皆様と御一緒に、崇高な理念と共に、社会に貢献、ご奉仕できますことを、心より感謝と御礼を申し上げる次第でございます。今後ともよろしくご指導いただきますようにお願いを申し上げます 。ありがとうございます。

 


 

会員スピーチ:石井民生会員の代理で、公益社の西山氏にお話頂きました。

「最近のお葬儀事情」 

㈱公益社 西山 嘉文 氏

会員スピーチをお願いしていた公益社副社長の石井会員のご都合が悪くて、公益社の営業をされておられる、西山様にピンチヒッターをお願いされました。
西山さんは、平成3年に公益社に入社 。営業部23年 。渉外部 4年。勤続27年一級葬祭ディレクターの取得をされておられるそうです。

 

皆さんこんばんは、株式会社公益社の渉外部の西山でございます 。今日はこのお話をする予定でありました(副社長の)石井の方がですね、会社の重要な会議がありまして、私が急遽ピンチヒッターとなったわけでございます 。
どうしても役員として 抜けられないということです。
皆さん、「嘘やろう」というお顔をされていますが、本当でございます 。

最近の葬儀事情ということでお話をするということでしたけども、前に居られる諸先輩方が、お寺さんばかりですので、仏教関係のお話ですので、あまり差し出がましいお話をさせていただくのは、気が引けるのですが、少しだけそんなお話をはさみながら、「現代の葬儀事情」をお話させていただこうと思います。無礼なことを申し上げることもあると思いますがどうか大きな愛で包み込んでいただければありがたく思います 本日は、どうぞよろしくお願い申し上げます 。

公益社に入社した頃

先ほどもご紹介いただきましたように、 私、平成3年にこの株式会社公益社の営業部というところに入社させていただきまして 、営業部は、お葬儀の現場で司会をしたり 出棺のお手伝いをさせていただいたり と、皆さんに身近に接する部署でございます 。
3年間、私は先輩方について修行させていただきました 。4年目にお葬儀の現場で私も一緒にいる先輩についてお仕事をさせていただきました 。司会をしたり実際に納棺をさせていただいたりと 約20年間、その営業部として、お仕事を続けてまいりました 。
4年前に渉外部というところに移りまして病院も含めまして、お取引先に出向きまして、もし何かありましたら公益社がお力になりますよと 、お声をかけさせていただいたり 、困っておられる方がおられましたら、生前予約、それと企業さんとかですね 老人クラブの方に出向きまして「終活セミナー」、最近よくお聞きになると思いますが 、セミナーの講師という形で 、壇場に立たせていただくことがあるんです が、なにせ、私は、根が緊張しーでございまして、壇上に立つと 言葉に詰まったり、今もそうかもしれませんが、顔が真っ赤に なり、喋れなくなってしまうこともあるんです 。
それでも、なんとか四年間、お仕事を続けさせていただいております 。
今まで会社に27年間おりまして、その中で 気づいたことなどを、お話ししていきたいと思います 。

納棺師と葬祭ディレクター

えーとですね、私が入社した頃といいますのは 、3年間修行をさせていただいて、それから現場に出させていただくということが通常だったのでございますが 、ちょっとお話が変わりますけども、10年ほど前に 、映画「おくり人」がヒットしたと思うのですが 、このお話は山形県の 納棺師という方のお話でございまして、 亡くなられたかたを綺麗にお化粧させていただいて 、衣装を着せて、ご納棺させていただく お仕事ですが、そんな中で、主人公の納棺師に色々葛藤があるというようなお話だったと思います 。この映画の主役の方が本木さんという元ジャニーズの 男前の方なんですけども 、その方が主役を演じられたからかもしれませんが 、納棺師になりたいという方が急増しました 。
で、もちろん公益社のほうにも、納棺師になりたいということでですね、会社のほうにに入れてくださいと、面接を受けに来られることが多くなったんですけども 、あのー、ま、ご入社いただくにあたって公益社ではこのようなこともやっていただかなくてはなりませんよ 。ということを言いますと、 ほとんどの方が面接をあきらめて 断られる。そういう状態になりますそれがなぜかと言いますと 、納棺師というのは(ご遺体の)お体を綺麗にして お着物を着せて 綺麗にご納棺をして 最後のお別れされる準備をするということなんですけども、当社公益社では 、入社をしますとまずは電話でご相談を受ける 。そして病院に迎えに行きます 。体をきれいにして、衣装を着せます 。それとお葬儀の打ち合わせ 、そして棺に入っていただきますご納棺式 、それと式場の設営 、それとお通夜、告別式の打合せ、司会 の決定、それと、斎場へのご案内と収骨案内 。
その後に葬儀が終わってからの打ち合わせ 。いろんなご相談がありますので 式後のご相談までお受けします。これが全て一人でできるようになって、はじめて表に出させていただけると、そういうことになっております 。
でこういうことを全て勉強して するんですよ。とお話をしますと、「何だ、納棺をするだけじゃないのか 」ということで入社を断念されることが多いと思います 。で、最近はですね、ちょっと、公益社以外のお話をしますと入社しまして3ヶ月ほどですね 、式の担当をされて火葬場までついて行くという会社もあるようです 。後は電話や、インターネットでお葬儀の相談を受けて 他の葬儀会社に仕事を回すといったような仕事をされる会社も増えてきたようです。 インターネットだけでお葬儀をお受けするというそんな時代になってきたようです。でも、これでは心のこもったお葬儀ができないのではないかと、そのように思っております 。
公益社では出来る限り皆様と直接接して、心を込めて皆さんの ご相談に乗りたいと思っております 。
私の時には3年間先輩について修行しておりましたが 、最近では5年間実務を経験して厚生労働省の認定の、先ほどもご案内して頂きましたが、葬祭ディレクターの技能試験を受けさせていただきます 。それは5年間実務を経験しておりますと、受けさせていただけるんですけども 、その技能審査を受けまして一級葬祭ディレクターの資格を取りますと、一人前として、一人で先輩に付かずに、式の担当をさせてもらえるということになります 。あのぉ、試験上、1級葬祭ディレクターになったとしても 、実務経験が5年と言いますとまだまだ経験不足で未熟であると いえます 。
現場に出た時は、地域の習慣とかですね 、宗教上の問題、宗派の問題 など皆様方ご住職に教えていただかないと成り立たないことでもあります 。知ったふりをして進めますと間違えますので 、公益社では、きちんとご住職にご相談して、式の流れを決めるんですよと、先輩たちから後輩に受け継ぐように指導しております。
私も新人の頃そうしておりましたし、20年後も同じようにしていることと思います。
ご葬儀の始まる前には、ご住職のおられるところに行きまして、必ずご相談させていただくということにしております。本日のご葬儀はご親族が3名ほどいらっしゃいます。また ご焼香はいつ始めさせていただければ、よろしいでしょうか、またご弔電がありますが、いつご紹介させていただければよろしいでしょうかなどと ご相談するんですが、ご住職によっては、いつも通りと言われる方もおいでになり、「いつも通り」と言われても、ちょっと困ることもありますので、「教えていただけませんか?」ということで、何か教えていただいて進めていくのでございますが 、最近の新人の方に聞きますと、皆さん、よくよくご住職に教えていただけるんですけども 、その中で、色々宗派によって違いますんですが 、正信偈が始まりましたら、しばらくしたら焼香を始めてくださいよ。とか、引導を授けたら座るからとか、木魚をたたき始めたらとか、その中で、(まだ経験と)知識のない新人は「諷誦文が終わったからと言われました。諷誦文って何でしょうか?」と、言われるんですけども、「それぐらい勉強しておけ」と、逆に先輩に怒られることになります。
(ご導師の)作法が終わりましてから、 お焼香を始める。ということになります。
で切磋琢磨しながら新人もですね、1年、2年かかって、皆様方に教えてもらって、勉強しながら一人前になっていくわけでございます 。
ですので、新人なり社員がですね、(葬儀の前に)ご住職の前にご相談にお伺いした時には、どうぞ大きな心で受け止めていただいて、ひとつひとつ小学生に教えるように丁寧に教えてやって欲しいと思っております 。そうしますと、そのご家族のご葬儀もスムーズに執り行われると思っております 。
お願いばかりしておりまして恐縮なんですが 、よろしくお願いいたします 。

京都の火葬場事情

で、京都の人口なんですけども平成30年7月現在で、 間違ってたらお許しいただきたいんですが京都府の人口約 259万人おられて そのうち京都市内の人口は約147万人 と言われています。半分以上がこの京都市内にお住まいということになります 。で、昨年の京都市の死亡者数というのが 14751人、京都市の総人口からいますと、およそ1/100ということになります 。100人に1人、つまり1%の方が毎年お亡くなりになるということになります 。
こちらの会場におられる方が、約70人ですので2年経ちますとこの中で、お一人はお顔を見れないという、そんなことになるかもしれません。
まあ、これはお年順ということではございませんので 、 私の方が先に皆さんの前からいなくなるということになるかもしれません 。私の母親も46でくも膜下で亡くなりましたので 、いつもセミナーで言っているんですが、「ご自分が元気なうちに、残されたご家族のためにも、死の準備をしておくということが大事ですよ。」ということを、いつもお話をさせて頂いております 。
今、京都市で100人に1人っていう話ををさせて頂きましたけど 、一年間の休みの日を引きますと、 1日約50人の方がお亡くなりになる勘定になります。 そういう計算になります 。
で、そこにですね京都市近郊の市 、向日市、長岡京市、大山崎 市などいろいろありますけども、そちらからもこの京都市の火葬場の方に来られます 。京都市の方では、近くに宇治市というところがありまして 、宇治市の火葬場があります 。天ヶ瀬ダムの方の近くにあります 。1日に火葬をする数の制限を設けておられますので 、どうしても今日、火葬をしたいという方も 制限数があり、できないということになってしまいます 。
宇治市の方で、今日中に火葬をしたいという方が、京都市の火葬場に来られることがありますので、京都市の火葬場が混んでしまうというのが現状でございます 。
京都市民の方はですね、火葬をするのに2万円ということになっているんですが 、京都市民以外の方は京都市に市民税を、払っておられませんので火葬料金が10万円ということになっております 。5倍ほど支払われるんですが、ただ、火葬場を持っておられない地域は、10万円というのはちょっと大変なので、その市や町から補助金が出るということになっているそうでございますから、事前にご相談をされておかれることをお勧めします 。
で、今から37年前、1981年の 3月まではですね 北区の蓮花谷火葬場が 運営されていたそうです 。私が13歳の頃ですから、小学校6年生の頃ですね 。
その同じ年の4月から 災害用として置いときますということで 、稼働をちょっと自粛されておりました 。30年間稼働を稼働されずに置いとかれましたけども 、もう使うことはないだろうと 言うことで、廃止されました 。
その30年間でですね一度 その蓮華谷で火葬をしましょうということがあったんです 。覚えておられますか皆さん?わかられます ?・・・・。(会場ざわざわコソコソ )
阪神淡路大震災がありましたね。その時に、 被災に遭われた方々を、その 蓮華谷の火葬場でしようということになったんですけども 、その施設が老朽化し過ぎ、できなかったということがあったんです 。
実際には、京都市の火葬場(中央斎場)ですることになったんですが 、毎日、自衛隊のトラックでですね、何十体とご遺体が運ばれておりました 。
私、京都市の回し者ではないんですけども この京都中央斎場は 関西唯一のですねロストル 方法 と言いまして非常に素晴らしい火葬の方法なんです 。
炉の中に、 ご遺体を納めてですね、入れたそのままの姿勢で、(遺骨が)出てくる 。
ま、宇治市もそうなんですけども 、ご遺骨を鉄板のお皿でですね、ちゃんと受けさせていただきまして 、鉄板を引き上げて鉄板の上で冷却をしまして それから収骨をする という方法で、画期的なんだそうです 。
火葬自体に50分 、それと冷却に40分 かかる方式で合計一時間半くらいで収骨ができますよと方法です。
京都市の発表ですと、え~と、 1日に120件 のお葬儀ができるということでございます 。
ということで、大震災の時にも頑張って対応されておられました 。ただし、1日に120件のご遺体を火葬できる能力はありましても 京都市の方は宇治市と違いまして 時間制限の受付を設けておりません。
受付の時間はですね、朝の10時から夕方の4時30分までとなっております 。その間に来ていただきましたら結構です ということになっておりますので 、午前中のご葬儀が多かったりとか、 午後からが多かったりとか 集中する時間が多かったり 、後は、友引という日があります。この日にお葬儀を避けるという 一般的な習慣がありますけども。何のいわれもありませんので、この日に火葬をお願いしてもいいんですよ、とご案内するんですけども、その日に火葬場が休まれたりとかメンテナンスをするとか、されますので友引の前の日とか、友引のあけの日が、ものすごく混んでしまうという状況にあります。
1時間半待って、ご収骨をして、2時間ぐらいで火葬場から帰れる予定でおられても、収骨をするためのお部屋が 、3年ほど前はですね、5部屋しかありませんでしたが、今ちょっと改修されまして、今は、7部屋になっております。この7部屋の収骨のお部屋をご利用されるのに時間帯によりましては、十数軒が、お待ちになっておられるというのが現状でございます 。
で、時々ですね火葬場で何時間も待たされた方が、公益社に待たされたということをおっしゃる方がおられますが、公益社が待たせたのではなく、火葬場が混んでいた。ということでございます ので。火葬場の方が時間制限を設けておりませんので、時間帯や日によっては、混み合うことがあるということを覚えておいていただきたいと思います 。
そして、、また、ご寺院様の方もですね、最近は初七日の法要をその(葬儀の)日のうちに済まされることが多くなりましたが、お時間が遅れましても、公益社を責めないようにお願いを申し上げておきます 。他の、葬儀会社の方にも、責めないようにしてあげてください 。よろしくお願いします 。
あの~、(このように)火葬場からお帰りいただくのが、京都では遅くなることが多くなりますども 、そういうことで、10時には10件、11時には10件と、時間制限を設けて受付を平均的にましょうと 市議会で提案されたこともあるんですが、この時間制限を設けますと、皆さん、市民のですね、ご都合がつかなかったりとか 、大混乱が起きるのでは、ということで 今、その提案は保留になっております 。時間制限の受付は見送られております 。
ということでご葬儀の日程は、ご住職の空いてる時間帯とご家族のご都合のよい時間と葬儀会社の式場の空いてる時間帯。 この三つを合わせてご葬儀の日程が決まるわけでございます のでよろしくお願いします。

田舎のお葬式

と、いうことで、京都ではそういう状況なんですけども私の 妻の里ではですね、大分県の田舎なんですけども 、村ですけども 、火葬場に行きますと手を合わせて炉の中に入ります 。
火葬が始まりますと、皆さん一斉に、家に帰ります 。
京都のように火葬場で待っていたりはしません 。
家に帰りましてお酒を飲んだりご飯を食べたり しまして、約2時間から3時間後に 火葬場に行って収骨するということになります 。
その待ってる時間ですね、ご住職を中心に、ご家族や、ご親戚、その葬儀をお手伝いをいただいているご町内の方々と一緒に、ご飯を食べたりして ワイワイにぎやかに49日の法要の打ち合わせや忌明けのことなど、お話ししながら過ごされます 。
こうして、私の妻の祖母が亡くなった時にも、このようにしてワイワイ過ごしました。こういうのも良いなと思いましたけども、 あれを、京都でするとどうも難しい と、思いますので 、京都は火葬場で待って 、収骨して帰ってくるのがいいかなと思っております 。
ただ、思ったのが、このワイワイガヤガヤが、皆さんとのコミュニケーションになって、 親戚とか、ご町内だとか、また菩提寺であるお寺様との コミュニケーションが 、檀家さんも維持でき、また増えていく事にもなるのかなと思っております 。

それと、私が小さい時の思い出といたしまして 、お葬儀というのは今のように会館というのが少なくて、 お葬儀会社の会館で、葬儀をするなんてという時代やったと思いますし、(葬儀会社が)周りでもそんなにありませんでした 。公益社も宇治の方に一軒と 、セレマさんが円町の方に一件ぐらいありましたかね 。そういう限られた地域のところにしか会館がありませんでした 。ですので、ご自宅でするか、お寺さんを借りてするかしかありませんでした 。団地などでは、集会所でしました 。そうしますと、親戚のおじちゃん、おばちゃん、そして町内のおじさん、おばさん も来てくれまして 、みんなが炊き出しをしてくれましてね 、ワイワイガヤガヤと葬儀が進んで行くということになりまして、私の子供の頃は、知らないおばちゃんに、「早よご飯食べなさい!」って怒られて、なんで、知らないおばちゃんに怒られなあかんのかなと思ったことを覚えております。お寺さんが来られたら、「今からお通夜が始まるよ!」ということで皆が勢揃いし、お通夜が始まったという覚えがあります。こういう風に、ご親戚の皆さんやご近所の皆さんとでお食事の準備をするとか、ワイワイ 葬儀の準備をするのも、(ちょっと昔の良き)コミュニケーションの一つだったのだと思います 。
昔はですね、(通夜で)ろうそくを消したらあかんよとか よく言われたんですが、そのろうそくの灯を寝ずに番をしていたりしていたのですが、 最近、(葬祭)ホールでは消防署の方から「一日ろうそくの火を灯して目を離すのは駄目ですよ! 」ということで、電気のろうそくになって 、夜は寝てしまうということが多くなりました 。
昔でしたら、ご遺体の周りに皆さんお集まりいただいて、故人様が、お酒が好きだったということで皆さんで、一緒に朝までお酒を飲んだり、麻雀が好きだったということで雀卓を囲んでいますと、その周りを子供が走り回って疲れて寝てしまうという、そんな一晩を過ごすということをされていたりしたものですが、そんな光景もだんだんと薄れてしまって 、ホールでは火を消して寝てしまうということが普通になってまいりました。
そういうことも含めましてコミュニケーション、皆さんの集まりということが簡素化されてしまった結果、今では「直葬」、そして「家族葬」 というのが増えてきました 。

直葬と家族葬

直葬というのは亡くなった場所から直接、火葬場に行くということだそうでありますが、実際には京都でありますと、病院で亡くなられる方はまだまだ多いですから病院の方に御棺を持って、そのまま火葬場に行くのは難しいです。 病院の方で怒られますのでね。他の患者さんもおられますし。
そうしますと、病院の方で亡くなられますと各式場 、もしくは故人様のご自宅に帰っていただいたり、ご寺院の方に向かわせていただき、お寺さんをお借りして、(ご遺体の)ご安置をして、24時間経ちましたらお葬儀もなく、火葬場に向かうということになります。これを、じきそう(直葬)といいます。

現在、公益社の方では、6割ぐらいの方が家族葬というお葬式を選ばれております 。もうほとんどの方が、うちはもう家族葬でやりますと言っておられますけども 、家族葬という気持ちだけで案内しますと家族だけでやります。ということになるのですが 、お友達を招いての家族葬ということになるのがほとんどであります。後祭壇もいりませんという方もおいでになりますけども 、ろうそく、線香を立てなあきませんよ。キリスト教でしたら十字架を立てないとあきませんよ 。という話(説得)をしまして 、(祭壇など)何もいらないと言うのは無理があるかも・・・と、少しだけ納得していただけるというのがほとんどです 。と、いうことで、本当に家族葬が多くなってまいりました 。

困ってますというのはですね公益社の方だけではなくて、菩提寺のご住職もお困りなんです が、お寺さんに(亡くなったことを)言わずに、直接、葬儀場に行きたいというご家族の方も出てきておられます 。で、こういう方に対してはですね公益社では 、「ご住職に何も言わずにそのまま火葬されますと後で困ることが色々出てきますよ 」今までご先祖様が頂いていた戒名は、 どうするんや ?お墓がある場合はお墓に入る時には、どうするんや? そういう時のお勤めもできませんよ 。
そういうのは一切いらんという方もおいでにはなるんですけども、ちゃんとご説明をしますと、やっぱり、お参りしてもらおうか。ということになるのがほとんどでございます 。
ということで、ちゃんと説明するということによって、(喪主が)菩提寺に連絡をされ、お通夜やお葬儀にご住職に来ていただけるということになると思います 。
あのー、公益社がお葬儀をさせていただく時に、公益社が、お寺さんを呼ぶとお高くつくと思われてる方がたくさんおられると思うんですが 、お寺さんが来られても、来られなくても公益社の料金は一切変わりません 。それはご家族の方にはお話をさせていただきます 。
何か、家族葬にしたら(葬儀費用が)安くつくという風に思われてるようですが 、実際にはお荘厳は要りますし 、休んでいただくお棺が必要です 。お花を飾りたいという方はお花を飾らないといけません 。なので、家族葬であっても一般の葬儀であっても、最低限必要なものはありますので、その話をさせていただきます 。
いずれにせよ、省けないものは省けませんので 、お寺さんを呼ばなかったら安くなるということではございませんお寺さんを呼ばずに、後はどうされるんですか?と聞きますと、「火葬が終わってからお寺さんを呼びます。そして戒名をつけてもらいます。法名をつけてもらいます。」 と言われるんですけども、 後につけてもらっても先につけてもらっても同じなので、(故人の)お遺体があるうちにお参りしてもらった方が良いのではないですか ?亡くなった時に、お寺さんにちゃんと連絡をして、「これからどうしたらいいのでしょうか?」とご相談されるのが一番良いと思います 。お寺さんが「火葬が終わってからでもいいですよ。」と言われたらそうされたらいかがでしょうか。と申し上げております 。

葬儀は、良きコミニュケーションの場

先ほども申し上げましたが、昔はお寺さんとコミュニケーションが取れていたと思います。私の小さな時などは、お寺に遊びに行って、キャッチボールをしたり、土塀にサッカーボールを蹴って、跡をつけて(住職に)怒られたりそういうことも何度もありました 。
今は、お寺に勝手に入ると怒られたりしますので、なかなか入れませんので、コミュニケーションの取り方もなかなか難しくなっておりますけども、 どうか、どうかお寺様も皆さんのご家族も、素晴らしいコミュニケーションをとりながら生活していただきたいと思っております 。
今は、直葬、家族葬でもそうなんですが、何でも簡素化、簡素化という風になってきております。簡素という価値観に翻弄されていても仕方ありません 。
簡素ということは、単なる省きということになります。そういうものですが、皆さんも、しっかりと(ご家族やお寺さんと)お話をされた上で良い方向に進むのが理想だと思います 。そういうふうに、コミュニケーションをとりながら亡くなられた方が、どうしてもらったら喜ぶであろうかという事を、皆さんでしっかりと話し合って、お葬儀を進めていくように、公益社の方も、アドバイスさせていただきたいと思っております。

それと葬儀の中で、お寺様の法話とかされるケースがあるかと思いますが、最近の若いお寺さんの場合は、お通夜の後、初七日の後 等に法話をされる方が少なくなってきました。
これは時間の問題もあるかもしれませんが、法話の方も一つのコミュニケーションでございますので、悲しみのご遺族が癒されるツールといっては失礼かもしれませんが、心が癒される大切な話だと思いますので、通夜の後や初七日の後、ご法話を頂けると良いかなと思います。ちょっと上から物を言ってるみたいで恐縮でございますが 、お偉い先生方の前でこういうお話をするのは、大変失礼だとは思いますが 、よろしくお願いします。

そういう意味でも、私の方はですね、10月の20日 、「三宝の集い」で 四人の先生方に法話をしていただけるということで、そのチラシを 老人クラブの方とか 企業の方に、ご挨拶にお伺いした時にそのチラシをたくさんお配りして「良いお話が聞けるよ。」と、少しでもたくさんの方にそのお話を聞きに行っていただきたいと思って、おすすめし、宣伝しておりますので、よろしくお願いします 。

時代が変わってもですね、古き良きものは大切にして 、簡素化ばかりが良いのではなくて、これからも前に進んで行きたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
ちょっと、最後にとりとめのない話になってしまいましたが 、お許し願いますよう、よろしくお願いいたします 。誠にありがとうございました 。(拍手 )


 

乾杯発生
藤田浩哉会員

皆さんこんばんは、泉涌寺(宗務総長)の藤田でございます 。
随分ご無沙汰をいたしまして 、久々に参りますと、乾杯の音頭をとれ、と、こういうことになっております 。
僭越でございますが、少しだけご挨拶させていただきます 。
ただいま、公益社の 西山様から、お寺にとっては、本当に身近なお話を頂戴いたしました 。
私は、先日お亡くなりになりました、公益社の松井昭憲 社長様には、公私にわたって大変お世話になりましたし、また、お寺では、社長様をはじめ社員様には、 何十年もの間、色んなご相談をさせていただいております 。
西山さん、貴重なお話ありがとうございました。

え~、先ほども会長さんがお話になりましたように、災いは、忘れた頃にやってくる 。
最近は、天災は次から次へやってくる 。本当に困ったものでございます 。
私の自坊(今熊野観音寺)も、大きな樹木が倒れまして困っておりますが、それでもまだまだうちの寺よりも、ひどい被害に遭われた寺もあるようでございますので、仕方がないと諦めるより他がないと思っております 。
もうすぐ彼岸でございますので、檀信徒の方がお参りくださいます。
境内をもう少し綺麗にしたいのですが 、石屋さんも瓦屋さんも植木屋さんも、業者さんがみんな忙しくて、すぐに来れないと言った状況でございますので、 順番待ちといったところでございます 。

天気穏やかならんことを祈願して、 皆様方のご健勝 ご発展を祈念して乾杯 !


 

     
     
     

【編集後記】
葬儀会社と、お寺とは、蜜月な関係があると勘繰るのが、一般市民の常です。
直葬とか家族葬とか、お葬式をなるべく簡素化し、おまけに、墓仕舞であったり、寺離れであったり、なるべくお金のかからないようにと、実行できるかどうかは別として、中高年世代の一部の人は、考えているようです。編集をしているこの私も68歳のすぐ手前。 この世代のこういった気持ちもよくわかりますので、今回は、その立場から編集後記を書いてみます。

今、熟年といいますと、戦後生まれの団塊の世代となり、自分の親の葬儀を直近に控え、自分自身の葬儀のイメージもしています。
今まで、何度も参列した親戚、知人の葬儀において、葬儀や法要の慣習に疑問を持っている方も増えているようです。
ネットなどでも、そういった価値観の確認が行われていますから、これからの若い世代はもっと真摯に現実を見つめながら、習慣、慣習を受け入れることになるのでしょう・・・。

葬式こそが仏教であり、僧の出番であると思われている方も多いと思いますが、真面目にきちんと仏教に向き合い、仏法を学べば、実は、仏教とは生きている人の為の教えが主であることを知ることになります。今の中高年の方々は、自分でよく勉強をし、そう理解しておられる方も増えているようです。

真の仏教徒とは、人は如何に生きるべきか、何を幸福とするか、を考え追及するのが本来ですから、この公益社の西村さんのお話された内容すべてが、葬儀業者がお寺に媚びて忖度しているような印象をおもちになる方も居るのではと思われます。

この葬儀業界の一線でご活躍されておられる西村氏のお話の書き起こしをお読みになった方は、うすうす気づいておられるかもしれませんが、葬儀会社にお願いすれば、逆説的に考えれば、葬儀は単にお別れ会、お寺さんが居なくても、葬儀はできるということになりますし、お坊様とご遺体だけで葬儀が成り立つということにもなります。

西村氏は、「これからの時代、葬儀の簡素化も良いけど、古き良きものは繋ごうではないか!」とお話の最後に結んでおられましたが、その古き良き部分とは、何なのか、日ごろ疎遠になっていた親戚、友人等とこの機会に会い、親交(コミニュケーション)を復活できるし、菩提寺にとっては、檀家さんや参集された人々との親交を深め、法話で仏教的思考の感化をし、寺離れの風潮を払拭できる機会でもあるのではと言われていたと思います。

さて、お坊様のお立場は別として、現代人は、どうなのでしょう・・・。
もしかすると、「せっかく、疎遠になった親戚や知人とまた厄介な義理だけのお付き合いをしなくてはならなくなるのでは・・・。」が、本音かもしれません。
実は、無駄とはその類なのかもしれません。
義理だけのお付き合いではなく、血筋であれ知人であれ、本当に故人を偲び、送りたい人だけが参列してもらえば良い。義理や見栄の部分は省けば良いというのがその考え方の真意ではないのでしょうか?
ですので、「無駄なこと」とは、義理、見栄、虚栄、過飾…などのことだと思うのです。

やたらに多い客僧(役僧、用僧等)の数、やたらに豪華すぎる祭壇、豪華なお供えや食事。供物の送り主の名札など・・・、まるで華やかなスターの葬儀のような・・・あれは喪主の見栄(価値観)に同調したものなのか、本当の弔いの様子なのかは疑問です。
いづれにせよ、故人が現役世代か、90歳を超えた大往生世代かでも葬儀の内容は、変わってくると思われます。

心から故人を偲び、お別れをしたい人が集い参列してこそ、本当の葬儀といえると思います。
今までの、特に田舎にあるような一見豪華主義の見栄っ張り葬儀に、仏教を学ぶ中高年世代は、参列する度に虚しさや疑問を感じていたのかもしれません。
遠い親戚や、知人、隣近所に対しての、薄っぺらい見栄を排除できる世代が、良い意味での個人主義が身に付いた団塊の世代以降の中高年世代なのかもしれませんね。
そして、その中高年世代は、あらゆる機会において、真の仏教を学び、それを自分の人生に生かしたいと、仏法そのものを真剣に求めているようにも見えます。
高額な費用をかけて行われる仏式の葬儀が、その仏法の真の精神と、かけ離れてしまっては、本末転倒なのかもしれません。

 

編集・文・写真:藤野正観