三宝の集いお待ち受け例会 10月12日 (仮会場:京都タワーホテル)

いよいよ、20日に控えた新企画で挑む「三宝の集い」。
そのお待ち受けとして、詳細な報告と説明がありました。

大谷会長、開会の挨拶
皆さんこんばんは 、10月は実りの秋でございますが 、特に今日は,感激しておる日でありまして、昨日、仁和寺さまのご門主猊下にご就任されました(会員の) 瀬川大秀大猊下様、「お見えにならないだろうなぁ・・・」と、思っておりましたが、大変な激務の中を ご出席賜りまして、会員一同、驚いております。
本日は、我々会員の為に、また、色々と貴重なお話もお伺いできるであろうと思いますが 、この10月の(三宝の集い)お待ち受け例会は、非常に内容のある例会になるのではと、あらためて思っております。
私の自坊のある東京も、まだ衣替えを致しておりませんで、昨日、京都は、もう、夏の装いでは、寒いのではと思い、無理をして冬の恰好をして(晋山式に出席する為に)京都に来ますと、後楽園の何倍もあるような仁和寺の境内を往復させていただき、汗びっしょりになって、大変でありました。
しかも、加えて足が思うように動かず、ご出席の皆様にはたいへんご迷惑をかけたということでございます。
そんな中、我々、一年かけて準備をして 参りました「三宝の集い」、何事もなく盛大に挙行されるように、願いひとつで先ほども運営委員会が終わったばかりでございます。
今年も、会員の皆様方のご協力ご支援を持ちまして、(初めての試みであるいつもと違う)「三宝の集い」が成功しますように、皆様と共に力を合わせて頑張りたいと思います。本日はご出席いただき、ありがとうございました。(会場拍手)


鈴木次長より、
約30分、「第24回三宝の集い」の詳しい説明がなされ、20日当日の日程などが紹介されました。
当日の、会場における受付、案内、接待、販売係等は、事務局員と運営委員とで割り当てられました。

今回の講師のお一人、本多会員が重いご病気で臥せられておられることに触れられ、当日は、ビデオによる出演(講演)もあるかもしれないが、このことは当日にならないと分からないことでもあり、急に分かったことでもあり、開会式のおりに、その旨を入場者にお断わりするしかないという報告がありました。


瀬川大秀会員 乾杯の発声

皆さん、こんばんは。
先ほどご紹介いただきました。といいますか、また、帰って参りました、というべきでしょうか。
昨日は、大谷会長様、また、役員の皆様には、わざわざ、ご来寺いただきまして、仁和寺の立部(前)ご門跡様が五十世でございますから、私が五十一世になります。
五十一世の門跡を拝名致しまして、昨日は、金堂におきまして、ご本尊様が、阿弥陀さまでございますのでね、阿弥陀様にご報告させていただいて、その後、全日空ホテルで祝ってやろうということで、(晋山の祝賀会がありました。)
ま、そういうことで、昨日は、たくさんの方々にお越しいただきました。ですから、もう逃げられない・・・(笑い)と申しますか、腹を決めなさい、と、こういうことだったと思います。
そういうことで、また仏教クラブの皆様方にお付き合いいただきまして、先程の「三宝の集い」の講師の高僧様も、さすがに仏教クラブならではの、(最高の)講師の方々でございます。
本当に、この(クラブの)メンバーの方々と、いろいろ語り合ったり、またいろんなご講演を拝聴できたりと、そんな、仏教クラブに席を置かせていただけるということは、私にとって、誠に、もったいないことでございます。
来年は、総本山仁和寺も、370年ぶりの、三代将軍徳川家光公が寄進されました重要文化財の観音堂の修理が完成いたします。
それに際しまして、金堂(国宝)、ま、本堂でございますが、これが、御所の紫宸殿、わが国で一つしか無い、これも、三代将軍家光公が応仁の乱で痛んでおりました仁和寺へ、京都御所の紫宸殿を仁和寺に移築致しまして、その後は、すべて家光公によって御所が新しくなりました。ところが、不幸なことにその御所が焼失しました・・・。
なんでも、お話を聞いておりますと、檜皮葺でございますのでね、夜、屋根に火が点くと朝方までわからないといったことで、気が付くと火の海だったということでございます。
そう致しまして、最後の家老でございますね、井伊直弼によって今の御所が建立されてございます。その時に、紫宸殿を元の姿に戻してほしいと、こういう希望がございました。
そうしましたら、大工の棟梁が、「どういう風な形にしたら良いのでしょうか?」という質問を致しております。
そう致しますと、「仁和寺にある金堂を見て来てくれ。」となったわけでございます。
ですから、今の京都御所の紫宸殿は、仁和寺の金堂をモデルに致しております。
まず、(紫宸殿に)入りますと、天井がございません。そういたしまして、大広間のワンルームでございますね。これも、すべて仁和寺の金堂をそのままを捉えてございます。
この、仁和寺の金堂が、これも、修理が完成いたしまして、わが国で、今、残っております、京都御所の紫宸殿は、蔀(しとみ)戸まで、すべて漆でございます。
この漆が、修理いたします時に7:3の割合で、日本の漆、そして、外国の漆を 使ってございまして、そういたしますと、漆を生産される方が、生活ができないということでございまして、というのは、子どもさんを学校に行かしたい、そして(豊かな)生活がしたいということで、国のほうが、「じゃぁ」ということで、全て、日本の漆を使いましょうということで、お願いをしますと、全国から五か所から、申し出があったそうでございます。
そして、それを、わが国最初のモデルとしまして、仁和寺のひと御堂をすべて日本産の漆でやりましょうということになりました。
この会場には、(文化財の修復に関わっておられれる)若林副会長もいらっしゃいますが、だいたい30回は塗るのだそうですね。そういたしまして、仕上げてまいりました。
この、金堂、そして370年ぶりの観音堂と、来年でございますが、5月から落慶法要というこでございます。
私、あのぉ、宗務総長を8年間勤めまして、観音堂の事業に取り組みまして、そして、(任務を終え)自坊に帰っておりますと、こうして、門跡としてもう一度、出てこいと、こういうことでございますので、観音様が、「おいおい、どうしたんだ」と、「修理をしておいて、その報告をしなさい。」と、ま、そういう風なことではないかと思いまして、ありがたく、恐れ多いこととは思いますが、51世の門跡として、拝受させていただきました。どうか、今後とも皆様、仏教クラブでございます。親心でひとつ育ててやろうと、新しい門跡を育ててやろうと、親心を持っていただきまして、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。(拍手)
どうも、ありがとうございました。
それでは、乾杯の音頭をとらせていただきます。
三宝の集いの大盛会を、ご祈念いたしまして、そして、仏教クラブの発展、そして、皆さまのご健康を祈念しまして、乾杯いたします。乾杯!! (拍手)

※11日の晋山式の様子が中外日報に掲載されましたので、『会員の最近の動き』をリンクしておきます。


 

編集・写真・文責:藤野正観