2019年5月10日、午後1時半にセンチュリーホテルを出発して、33年ぶりの御開帳ということで 神戸の摩耶山天上寺にお参りし、神戸の東天閣にて食事。午後8時半には予定通りホテルまで帰って来ました。

天上寺のホームページによりますと、大化二年、孝徳天皇の勅願により、インドの高僧法道仙人によって大化2年(646年)開創され、ご本尊は、お釈迦さまがみずから感成されたといわれる一寸八分の秘仏十一面観音です。(※お釈迦さまがみずから「感成」とありますが、この熟語の意味が分からないのではっきりとは書けませんが、お釈迦さまが自ら何をされたのでしょう・・・。)
また、弘法大師が唐に留学された際、当時中国で女人守護のみ仏として盛んに崇拝されていた梁の武帝自作の香木造りの仏母摩耶夫人像を日本に請来され、天上寺に奉安されたいうことのようです。
これ以来、この寺を「仏母摩耶山」(略して摩耶山)、寺の名を摩耶夫人の昇天された忉利天(とうりてん)にちなみ、「忉利天上寺」(略して天上寺)と呼ぶようになったそうです。
この摩耶山天上寺は、今から43年前の1976年(昭和51年)1月、不慮の大火によって七堂伽藍が全焼全壊したそうです。
その後、天上寺復興に心を寄せられる信徒並びに有志の方々の絶大なるご高援によって、今日までに金堂・金輪堂・鐘楼・摩耶夫人堂・一願地蔵堂・宗務所・密教学講伝所・天竺堂・漱水舎・天空之大舞台などが、天上寺創建の地・元摩耶で復興再建されたということのようです。
と、いうことで、33年ほど前に天上寺と縁のある若い仏師(仏工)が、摩耶夫人像をはじめ、他の佛、菩薩、明王等を造仏し、その内の「十一面観音像」、「不動明王像」、「毘沙門天像」を祕佛とされたようです。
天上寺は、この三尊をなぜ、祕佛とされたのか、ご説明はなかったのですが、いづれにせよ、33年前に造仏され、色鮮やかに彩色された三尊が祀られたお廚子(※ホームページには「宮殿」)が期間限定でご開帳されます。
金堂の内陣には、お祀りするお堂の完成を待つ愛染明王像など、美しく極彩色された密教の仏や菩薩たちが所狭しと配置され、内陣全体を照らす照明で彩色された像の色が鮮やかに浮き出ていました。例えが悪いかもしれませんが、ご法話を頂戴したご住職もちょっと触れられていたようですが、さしずめその若い仏師(1956年生まれ)の造仏の歴史を紹介するような展示会のようでした。
(※ちなみに、この当時、この若い仏工と筆者も関りがあったのですが、この天上寺の造仏を手掛けることになった若き仏師が修行した師の造仏工房から、許可なく仕事をしたということで、破門宣告をされていたのですが、私も若かりし頃の彼の「周囲のお世話になった人に対する不義理を平気でする」彼の人としての未熟さや性分に呆れていたことを、ご住職のご法話を聞いている途中、美しい仏様のお姿とは裏腹にそんなことを思い出していました。そんな彼の良く言えばおおらかな性格からか、ネット情報によりますと62歳の現在は、真摯な密教系の造仏に対する研究姿勢からご本を出されたりしたことが実を結んだのか、種智院大学の非常勤講師をされておられるようです。)

  • なお、天上寺での集合写真は。会員専用のページにアップしてあります。

写真:正垣・藤野

動画制作・文・編集:藤野正観