会長挨拶

皆さんこんばんは、わりと涼しい今日この頃でありますが、本日は大勢の会員にお集まりいただき、誠にありがとうございます。今日はゲストスピーチとして藤先生をお迎えしております。
たいへん楽しみにしております。
そして、久方ぶりに、有馬猊下もご出席いただいております。
先日は、おみえになるということで、お待ち申し上げておりましたのですが、今日、お会いできまして、喜んでおります。
時代は、複雑な時代になっておりますが、今選挙中でございます。思いがけないところから、ちょっと顔を出してくれと言われることが、よくあるんですけども、「長」がつくと、いろいろ利用されることがありまして、利用されないのは、「盲腸」だけだと思うのでありますが・・・(笑い)
参議院選挙もどうなるか、ハンセン病のこと判決が出ましたけども、ま、あれも選挙のにおいがするような気持ちでおるのですが、複雑な今の時代の中で、いろいろ考えておるのであります。
昨日から、東京地方は「お盆」を迎えております。
一週間でありますけども、ま、三日間が本来でありますが、今日もこの例会が終わりましたら、這ってでも帰らないと、私の居場所が無くなるもんで、途中から抜けることをお許しいただきたいのですが、
こうした、お盆の例会として、皆様と充実したひと時を過ごさせていただくことをたいへへん、うれしく思っております。今日は、ようこそ、ご出席を頂き、ありがとうございました。

名義変更の報告
山田松香木店 山田洋平氏
はい、今ご紹介にあずかりました、山田松香木店の山田でございます。
この会には、なかなか顔を見せない親父の代わりに、実は10年ぐらい前から、来ておったわけでございますが、今回、「令和」のタイミングで、社内の役職の変更がございまして、これをきかけに、仏教クラブも正式に正会員とさせていただいたわけでございます。
これからは、変わらず仏教クラブの為に誠心誠意尽くしていきたいと存じますので、皆さまご指導ご鞭撻を頂きたいのはもちろんですが、今まで通り、私のことを可愛がって頂ければと思います。今後ともどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


 

ゲストスピーカー 藤大慶師
「 被虐待・発達障害児増加の背景 」 藤 大慶 
社会福祉法人 るんびに苑理事長(浄土真宗本願寺派布教使・西福寺前住職)
るんびに学園サイト http://lumbini-ayabe.or.jp/

皆さん、こんばんは。
そうそうたるメンバーの方々を前にお話をさせていただくのは、ほんとうに冷や汗の出るようなおもいであります。
これから、少し聞いていただくお話というのは、たぶん皆様方あまりご存じないことだと思います。と言いますのは、私自身が九州の田舎の寺の7番目に生まれております。
戦後の自由主義の中で、ほんとにその申し子のように、そう、「自己中」のはしりでございます。
ですから、(この延長線上に育つ)今の子どもたちを見た時に、なんとかならないか、また放っておくわけにはいかないというわけで子供のお世話をさせていただくことになった次第であります。
何も、申し上げなかったら、この私がよっぽどりっぱな人生を歩んで来たのであろうかなどと錯覚なさると思うのですけども、実は、その逆でありましてね、悪いことばかりやってきた。その結果が、子供たちのお世話をやらせていただくことに繋がっているのだと思っております。
皆様のお耳をけがすようなことがいっぱいあると思います。どうかお許しくださいますように。

では、最初に「るんびに苑」がどういうものであるか、ちょっと(持参されたビデオを)観ていただいて、それから少し聞いていただこうと思っております。

(るんびに苑の創世記から今までをまとめたビデオの主な内容を以下にまとめました。)

現在(ビデオ制作当時)虐待や育児放棄などで親から見放されたり、自殺未遂、ひきこもり、不登校等様々な障害を抱えた小学校1年から中学3年生までの30名が共同で暮らしている。
スタッフは、児童指導員、セラピスト(臨床心理士)、医師、看護師、保育士、栄養士、調理師、事務員、園長、理事長等合わせて24名。
穏やかにのびのびと育ってほしい…これが「るんびに学園」の願い。

住職を務められた大阪府茨木市の西福寺を拠点に、和太鼓演奏を通じて、シンナー、家庭内暴力、自殺未遂などで揺れる中高生のための「るんびに太鼓」を発足させた。
家庭にいてはなかなか立ち直れないので「引き取って一緒に暮らす場がほしい」と常設施設の建設を思い立った。これは、亡くなった父親(九州の実家の寺)が事情を抱えた家庭の子を寺に引き取って一緒に育てられ、その後の活動の原点となり、始まりでもある。
やがて、賛同者が集まり1993年に「るんびに苑後援会(故寄氣恵山会長)」が発足した。
岡山県で施設用地の買い取り交渉を進めたが、地元の同意が得られず断念。
どん底に落ちた時に、綾部市十倉中町の現在地の話があり、市と地元に快く受け入れて頂いた。
そのころ、情緒障害児短期治療施設という名で、厚生労働省が各都道府県に最低1カ所をめどに計画していることを知り名乗りを上げた。
京都府からの社会福祉法人格の認可と建設資金の借り入れなど、多くの方々の温かいアドバイスにより資金援助が実現し、2003年6月に「るんびに学園」を開園できた。

はい、ありがとうございました。(拍手)
おおまかに、この「るんびに苑」のことをご理解いただけたと思いますが、先に申し上げましたように、さぞかし立派な人がやったのだろうと錯覚をなさる方がいらっしゃるかと思うのですが、私自身が、ほんとにひどい青春時代を送ってまいりまして、親父が亡くなったのは、私が殺したのではないかと思っております。親には心配ばかりかけていたのですが、ようやく私は、うちの奥さんの所(寺)に養子に行きました。やれやれこれで親としての勤めが終わったと、ホッとしていたようでありますが、そこの総代さんたちと、また大喧嘩しまして、「こんな寺なんか居ってたまるか!」と啖呵を切り、飛び出してしまいました。そんな時、親父は夜行列車でご本山から戻って帰っておって、くたくたに疲れていたことであろうと思いますが、そのことを聞いた親父の血圧がいっぺんに上がり倒れてしまい、その後、1週間、ものを言わずにそのまま逝ってしまいました。
どうして、この子はこんな風になってしまうんだろうと、親父は辛く悶々とした思いであっただろうと思います。ということで、今、ひとつだけ申し上げたのですが、これだけではありません。いっぱいあるんです。
それで、寺を飛び出し、「カウンセリング」を少し、学んでおりました。
カウンセリングを中途半端に・・・、何をやっても中途半端。子供のころからよく言われましたけども、「お前、半年も続かないな・・・飽きっぽいな。」何やってもダメなんです。

で、今の寺(西福寺)に来ました時に、この周りにも、私と同じような子供たちがたくさん居そうな気がしまして、悩み事相談をはじめまして、その中で8割ぐらいが、やはり子供の問題です。
そして、しばらくすると、シンナーがやたらと流行って参ります。小学校の子供でしたら割と手を差し伸べるのは容易なんですが、中高生になってくると、誰も手が出せない。
そんな中でたまたま和太鼓に巡り合ったもんですから、和太鼓教室を作りました。
最初に集めた子供たちの8割までが、シンナーを吸っておりました。けれども、その当時は分からなったです。何でこんなことになるのかよく分かりませんでした。
シンナーを止めてくれたら一段落、ちゃんと学校へ行くようになったらこれで一段落したみたいな、「現象」にとらわれたみたいな気がしております。

今、振り返ってみると、終戦を境にして、瞬時に日本が変わりました。
その第一号が私。戦時中のいろんな辛い思いもあって、その反動でしょう。これからは自分の為に生きるんだ。好きなように生きたら幸せになるんだという錯覚を、私はしてしまいました。
ですから、同じような世代が好きなように生きようとしていました。
ちょうど、私たち世代が親になったその頃から、青少年の問題がジワジワと出始めた。

その頃でしたけれども、誘われて、近所のスナックに行きましたら、先に若い男が飲んでいました。
そこへお母さんらしい人が遅れてやって来て、「遅かったやないか!」「亭主は寝た、子供も寝たから出てきた。」と・・・。しばらくしますと、いつの間にか(その亭主も子供も居る女と一人の男は)二人で出て行ったという状況でございます。

また、ある日、公園で子供たちがたむろしているというので、行ってみたら、寒い寒い真冬、霜柱がたつようなそんな日でした。その中の一人の子供がうずくまって居ます。「夕べから居たのか?」って聞いたら、「はい」と言う。体を触ってみたら、冷え切っています。直ぐに息子に連絡をして、温かい牛乳を持ってきてもらいました。
こんな寒い日に外で過ごす。普通なら考えられません。どんなに嫌な家でもあっても、温かい布団で寝た方が良いに決まってる。
でも、この子供には、温かい布団よりもこの凍えるような外の公園で過ごす方がまだ良かったのかと思うと、「何とかしてやりたい、何とかこの子の親から引き離してやらないとダメだ。あのグループから離さなければダメだ。」と、そんなことで、少しづつ私の気持ちが変わって参ります。

そして、保護し、入園した子の中にも、落ちこぼれた子も何人も居ます。
奈良でやった短期入園でも、参加していた子供が3人ほど自殺しています。

何をやっても、完璧にいかないのです・・・。

(どうすれば良いのかと)人に聞かれても、(私一人の力では)どうにもなりませんから、足りないものを補っていかなければなりません。私にないものを持ってる人たちに、皆で集まっていただいて、寄って集って、この私が真っすぐに育つようなそういう場を作らなきゃなるまい。とそんな風に思って頂いて、初代の「後援会」会長、(故)寄氣先生や、この度、(私の隣にお座りの)有馬猊下にもお力沿いを頂いて「参与会」というものを作っていただき、私にはない、「信用」というものを、しっかりと支えてくださっています。
あの人が協力されているのなら、間違いなかろうと、そういうような・・・、悪い言い方をしますと人のふんどしばかりを当てにしとるんです。まさに、「虎の威を借る狐かな」の狐の心境でございます。
私は、何もできない。失敗ばっかり。
失敗ばっかりでしたから、どうしたらそれを補うことが出来るだろうかと、オロオロ、ウロウロしているうちに、「あっ、そうだ、こうしたら良いのだ!」と、逆に子どもたちから教えられたような気がしてなりません。
さっき、親を殺したお話をしましたけども、実はその前に、私は自殺を(しようと)しています。
しかし、これも中途半端で失敗をしています。死にぞこないです。

好きなようにやって自由にやってるときは何も問題は無かったのですが、いっぺん、行き詰ってしまいますと、生きていてもつまらないじゃないか・・・。と、こんなふうに思えるのです。

(私の知る)今の子どもたちは、ほとんど死にたいという願望を持っています。これは、まさに「民主主義」「自由主義」の落とし穴のような気がしてならんのです。
私たちが子供を産んで育てる時、(自由をはき違い)好きなように親たちがやった。なので、子どもたちにも好きなようにやせてやろう。と思ったんですけども、その頃から、中学高校が荒れ始めたようです。今から振り返って思い起こしてみると、構ってもらっていない。きちんと構ってもらっていなかった。
物は(豊富に)あったかもしれません。食べ物はあったかもしれません。
けれども、心が抜け落ちていました。
ちょうど、その頃でした。子供たちが叫んだ声、今でも忘れられません。
「何やねん!口ばっかりやないか!!」「何やねん!恰好ばかり付けやがって!!」そんな言葉を(苑に居る)子どもたちから、いっぱい聞きました。
私自身も、同じようにこんなこと(子供の叫んだ内容)を考えた日もございます。
だから、形じゃない、立派なことを言わなくても良い。真心こめて、皆が素直になれる場を目指すこと。これが「るんびに苑」の目指すべきことだろうと、思いながらここまで来させていただいた次第であります。

平成天皇が退位を前に、何度も何度もおしゃったお言葉が耳にこびりついております。
それは、「象徴天皇とはどうあればいいのか?と、いうことを、私は探し求めて来ました。」
「十分とは、いえないけれども、精一杯やらせて頂きました。」というようなことを、おっしゃいました。

日本の象徴・・・。もっと別の言い方をしたら、日本の日本らしさ。日本人の日本人らしさを形を以て示していくのが、私の務めでありましょう。私の生き方が日本人を表している。そう受け止めてもらうと。これが象徴天皇ということになるのではないか。と、そんな、お気持ちだったと思います。

被災地に何度も何度も行かれて、被災者の前で膝まついて、被災者の両手をとって「辛かったでしょうねぇ、よく頑張ってくださいましたねぇ、なんとか元気に成ってもらえませんか。」と励まし、慰めを繰り返された。
また、大東亜戦争の激戦地におい出になって、深々と頭をお下げになっていた。申し訳なかった、止めることが出来なくて申し訳ありませんでした。と、心から自分の過ちを認め、2度とこういうことのないように、一生懸命できることをさせていただきますから。許してください。と、謙虚に頭を下げておられた。
これはまさに、日本の日本人らしさだと、私は思っております。
まさに、こういう(天皇の)お姿が、るんびに学園の目指すお手本なんです。

そして、こういう心が、聖徳太子の時から、ずっと日本の天皇家に伝わっていたことが、私は改めてうれしく思っております。
明治から150年、うっかりこれを忘れて、神道国家になってしまったのですが、それでも、なお、天皇様の内に聖徳太子のご遺言が、今も見事に生きて「和を以て尊しとなす」という、自分たちが絶対正しいなどというようなトランプ(米大統領)のようなことは全くない。
間違いだらけだから、お互いに支えあって生きましょう。そういうお気持ちが、ちゃんと天皇家には伝わっていた。ということを見せていただき、うれしくて涙が出ました。

りっぱな先生方の前で偉そうなことを申し上げましたけども、それぞれの教団なり寺院なり組織の中で、今申し上げたぐらいのことは、ちゃんとご理解頂いて、(仏教クラブに?)お入り下さっておるとは思いますが、これまで組織されている人達だけじゃなくて、一歩全部外に出て下さったら、今、そういったもの(日本人の心)を求めている人が、日本中には、いっぱい居ることに気づいていただけるのではないかと、またいろんな活動の指針になるのではなかろうかと、そんなことを思っております。

もう少し時間があるようなので・・・、今、綾部の「るんびに学園」は、おかげさまで、社会的にも高い評価を頂けるようになって参りました。職員たちも学校の先生たちも、(よくこの理念を)ご理解いただいて日本一と申し上げても良いのではないかと思えるぐらいりっぱになりました。

けれども、ほんの限られた人しか受け入れることができません。
(これ以上)落ちこぼれた子を引き取ることもできません。
なんとか、こういう子たち、社会でちゃんとやれない、やれない人はダメなんじゃなくて、社会の方がおかしいんだと思います。強い者だけが評価され、人生の落とし穴、能力に恵まれた子だけが寄って集ってちやほやされ・・・、私はサッカーが嫌いなんです。
なんでか、両手があるのに両手を使わない。網の中にボールを蹴り込んで、20億円というのはおかしいとは思いませんか?ゴルフでもそうです。バスケットボール、凄い人が出てきました。何十億というお金を独り占めするでしょう。分けてあげなさいよ。(笑い)
皆、同じ命を貰っているじゃないか、たまたまそういう能力がないに過ぎない。そういう才能を貰わなかっただけで、居っても居らんでも良いような仕打ちをされ、片一方は、寄って集ってちやほやされるんですね。そういう差別が当たり前になっとる。

そんな中で、仏教界に世界中が期待しているのは、一人一人が大事にされる。支えあう世界を目指そうではないか。ということではないかと思うのであります。
それで、今、ルンビニ学園を核としながら、あの周りに牧場を作って、精神科の病院も作って、誰でもいらっしゃいというような村を作りたい。というような、日々、「妄想」を重ねておるようなことでございます。できるかできないか分かりません・・・。できない方が本当でしょうね。
もし、これができたら、仏さんの仕業だと思うのです。できるわけがない。
だけど、できるわけがないから、最初からあきらめるので はなくて、やれるところまでやらせていただいて、「はい!お仕舞!もう、戻っといで!」と、言われたら、「ハイと!」お浄土へ参らせてもらおうと、そんなことを思っておることでございます。
「生きていくなんて、なんてつまんねえや!」と思っていた私が子供のお世話をさせていただくことによって、この私が死ぬまで一生懸命になれる仕事を戴いた。まさに子供が仏様です。
(子供が)私を救いに来てくれたと、そう思っております。
ご清聴、ありがとうございました。(拍手)

 

有馬頼底会員 乾杯の発声

あの~、今ね、藤先生のお話にもありましたが、「るんびに苑参与会」というのがありましてね。今、私はその会の会長をせよということでやっております。
この(仏教クラブ会員の)中西玄禮先生も、森清範猊下も副会長をやっておられます。
そういう意味で、実は私も寺の小僧時代にね、登校拒否になって学校に行きたくない。何でかというとね、
友達が、私を殴るんですよ。もう、二度と行きたくない。で、学校へ行ったふりをして、遊んで寺に帰って来ると、師匠が、まぁ、怒る怒る。蹴る、殴る蹴る。んなもん、犬猫以上に殴られましたよ。
あぁ、その話をしたら、「今は違います、そんなことゆうたらあかん。犬猫の方が、よっぽど大事にされている。」「そうか、そらぁ、そやろなぁ・・・」ゆうて・・・。(笑い)
ところが、師匠がですね、殴られて帰ってるでしょう、私が。 (それ)ならね、(こう)言われました。
「幾ら、蹴られても殴られても、お前の人格は決して傷つかない。」それを聞いて私は、「わかった!」と。それからの私は、「蹴るなら蹴飛ばしてもかまわん。そんなことをされても人格は決して痛まない。」
そんなことで、それからはこの言葉を大切にモットーにして生きております。
実は、ちょっとお話しますと「児童養護施設」をうち、やっておりましてね、昔は両親が借金に追われて逃げたとか、あるいは交通事故で両親が一度に死んでしまった。そういう子どもたちの世話を、いわゆる京都市から「引き取れますか?」ゆうてくるんです。「あぁ、できますよ。」ゆうて引き取るんです。昔はこうやった。
今は違います。ほとんど半分ぐらいが、虐待児なんです。誰に虐待されるか、ゆうたら、両親に虐待されるんですね。それが増えてきました。半分以上が虐待児になってきました。どういうわけでしょうねぇ・・・。
不思議な現象です。
で、今、4つぐらいの会の理事長させられていますけども、「理事長の仕事って何や?」ゆうたら、お金集めなんですよ。集金人なんです。ようするに一番の不特定要素が集金人なんですね。だから集金なら、なんぼでも頭を下げる。頭を下げても減るもんじゃないし。ねぇ、今私は、「るんびに苑」さんにもそれをやろうと思っております。皆さんもぜひ、「参与会」にお入りいただきたいと思いますね。
お寺のお出入りの業者さんが多いと思いますけども、まぁ、いささかでもお役に立てたら有難いなぁと思っております。今日のお話を聞いて皆さんもね、よくお分かりだと思います。そういうものなんです。落ちこぼれじゃないんです。一人一人が輝いているんです。 「草木国土悉皆成仏」っていうでしょう。それは仏教の理論なんです。一人一人が全部生き生きと輝いていないと、仏教は成り立たないのですね。
まぁ、そう意味で、今日は乾杯の発声ということで、あのぉ、このシャンパンはねぇ・・・、私はシャンパーニュ騎士団から、名誉オフィシエを貰ってるんです。シャンパンというのは注いでから30秒以内に飲まなあかんのです。それでは、「るんびに苑」さんにカンパーイ!


※るんびに苑後援会
567-0012 大阪府茨木市東太田2-9-32 西福寺内
電話:076-622-3725  Fax:072-622-3739

※るんびに苑参与会(会員募集中) 
629-1244 京都府綾部市十倉中町米谷16 社会福祉法人るんびに苑内
電話:0773-46-0543 Fax:0773-46-0544
郵便振替口座番号 00930-3-195918

※京都るんびに苑後援会
629-1244 京都府綾部市十倉中町米谷16 社会福祉法人るんびに苑内
電話:0773-46-0543  Fax:0773-46-0544
郵便振替口座 00990-6-329846

社会福祉法人 るんびに苑
http://lumbini-ayabe.or.jp/

【編集後記】
人生をかけて、弱者の為に尽くすこと。これは仏教僧の一番求められる姿勢ではないかと思います。
本日のゲストスピーカーの藤大慶師は、いろいろ辛く悔いる過去がおありのようでしたが、恵まれない子供たちの為に自身の人生を最後まで使いきること。子どもたちが仏さまで、その仏が、自分に仕事をくれているとしめくくられました。師は柔らかな話し口調ですが、熱い情熱と強固な意志を感じさせる話し口調です。
日本人としての正しい行いとは、「和を以て尊しとなす」と断言されました。
これからも益々お元気で、子供達の為に、世の為に、仏教興隆の為に、ご尽力頂きたいと心から思いました。
会場は清浄な空気に包まれ、皆さん真剣に師のお話を聞いておられたようです。
有意義なお話をありがとうございました。

※( )内は、編集者が読者に伝わりやすくする為に補足したものです。

写真・文・編集:藤野正観