本来は、開場から閉会まで長時間通して録音することは、個人では不可能なのですが、編集者の腕時計(Aウォッチ)の録音アプリによって、私自身が間違って録音開始ボタンに触れたのか、たまたま雑談・雑音も含め4時間半ほど録音されていました。
いつもの例会はICレコーダーでしっかり録音するのですが、年に一度の「三宝の集い」の内容は、長時間になるので軽くまとめるだけにしていました。しかし、今回は、偶然録音されていたこともあり、袖の擦れる音など雑音等で聞き取りにくく、文字起こしやまとめ作業が大変でしたが、聞き取れる部分だけとなりますが、このページにまとめておきます。ゲストスピーカーの山折氏のご講演内容は、ほぼ全て文字収録できたと思っております。

2019 第25回 三宝の集い(みほとけの心を語る)

中西玄禮師 法話
会場に配布されたレジュメ「幸せになる為の10の習慣」から抜粋し、いくつかの習慣についてお話されました。

■仏教(八万四千あるといわれるお釈迦さまの教え)を、漢字たった一文字で表現すれば・・・という問いかけに対して、「色即是空の「空」か、仏教はどちらにも偏らないという中道の「中」か考えたが、結局、私が思い至ったのは・・・、それは、「恩」という漢字一字である。「おかげさま」と感じ、感謝する心を持つことである。」中西師はそれが、「仏教」であると言われます。

「恩」には、今までお世話になった「色んな恩」があるが、仏教でいう「四恩」とは、
1、親への恩、
2、衆生への恩、
3、国王(国土、天地自然)への恩、
4、三宝への恩、
※(三宝とは、「仏」と、仏の説いた「法」と、「僧」。「僧」はお坊様だけではなく、仏法を受け入れ「信づる者」を指す)

■ある女性のエピソード:
若い頃、ある事情で母子家庭となったが、周囲に温かい目線を注ぎながらも、子育ても生活も成り立たせ、たくましく生き、りっぱに子供を育てた上げた女性が78歳で亡くなった。その時の葬儀で喪主である立派な会社員となった息子が挨拶した内容から。

母が日頃言っていた事を三つ、「これを今、自分は実践しなければならないと思っている。」
1、人の嫌がることを進んでやりなさい。
2、会社は畑と同じ、人が3尺耕すのなら、お前は3.1尺耕しなさい。
3、お前が、私からしてもらったことで、ありがたいと思ったこと、うれしかったことを、子や孫にもしてあげなさい。
特に3番目の、亡くなった人への恩を形にすることを、「恩送り」と言い、本来なら親に受けた恩を親に返す(恩返し)であるが、親は今はもうこの世に居ないので、故人から受けた恩を別の誰かに返す。
つまり「恩を送る」ということを実践することで、当人も幸せになる。と説かれました。

■野球の松井秀喜選手の恩師からの手紙「おいあくま」のエピソードから、成功者への戒めを紹介されました。
ごるな ばるな せるな さるな けるな

■和顔・愛語 (人に接する姿勢として、和やかな笑顔と、優しい思いやりのある言葉を忘れないようにつとめることの重要性を説かれた。)

■待つ心 ある優秀な美容師の法則(教え育てる者の姿勢を説くお話)
まゆみの法則・・・つ心 るす心 とめる心

■パーキンソン病の春子さんが亡くなった時のエピソード(感動と感謝と感恩)
春子さんは、生前、手のリハビリを兼ね、文字を書いたりお経を写していた。ご遺体の枕元にその春子さんが書いたたくさんの紙の束が置いてあった。
その中に、ハガキぐらいの紙切れに書かれた文章があった。師はその内容に感動された。
「長い間、仏さまからお預かりしたこの両手、便利に使わせ頂きました。でも、震えたり痺れたりして思うように動かなくなりました。どうやらお返しする時が来たようです。でも、良い手でした。ありがとうございました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」それは仏様への感謝の手紙だった。これを感恩という。
恩を感じることで(逆境においても)幸せになれることを説かれた。


※仁和寺門跡の瀬川大秀師のご法話の時に、実行委員の私は、用事が出来て会場の外に出なければならなくなりました。たまたま、Aウォッチで録音されていた内容が途切れていました。ですので、文字でまとめ写すことが出来ません。お許しください。

パンフレットより:皆様こんにちは、新しい元号が令和になって、初めての法話会です。誰しもが日々心豊かに、幸せな人生を過ごしたい願いがあります。しかし、幸せはそこにあります・・・。そこにあります。私たちの生活の中にあります。物事の見方、受け止め方にあります。幸せは自分で感じる宝物です。皆様と一緒に考えてみたく思います。


山折哲雄先生 講話
昭和6年生まれ、88歳
岩手県ご出身
国際日本文化研究センター名誉教授

先ほどの感動的なお話を伺った後はちょっと話し辛いですよね 。(笑い)
私は京都に参りましてから30年経ちました。平成元年にやって参りました。
それから30年です。それ以前は東京におりましたが、ふるさとが岩手県の花巻というところでございます。
花巻でございますね。長い間、あそこは宮沢賢治の生まれた所として知っておられる方がほとんどでございました。
ところが、最近異変が起こりましてですね 、花巻だと言いますと大谷翔平さんの故郷ですね。と、いうことになりました。
宮沢賢治の名前も最近は、ちょっと風前の灯となったようです。
時代は一人の英雄の出現によって、大きく変わるようでございます 。

合掌すること

最近、新聞を読んで驚いたことがございます。
それは、京都の例の「京都アニメ第二スタジオ」の放火によるあの悲惨な事件です。
あれ以来、一ヶ月以上経っても、毎日のように、新聞に大きく報道されて参りました。ご存知の通りでございます。
その記事を毎日のように読んでおりまして、驚きましたのは、全国各地から様々な人が訪れて、追悼哀悼の情景を見せられておりました。
お出でになる方は老若男女様々だったと思いますが、ほとんど八割以上がですね、若い世代の方々です。
その若い方々のほとんどすべての方が、合掌をしておられる。哀悼の気持ちを示しておられるのですね。
そういえば、ここしばらく、若い世代の方々は、「合唱を忘れた」と、そんな声が聞こえていましたよね。今でもそう思っている方は私を含めて多いと思いますが、こと、あの京都アニメ第二スタジオ放火の事件に関しては、ほとんどの人が合掌をしている。しかも、シニアよりも若い世代、50代以下の方々がほとんどです。
これは・・・。
自分の認識が間違っていたのかな・・・。今日の若者世代においても手を合わせることがあるのだ、合唱して追悼の意を表しています・・・。
遺族をそれで、お慰めする・・・。
そういう気持ちが、(若者に)それほど強く残っていたのか、それを感じたのです。
むしろ、そういう若い世代より上のシニアの世代の方が、合唱することを忘れているのでは・・・。と思うくらい・・・。
それほど、あの事件は普通の尋常な生活を越えた、若い世代の行動だったような気がするんです。

皆さま、いかがでございましょう。子供のころ、若いころよりも、「合掌をする心」を忘れていないでしょうか・・・?
年を取るにしたがって、その心を忘れている。年を取るにしたがって、欲深な人間になっている・・・。
それは、若い世代の問題ではなくて我々自身の問題なのだと・・・。

多くの日本人が、この京都にやって参ります。
お寺や神社に、出かけても合掌をしている大人を見かけることがだんだんと少なくなってきております。
私も30年間京都に住んで居て、実感するところなんです。何か我々は・・・メディアも含めて、誤解しておるのではないかという思いに至ります。

実はわたくし、この京都にやって参りましたのは、先ほどご紹介していただきました「国際情報研究センター」というところに勤めるためでございまして。
この期間に、日本国内はもちろん、世界中の日本の文化とか歴史とか宗教に至るまで関心を持つ外国の方々(日本文化の研究者)がお出でになって、お迎えをして、いろいろな研究者とまぁ、一緒になって共同で研究するといったようなことをして参りました。
で、そこにやってくる外国人のほとんどのそういう方々とは日常的にお付き合いがございましてね、そういう時、出会うとだいたい握手でご挨拶をするのが普通でございました。
ところが、東南アジアからお出でになる方々は、だいたい合掌で挨拶をされます。歴然と挨拶の仕方が分かれておりました。
私自身はどうかといいますと、日常的にはほとんど握手で済ませておりましたが、東南アジアの研究者たちがやって来て、最初の挨拶の時には、思わず右手をスッと出す。そんな癖が体に染みついておりました。
東南アジアやインドからお出でになる方々には、ほぼ合掌だから、そのつもりで気持ちを切り替えねばならないのです。ある時それに気が付きました。
中国の方は最初、5人に一人ぐらいは、合掌されますが、ほとんど、握手に変わっていきます。
「なぜだろう・・・なぜだろう?」とずっと思っていたのですが、そうしましたら同じアジアの文化圏からお出でになった方々でも近代化が進んだお国からお出でになった方々は、たいがい握手なんですね。
近代化が遅れた地域、いわゆる仏教圏といった国からお出でになった方々はすべて合掌です。

私は、その研究所を去る前の4年間は、そこの所長という管理職をさせられておりまして、最初にやって来られた方と契約書を交わさないといけない。
その契約書を交わすときに書類に署名をし、必要項目に書き入れ、それを終えた最後に握手をする。
ヨーロッパ系の人とは、ほとんど握手で済むわけですが、東南アジア系はほとんど合掌なんですね。

そうすると、(日本は)アジアでは、第一番目に近代化が進んだ国だから、自然にその波に押されてその挨拶の仕方も変わった・・・。
合掌のマナーから握手の挨拶に変わって行った。近代化と共に挨拶の仕方も変わったのです。

そんな風に考えていたのですが、この事件の後、よく考えますと、文化圏や国別に考えていてはダメと言うことに気づきました。
ひょっとして、日本においては子供の頃、若い頃は、生まれながらに合掌する心を持っていたのではないかと。
先祖からの、そういった伝承を体で覚えてしまっているのです。そのためにですね、今度のあの事件の時にですね、全国から集まってくる若い人々は、自然に合掌したのです。こういうことになっているのだと思うのでありますが、この今までの誤解はいったいどこから来ているのか、あるいはそれが誤解であるならどう修正していくのか、あらためて、考えなければならないのです。そういう問題が別に現れて来るのですね・・・。

実際、京都には観光する場所は数多く存在するのでありますが、普通の観光客でシニアの世代の方は、お寺のお堂の中に入って、ご本尊の前に座って合掌をする人は、どのくらい居るだろうか、私は、20年ぐらい前に、そういったことにちょっと注目して京都の代表的な観光寺院を巡ったことがありますが、ほとんど合掌していませんね。スーッとご本尊の前を通り過ぎる。
ところが、そのお堂から出て庭に出た時、(振り向くと)縁側に腰をおろした方々が、庭の向こうまでずーっと並んで座っているのですね。そんな姿が目立っておりました。
これはいったいどういうことかなと思っていたのですが、京都へ来て30年、ずっと私の頭の中にの残っていたことであります。
観光する時には合掌しない。そういうことがあるのかもしれない。
あるいは生きている人に対しても合掌しない。ただ、死んだ人に対してだけは、自然に手を合わせて祈る、拝む。
死者供養というものが、合掌というマナーと深いところで結びついているのかもしれない。
それは、ようするに、先祖に対する信仰ですよね・・・。

もし、そうであればなぜ、生きている人に合掌しないのか。死者だけに向かって合掌するのか・・・。
この問題になってくるのであります。ここが良くわからない。
日本人の信仰の最も深いところに眠っている問題が、ここにあるかもしれない。そう思って30年です・・・。

もう2年で私は90歳でありますけども、そんな長い間生きてきて、そのことすらはっきりできなかったのかと・・・。
天の声を聞くまではそう思い続けますね・・・。

サトリ世代

ところがですね、今から5・6年前にもう一つこういう社会現象に戸惑ったことがあります。
皆様ご承知のことだと思いますけども、日本の中学校や高校で、その生徒たちの間にですね、また若者たちの間にですね、「悟り世代」というものが発生し始めたのです。これは、仏教の説く「お悟り」の意味ではありません。
漢字の「悟」ではない、カタカナのサトリです。
それに似てはいるけども、ちょいと違うよと意味を込めてカタカナの「サトリ世代」と呼ぶんです。このサトリ世代の特徴は何かといいますと、三つぐらいあるんですね。これは、メディアによって調査されてこういったイメージが現れて来たということであります。
1つは「あまり、物を持ちたくない、持っても仕方がない。その代表は、車などいらない。」車いらない世代が増えてきた。
2番目は「恋愛などというややこしいことはもういらない。つまり未婚願望。」結婚しない。しようとしない世代が増えてきた。
3番目は「お金は、もうそんなにいらない。」
車はいらない。結婚はしたくない。お金もいらない。そこそこの生活で十分だ。そういう世代が増えて来たよ。という社会からの呼びかけでございました。
そう思ってですね、いわゆるジュニア世代。20代、30代、40代、50代ぐらい、だいたいその範囲内の世代です。
普通一般に言われている団塊ジュニアといっても良いかもしれませんね。
十分に日本社会が豊かになってしまった。これ以上、物持ってどうなるんだ・・・。そういうことがあるかもしれない。

戦後、我々世代、その次の団塊世代、その次辺りの世代まで、ずーっと、やっぱり働く、金を儲ける。一家、家を作る。車を持つ。これが最大の願望だったわけです。三種の神器 最新の電気製品を備え、家族を持ち、子どもを二要し、典型的な近代的な家族を作る。一戸建ちか、集合住宅の一室を占拠する。そういう家族の在り方が理想だった。
それが、経済の停滞と共に崩れ始めている。
で、その次の世代が実際の悟りといえば 悟りなんですが、待たなくてもいい、婚しなくてもいい、車など贅沢品はいらない。
そういう貧しいジュニアたちのためのお店が品物が たくさん出始めました。
コンビニ文化というものがどんどん広がっていっています。
なるほどな新しいサトリ時代。
妙な説得力があったんです。ところが、その世代は、実は、大変な犠牲のもとに 亡くなって行った同朋、仲間のために合唱して追悼するんですね・・・。
悪いことじゃないのじゃないか・・・。今、この日本の社会はこれからどうなるのか 、宗教意識があまり顕著に見られるわけではない。
凶悪な犯罪が続発している。
親殺し、子殺し、一方ではもちろんそういう凶悪な事件が多発しておりますけども、もっと広範な若者たちの心の奥底に浸透しているもっと寂しい、孤独な、まあ、現状にそれでも満足して生きる 他ない。
そういう意味の「諦め」。
それが先ほどのサトリ世代の発生と、「サトリ」なのかもしれません。
それが果たして、これからの日本人にとって、これからの日本にとって、プラスなのかマイナスなのか・・・。それを図りかねているのが、シニアの方であり我々の方です。
これはやっぱ大変なジェネレーションギャップですね。
世代間の格差・・・。
今、貧富の格差ということは、大きな声で叫ばれております。その通りだと私は思うのですが 、意外と世代間の格差が広く深く浸透し始めている。とすればこれは、未来を計る尺度は半ば失われているということではないかと思うのであります。
シニア世代はジュニアの心の変化を量ることはできない。
そして、ジュニアはシニアの生き方をどう見ているのか、それは、端的に言って最近の若い者たちは、貯金をし始めている。なぜか?訊ねますと、「年金を使用することが出来ないから。」将来、長生きをして、国からの支援援助を受けることが出来ないから。それはもう年金が底をついている・・・と、すれば、僅かではあっても貯金をしておけば助かるかもしれない。
年金から貯金へと、こういう変化ですね・・・。これを、そのぉ、希望とみるかですね、足るを知るといいますか、足るを知ると言ったら、今、我々大人社会よりははるかに、若い世代の方が、「足るを知る生き方」を選択しようとしているのではないかと思うのです。
もう一つそれに重ねて申しますと、サトリ世代が社会の全面を覆うようになったのと同時期、学校現場では、スクールカーストということを言い始めたのですね。スクールというのは学校です。学校ですから、小・中・高等学校ぐらいですね。
カーストというのはインドの差別社会を象徴するような言葉です。ブラフマン(バラモン)という僧職者、クシャトリアという官僚、ヴァイシャという商工業、シュードラという下層階級。この区別がはっきりしている差別社会をインドの社会組織の特徴として、これをカーストといいます。
そのインド的な体系のカーストが、日本の学校現場の中に浸透しはじめたのです。だから、30人、40人居る学級の中で、金を持っている生徒、貧乏な生徒、この差が歴然とするような、中間がだんだん少なくなって、それは、日本社会の全体が中産階級が少なくなった。ということと対応している。
30人、40人の学級の中で、格差が歴然とするような仲間を作る。 喧嘩をする、いじめをする。そのほとんどがカースト差別。
カースト的な差別。そういう意識を含めて「サトリ世代」、スクールカーストというそういう差別がジュニアの世代にじわりじわりと増加しています。
こういうことであります・・・。
ある意味では、国民全体が、サトリ世代のおかげで、社会のカースト化のおかげで、争いの少ない、革命的な情勢が少しづつ抑えられている。
従順な屠所之羊のように・・・これは言い過ぎでしたね・・・。
そういう人間が少しづつ増えて来たということですね。
私は、最初は、こういったサトリ世代が増えてきたということは、大変結構なことと捉えていたのですが、最近は、「ちょっと待てよ・・・」と、これでいいのだろうかと、そういう不安と疑問がだんだんと増えて来ました。

恩赦

そして、今度の災害、激甚災害の続発。そしてその被害がうなぎ登りに登って報道されるようになった時、新らしい天皇様の即位の式が行われるという、明後日であります。10月22日でした。
「即位正殿の儀」が、明後日行われることになっています。
しかし、それが天皇様の配慮で、延期になった。この即位礼の延期の問題について最近の新聞報道によりますと、国論が割れている。
そういう国家的なお祝いを延期させる必要はない。という意見です。
災害をまともに受けた人はもちろん、結構多くの人々が延期すべきである。という意見が同時に出て来た。これが、やはり統一意見にならないのが現状です。
一応、(御列の儀・パレードは)11月10日に延期されることになりましたが、この手の災害が僅か一ヶ月の間に納まるとはとても思えません。この国論の分別は進んでいくでしょう・・・。

挙句の上に、政府がですね、今度の即位の礼を記念して、「恩赦」の令を出そうとしています。50(55)万人の罪を減免する。罪を許す。そういう政策を打ち出したわけですね。
これほど、賛成論と反対論がほとんど拮抗していることはありません。国論分裂というやつですね。分裂しながら、社会はなんとなく落ち着いている。平安の内に過ぎてゆく。

これねぇ・・・、我々戦後世代からすると、信じがたい社会情勢なんです。しかも、それに対して、未だに、これから出るかもしれませんが、日本の宗教界からこれといった統一意見は出されておりません。

日本の仏教界は、今、申し上げた問題についてひとつひとつ、例えばキリスト教のバチカンのように強力な意見をお出しになるのかどうか、これが、今のところハッキリしていない。

その恩赦のところで、深く関わっているのが、「死刑」の問題です。

凶悪犯罪者も裁判で刑期を決める。これに国民は参加しているんです。裁判員裁判制度で。

その司法の場で、この問題(死刑制度)を積極的に議論する場がない。

それよりも死刑を認めるか認めないかという、根本的な問題についても日本の宗教界(仏教会)の統一意見は出されていません。未だない。

世界全体の状況から見ますと、ヨーロッパは、ほとんど死刑廃止。法律は残しながらも法の執行は停止状態です。廃止か停止です。
依然として死刑を行っている国の代表は、アジアです。中国、東南アジア、中東のイスラム圏、イラン、イラク、サウジ・・・、そして、日本です。

これは、死刑(囚)に対しては許さない、しかし、(他の罪に対しては)恩赦はする。
死刑囚は(恩赦から)排除されています。

いったい、日本は本当に寛容の社会になっているのか、仏教の説く「許す」「耐える」・・・。そういう性質の国になっているのか。仏教国が故に試されているのではないか。
むしろ、厳罰主義を続行し続けている国。
これを象徴する例として、昨年、オウム真理教事件の最終判決が終わり、死刑判決を受けた者が全員死刑に処されました。しかも時の法務大臣が、女性だった。
その時の女性の法務大臣の身辺は厳格な警備で保護されたといいます。これはメディアが報道されているとおりであります。
いったい、日本は、寛容の国になっているのか・・・。厳罰主義をそのまま突き進んでいこうとしているのか。
それについて、宗教界は未だ方針を立てることをできないのか?

菊池寛

話が、ちょっと変わりますけど・・・、大正八年、1919年、菊池寛と言う小説家が、「恩讐の彼方に」と、いう小説を書いています。今から90年(100年)前の話です。
「恩讐の彼方に」と言う小説は、まさに仏教の心に元づいて書かれたある復讐の物語です。

『時は、江戸時代、徳川吉宗の時代。江戸の旗本、その殿様が家臣の市九郎という人に殺されるんですね。この男が殺人犯として追われるのでありますが、逃亡の過程で仏門に入るんです。仏門に入り修行に修行を重ね、九州に流れ行く。その九州の耶馬溪というところに大きな岩壁が在り、行く先を阻んでいるのを見て、周辺の村人の交通の不便を解消するために、一念発起し、その岩壁に、自分の犯した罪を償うためにも、一人でコツコツ穴を堀り続け貫通させることを誓ったのです。
でも、その途中で、市九郎に殺された旗本の息子が、親の仇市九郎の前に立ちはだかるのです。父の仇を捜して8年、ようやく親の仇に出会ったその息子に市九郎は穴掘りの訳を説明し、穴が貫通するまで仇討ちは待つように懇願するのです。この穴を掘り続け19年半、この穴が貫通した時なら喜んで殺されよう。こう言うんですね。その市九郎の言葉に感激したその息子は、市九郎と一緒に穴を堀り始めるんですね。そして、1年半後、ついにその洞門は貫通し、二人はすべてを忘れ、手を取りあって涙にむせんだ。』
恩讐を越えて仏の世界に出た。というお話であります。
この恩讐の彼方、恩と仇 それを越えて二人は新しい命を手に入れたということです。
この、菊池寛の「恩讐の彼方に」という小説は多くの人々に読まれ、教科書にも載ることがありました。教科書にも載った小説ですから、今日、ここにおいでの皆さんもご存じだと思います。
ところが、ところがですよ、その菊池寛が、同じ年の3月に出版された雑誌に、もう一つの小説を書いているんですね。

それは、「ある抗議書」と言う小説なんです。
これはですね、ある強盗殺人事件の被害者夫婦の弟からの司法大臣への抗議文という形で、事件の発生から犯人逮捕、そして、犯人が絞首刑になってもその無念が晴らせないことの心情をつづっています。本当にあった事件です。
被害者の姉夫婦は、一切の落ち度がなく惨殺をされた。犯人はすぐに逮捕されたが、この犯人はこれまで9人もの命を奪ったことを、差出人は知る。
死刑判決が下されて、たとえ獄中で苦悶しても、死刑では軽すぎるが、それは現行の刑法での限界であった。
死刑執行後、犯人の手記が出版された。その手記には、犯人は死刑宣告を受けた後、キリスト教に入信し、死を恐れなくなり、落ち着いた面持ちで絞首刑に臨んだとあった。
仮に、信仰が本物だとしても、信仰を持たない我々は未だ無念にあり、姉夫婦の無念を思うと、犯人は幸福なうちに死ぬことができたというのは、あまりにもおかしいのではないのか。
これでは、「加害者は天国に、地獄の苦しみで殺された被害者は地獄に」ではおかしい。
獄中で宣教師がキリスト教に改宗するように勧めたことは、キリスト教の信仰によって国家の刑罰が踏みにじられたのと同じではないのか・・・。と、このやりきれない遺族の気持ちをぶつけるために当時の司法大臣に手紙を書くんですね。

この手紙の形で書かれたこの小説がこの「ある抗議書」です。
これは、先ほどご紹介した「恩讐の彼方に」とほぼ同じ時期に書いています。

菊池寛は、ご承知の芥川賞という文学賞を作った人です。芥川龍之介の親友であります。
その親友の名をとって文学賞を作り、そして「文芸春秋」とう雑誌を刊行しているんですね。これが大成功で、今、東京の出版社の中で、おそらく最大の力を誇っている出版社の一つは、文芸春秋社であります。その創立者、そして作家 菊池寛。
特に戦後、日本人でこの菊池寛の「ある抗議書」を知っている人、読んでいる人。殆んど居ない。
ほとんど、「恩讐の彼方に」一本です。これはどなたも知っている。
ということは、仏教の根本的な考え方、人を許す・・・。この思想が、それまで、かつての日本人には根強く抱かれていたといことではないでしょうか。

それに対して、実際に死刑を執行された人間が、キリスト教の洗礼のおかげで昇天した。
このことだけを取り上げ、残された被害者の遺族の心情を慮らない、そういう小説を強く意識しなかった。特に戦後のほとんどの日本人は、忘れてしまっているわけです。

この落差って、いったい何なのか、戦後になってこれだけ日本人は、これだけ非寛容、寛容ならざる国民になってしまったのか、いかなる重罪であろうと、あらゆる罪人を許す。そういう仏教の考え方が、地に廃れた。と、ふと、思わないではない。

死刑に対する世界の反応の仕方、考え方の違いからみても、ちょっと最近の日本はおかしいのではないか、そのアンバランスはどうなっているのか、ということですね。

どちらが良いとか悪いとかいうことよりも、その変化の外に、変化の底に、何が進行しているのか気になるんですね。
今、我々は、もしかすると、90(100)年前の菊池寛の復元的な思想。ある一つの問題を右から左から、じっと冷静に眺める。
そういう視線というか態度が必要になっているのかもしれない。
やはり、私はですね、仏教の考え方が、重要な役割を果たすのではないかと・・・。
仏さんなら何とおっしゃるのか、そのことをつくづく考えるのであります。


パネルディスカッション(パネラー:山折哲雄、中西玄禮、瀬川大秀、大谷義博)

みほとけの心

山折氏をコーディネータに何の打ち合わせもないまま、シンポジウムが始まった。
いったいどんな話になるのかと会場を不安にさせながら、まずは、山折氏は、シンポジウムの話のきっかけを作ろうと永観堂九十世法主の中西師に話を振った。
山折氏に突然指名され、少々戸惑った様子で、まったく打ち合わせのないまま始まったことから、各々のパネラーがシンポジウムでのテーマ、「みほとけの心」に沿う形でお話をされると思うので、たぶん、一貫性のないシンポジウムになるかもしれない。と前置きして、午前中にお話しをされた「幸福になる10の習慣」について、そのお話の概要を話された。
続いて、司会の山折氏に指名された現仁和寺門跡の瀬川師が、山折氏の先ほどのお話を「重い話」として受け取ったことを示し、本日のテーマ「みほとけの心」は、(真言宗では)弘法大師の教えなので、お大師さまの人生観を織り交ぜてお話をしようと思う。幸せを感じるには、個人々のその価値観が重要である。物とか、お金で幸せを感じるのは錯覚である。愛する人や大切な人との別れ、逆境をもって目覚めさせていただくのだ。
大宇宙を象徴する大日如来に対して小宇宙は、私達の肉体で光り輝く命そのものである。その頂いた命をどう生かして行くかで、達成感、幸福感は違ってくると思う。と対機説法風に簡単にお話しされた。

仏教クラブ会長の元真宗仏光寺派の宗務総長の大谷師に、これ等のお話をどう思うか?と山折氏がバトンを渡された。

大谷会長は、こういう場面は始めてなので、少々緊張していると前置きされ、主催者のお立場から用意されたのだろうか、山折先生は、最近、この本『「身軽」の哲学(新潮選書)』を出版されている。と左手でその本をかざし、会場にご紹介された。
その最新著書をお読みになってか、「その内容から主題の「身軽にして生きる」ことを示唆されたが、今日、お話された内容ほど(宗教者にとって)重たいお話はありません。身軽どころか、「重たい話」と感じている。(笑い)そんな中で中西猊下が、温かく感動的なエピソードをお話頂いたことや瀬川猊下の(自分にとって)新鮮で新しい感覚の教えを聞いた。そのお二方のお話の方が、よほど「身軽」な印象を受けた。(笑い)
昭和6年生まれでありながら、ますます頭脳明晰な山折先生でありますが、この本を書かれたにしては、今のお話は、ますます「重たい話」だなぁ愕然とした。そんな中、今日のお話のテーマが「仏の心」であるにも関わらず、「日本人として重たい課題を背負って生きるのか、それとも身軽に生きるのか、」大きな課題を頂戴した。」と、山折氏に向かって問いかけられた。友人である、お二人の仲ではの、気さくで遠慮のないやりとりだ。

会長からの投げかけに、山折氏は、自身の最近の著書『「身軽」の哲学(新潮選書)』を書いた理由を静かに語られた。

「私は、学生のころからいろいろな知識や情報や、そういうものをたくさん、学んだりして身に着けたと思って錯覚をしながら今日まで生きてきました。
そういうたくさん、たくさんの知識、それは宗教的な知識もありますし、哲学的な知識もありますし、世間的な知識もたくさんあるわけであります。
それがだんだん、重くなってきたんですね。80歳から90歳近くになって、身に余るほどの知識が、背中にづっしりとおいかぶさってくるような知識から、解放され、ほんとに身軽になりたいと思うようになったんですね。自分の青春時代から今まで身に付いた知識は、すべて振り捨てたいと思うようになったんです。そんな心境になったんですが、なかなか振り捨てることが出来ない。(今日の話では)その今の私の心の中(苛立ち)が出てしまったようですね(笑い)
捨てたような気分になっていても、まだまだ背中に乗っかっていたんですね・・・。それを今、ご指摘されました。これはまだまだ、身軽じゃないなぁ・・・と反省することしきりであります。
ただですね、私は、そのぉ~、3年前にですね、心臓の心室細動の不具合で、不整脈になりまして、その血栓が脳に飛んで脳梗塞になって倒れたのです。
それまで、私は、子どものころから色んな病気をしておりまして、その主たるものはだいたい、消化器系で、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、肝炎、その肝炎も慢性肝炎、急性肝炎、B型肝炎、みんなやってるんですね。
それで、胃潰瘍の時には胃を1/3、十二指腸は全摘出いたしております。これは、まだ三十歳前後の時であります。
七十歳の時には、胆のうを全摘しております。お腹には二本のメスの後がついているんです。そのためなのでしょうか、次は膵臓がやられまして、急性膵炎になりまして、四条通りを歩いているとき、ものすごい激痛に襲われ、第二日赤に担ぎ込まれて、この時の痛みというのは、それまで経験したことないような痛みでありまして、その時ばかりは「これで、死ぬな」と思ったのです。
その時の最初の診断が、すい臓がんの末期。
私が、「もう駄目だぁ・・・」、とあきらめた時、翌日になって、誤診だとわかったのですが。(会場安堵の笑い)
急性の膵炎だったのです。
という意味で、鈍痛、激痛、疼痛、これの繰り返しでした。
病気の中でも、これは一番重たい病気だということで、(今回の話は)ここから来たのです。(笑い)
内臓、消化器系の病は、ほんとうに、痛みとの闘いなんですね。

ところがですね、心臓の不整脈で心房細動の不具合で、アブレーション治療手術を受けるんですが、太ももの付け根からカテーテルを5本入れまして、心臓内部の不整脈の原因となっている部分を小さく高周波電流で焼き切るんですね。
これが見事に成功しまして、医療、技術の進歩にはほんとに驚いております。一泊しただけで、家に帰れるんですね。
これでも、月に一回病院に通って、薬を貰い、生きながらえておるのであります。
その時の静養していた時のことを振り返りますと、やぱり、なんとなく、従来の病気と違って、呼吸がだんだん薄くなっていくんですね。
このままスーッと息絶えれば、ひょっとすると、お釈迦様のニルバーナ、涅槃の状態に近いかな。
これは・・・、もし、ニルバーナ往生するならば絶対に循環器の病気だなぁ(笑い)、などと思っておりました。
それまで重たい重たいと感じていた重たい知識をこれで、捨てられるのではないか、これで楽になれるかもしれないと、ふと、この病気を通して思いました。
それで、こんな本を書く気になったのですが、その時やっぱり、仏教の凄さですね、ニルバーナ、ローソクの炎の灯が消えるように、スーッと人間の命が消えていけば、これだけ楽なことはない。理想的な往生になるのではないかと思いました。
それが、まぁ、弁解のようなお話でございますが、先ほどの重たい話の原因ですが・・・やはりそれは病気でしたね・・・。内科系の病気と循環器系の・・・。病気するなら循環器系がよろしいようであります。(笑い)

続いて、中西師がマイクを握られた。
自分も今、78歳で後期高齢者である。山折先生はそれよりももう少し上のお年でありますが、お釈迦さまがまだ若いころ、老いる人や病気になる人や死んだ人を見て、なぜ、こんな苦しみがあるのかと悩み考え、お城を出て、6年間に渡り修行され、お悟りを開かれるのですね。
この人の誰も避けることのできない「生・老・病・死」について、どう受け止め、どう考えればいいのか、お考えになった。それが仏の教えの原点なんですね。仏教のどういう教えであれ、その根底には「生・老・病・死」という苦しみをどのように受け止め、脱するのか、また生きる喜びに変えていくのかですね、これ等を根底にして、仏教のいろんな教えは成り立っているのです。
ある人が書いたものを読んで、なるほどなぁと思ったこととして、「生まれた時は喜ばれても、老いては嫌われ、病んでは飽きられ、死んでは忘れられ。で、あってはならない。」とあったんですね。最後の「であってはならない」ということが大事なんですが、山折先生が今お話しくださったように、命をどう受け止めていくか、この命を一日一日どう過ごすか、どう楽しく生きるか、どう有意義に過ごすかを、仏教というのは教えてくださっているのだと思います。

続いて大谷会長がマイクをとり、
今日の、この話は私にとっては、非常にたいへん重たいお話で・・・、話が少しづれるのですが、今から26年前、2回目の宇宙を飛んだ向井千秋さんのことでありますが、その時に、彼女が「宙返り何度もできる無重力」という上の句を読み、下の句を地上の人に募集したのでありますが、14万通ぐらい応募があったそうであります。
この時の歌の主題が「無重力」重さが無いということであります。重さを感じない、無重力であります。
経典に無重力を示す「軽毛」という言葉があります。「軽毛(きょうもう)のごとし」とお経に表現がしてあります。
この時、私の自坊が毎月発刊する冊子を編集する人が、この歌と無重力と軽毛のことをこの冊子に掲載しNASAに送ったのです。そしたら、またそのNASAから10部ほど送ってくれと言って参りまして、直ぐに送ったのであります。
そしたら後日、その向井千秋さんと宇宙衛星局長と5人が、アポなしでいきなり私の浅草の自坊に訪れて来られたのです。
科学者は、こういった神秘な部分に神経が働くのか、気が働くのでしょうか、その時の応対で、無重力が身軽になると言うことがお経のどこにかいてあるのでしょうか?と質問をされ、お示ししたのですが、はからずも今、山折先生が、出版された『「身軽」の哲学」』で身軽になることを説いておられ、身軽と無重力、科学にも通ずるのではないかと、今日のお話を楽しみにしておったのですが、重たい話で戸惑ったままここに座っております。(笑い)

山折氏
一応、反省しているのですが、また、追及されましたね。(笑い)
身軽になりたいという願望でありまして、では、実際にできるのかということであります。
それはですね、自分の身辺に積みあがっている書籍をどうするか。これが重いのですよ。自分の家のいたるところに本があるんです。
その本から解放されたいのですよ。
で、その本の処分をし始めました。これ、半世紀ぐらいかかって集まってきた本です。いろいろなところに転勤したり、土地を移ったりして今は京都に落ち着いているのですが、その度に、そのお世話になった土地の図書館や学校に寄付したり、古本屋さんに来ていただいたり、後輩たちに譲ったり貰ってもらったりしているのですが、ちょっと気を緩めると、本が溜まってしまう。
ということから、自分が「本を読みたい」という欲望から解放され身軽になれていない事に気づきます。
で、自分が生きていくうえで、「おまんま」の原(もと)になった本は何かと考えますと、私は、浄土真宗の寺の倅(せがれ)でありますので、親鸞さんのおかげで、一生、おまんまを食べさせていただいてきた人間でございます。いつでも、何でも、やはり親鸞全集を手放すことが出来ませんでした。
親鸞に関する書物がいっぱいありますが、なかなかそれ等を手放すことが出来ませんでしたし、それがまだ周辺、いたるところにあるんですね。
一つ一つ本を処分していきまして、最後に親鸞さん関係の本に手をかける時、それは大変辛ろうございました。だけど、ここを突破しないことには、身軽にはなれない。本から自由になれない、単なる知識から自由になれない。これ、強迫観念のようになりましてね・・・。
で、すべての書籍を処分して最後に残ったのが親鸞聖人の全集でございました。真筆・活字品の全集、その時に病気になりましてね、これを手放されるか悩んだのです。
それで、退院してから思い切ってですね、浄土宗の若き知人に「貰ってくれないか?」とお願いしたら、「それでは頂きます」と、彼は軽トラックでやってきて全部持って行きました。
見送る私の顔もよく見ずに・・・(笑い)
その時、以下に苦しむか、如何に悲しむか、思っていたのでありますが、全身で解放を感じました。
「あぁ、俺は”単なる書物”から解放されたんだぁ!」 もちろん、その親鸞聖人から与えられたものの考え方、信心の世界、それ等は、捨てようと思っても捨てられるものではない。ちゃんと、血肉になっているんですね。しかし、そういうものはですね、書物とは別だ、単なる知識の集積物である書物とは違うんですね。それは、自分の血肉になった親鸞さんの教え、つまりそれは仏の教えと言っていいかもしれませんね。
それは別だと思った時に、傍には広い空間が生まれました。そういう経験がありました。
だからその、あらゆる知識から解放されるというのは言葉だけでありまして、身についているものは、しっかり身についていて、身についていないものは簡単に放れる。それに気が付くんですね。それがはっきりしました。
そういう点では、まだ身軽になる途上であり、(身に着いた)一番大事なものを、どう放すかなんでしょうね。

それなのに、今日はなんで、こんな重たい話をされたのですか?(笑い)と大谷会長。

即位の礼が近づいたからでしょうね。(笑い)
恩赦の話題で、国論が2分されたからですよ。と、山折氏。

しかし、死刑制度の問題は、われわれ宗教者にとっては大きな大きな課題です。瀬川猊下いかがですか?と、会長が瀬川大秀師に振る。

重たい荷物が参りまして・・・、(笑い)
ほんとに、あのぉ・・・、山折先生がお話しになりました「恩讐の彼方に」でございますが、若いころ読み、感銘を受けたことを覚えております・・・。

※ここで、たまたま、録音アプリのスイッチが入ったままになっていたAウォッチの電池が無くなり、ほぼ4時間半に渡る雑談を含む録音はここで終わっていました。
ということで、シンポジウムの後半の半分は録音されていませんでした。
また、この後の30分は、シンポジウムが佳境に入り、会場の皆さんもそのお話の内容に引き込まれていたように思います。つまり、一番聞きごたえがある充実した部分が録音されていなかったことになります・・・。

後半の内容を一部抜き出しますと、宗祖崇拝である今の仏教会全体に、そろそろ賞味期限が来たのではないか?
また、日本人(民族)の宗教観である「 先祖崇拝」から、宗派を超越して仏教を捉え直してみてはどうか?とか
釈迦が悟りを開きブッダと成ったとしても、一人の29歳の大人として、子どもに「ラーフラ(邪魔者)」と名づけ、妻と子供を残して家を出てしまうことは、あまりに身勝手なこと、これは許される事なのか?等、山折氏からの、仏教者へのこれもむずかしい投げかけがありました。

シンポジウムの後、会場から質問を受けました

質問1、「苦集滅道」の解釈
「苦集」は 四諦のこと。「苦」とは人間の生が苦しみであること、「集」とは煩悩による行為が集まって苦を生みだすこと、「滅」とは煩悩を絶滅することで涅槃に達すること、「道」とはそのために八正道に励むべきであること。つまり、常に終わることなく己の苦が滅するように、修行すべしということである。

質問2、仏教の八正道でいう、「正しいこと」とは何を言うのか。
正しい考え方というのは、偏らない考え方を持ち、自己中心的な考え方を捨て、この世の真理に照らし合わせて考えること。
相手の心を慮り、場合に即して、正しい伝え方をすること。
殺生や盗みをしてはいけない、みだらな行為をしない。
規則正しい生活を心がけ、人をだましたりして生計を立てるなどはしてはいけない。
この世の絶対に変えられない真理(諸行無常や諸法無我)を知り、その真理に即して信念を持って生きること。
つまり、自分の感情・欲望に支配されない物の見方や行動が「正しい」のである。

その後、入場者へのプレゼントとして、山折氏の直筆色紙、各パネリスト直筆色紙贈呈の抽選会が、若林副会長の司会であり、パネリストが当選者に直接手渡しされました。


 
 

編集後記:盛況と言えないまでも、たくさんの方々にお越しいただきました2019年度の三宝の集いが無事に終わり、また来年の三宝の集いに向けて準備が始まります。多くの課題が山積みではありますが、素人が、また宗教者が、催しをすることの難しさを痛感しております。今回のゲストスピーカーの山折氏のご講演内容は、大変興味深い内容でありましたが、「ほとけの心」というタイトルからはイメージしにくい内容でした。でも、お話の最後に氏は、はっきり言われました。
ほとけさまならどうされるだろう・・・これがやはり、「ほとけの心」を勉強し、修行し、知ることが、これからもこの日本に生きる我々に必要だよと教えて頂いたのだと思います。
今回は、たまたま偶然に録音されていた音声データから、書き起こしとまとめを掲載しましたが、瀬川師のご講演やディスカッションの後半が切れてしまいました。お許しいただきますように・・・・。また、このために、地元京都をはじめ、東京や神奈川、愛知、兵庫、大阪など、遠くからお越しいただいた方々には、心より御礼を申し上げます。また来年も同じ時期に開催することになっております。これに懲りずに、またお越しいただきますようにお願い申し上げます。合掌

写真:正垣・藤野
文・編集:藤野正観

 

2019年11月1日付け中外日報社記事をご紹介します。