悲しいご報告: 菅原達孝師ご遷化に伴い1分間の黙祷

 

 

 

 

 

会長挨拶
皆さんこんばんは! あっという間に2月半ばになっております。昨日、東京からこちら(京都)に来たのでありますが、八条口でタクシーに乗りましたら、いきなり運転手さんから、「今、報道されておる件で、死んでいる人はこんなもんじゃない!」と言われ、一瞬何のことかなと思いましたが、コロナウイルスのことかと気づきました。公に知らされている死者の数よりももっと多いはずだと、その運転手さんの言葉に、そういえば、全然問題にされないで亡くなっておられる方も居られるかもしれないと、気づかされたのであります。私は浅草に住んでおりますが、日頃お参りの方でいっぱいの浅草寺の方も、参拝の方が少なくなっているようであります。
それ以上に、この京都の観光地は、テレビ等の報道では、非常に少ないと聞いておりますし、今年は、華やかなオリンピックの開催を迎える年でありますが、いろいろと心配事の多いことであります。
それと、この仏教クラブでも、次から次へと会員さんが急逝され、菅原達孝会員はご高齢ではありましたが、毎月この例会にご出席いただき、お元気なお姿を拝見しておりましたし、つい先日もお会いしたばっかりですが、お浄土に旅立たれました。お悔やみを申し上げる次第であります。そんな悲しみ中でもこの仏教クラブは、釈尊の教えを頂いて活動するグループということで、自負を以て歩んで参りたいと、このように思っております。
今日のご講師は、石清水の宮司さんの田中恆清様でございまして、私共も大変ご尊敬申し上げておるわけですが、よろしくお願いします。
今日はようこそ、ご出席頂きありがとうございました。

 

ゲストスピーチ  『 神も仏も 』  

石清水八幡宮 宮司 田中恆清 様

京都府生まれ。1969年國學院大學神道学専攻科修了。
平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年より石清水八幡宮宮司。
2002年京都府神社庁長、2004年神社本庁副総長を経て、2010年より神社本庁総長。

古いお付き合いの白坂社長から 仏教クラブというのがあって、そこで話をするようにご命令がありまして出て参りました。
(白坂氏には)石清水の責任役員をお願いしておりますので、 役員に逆らう分けにはいきませんので、訳も分からずにこの場に居るわけでございまして、仏教会の奉職の方々やご関係の方々がこうして例会を開かれて親交を深めておられるこの場所に、お招きいただいたこと、まずもって心からありがたく御礼を申し上げる次第であります。
もともと、神主という者は、寡黙でございまして、こんな(たいへんな)場所に立たされお話をするということは大の苦手であります。従いまして、約30分ほどお話をするようにということでございますが、どうして30分を、ごまかそうかという風に思っておるわけでございます。(笑い)

私の奉職する石清水八幡宮は、ご承知のように八幡様をお祀りしておりまして、実は八幡様は、ある意味で神仏習合の代表的な 神様でして、明治以前までは、八幡大菩薩と呼称されていた神様でございます。
従いまして創建当初は石清水八幡宮寺、宮寺というふうに申しておりました。
そもそも、創建されたのが奈良の大安寺の僧侶でありました日野行教という方が九州の当時の豊前、今は大分県でありますが、その豊前の宇佐八幡宮から石清水の方にお移しになって今年は、1160年目を迎えているわけでございます。

したがいまして石清水は、当初から僧籍のある方がたがお守りになっていた神社でございます。
いずれに致しましても、岩清水では仏さんと神さんが仲良くお祀りされてるというところでございまして、神も仏もという信仰が続いてきたと思います。
明治維新を迎えまして神仏分離令が発令されましてその関係で今も仏教会の方々には「えらい目におおたわ」とよく言われるわけですが、実は、正直に申し上げて神社もえらい目にあったんです。と、言いますのは明治維新までは、これは正確に数えた数字ではありませんが、全国に約20万の お社があったとこのように言われておりますが、神仏分離令が発令されてから大正12年の間に8万のお社が消滅いたしました。12万に減ったわけですね。
さらに今は約8万の社だけになってしまったということですから相当数の神社が、ある意味で、無くなったりあるいは合併したりいろんな形で大きな変革があったのでございます。
そういう意味では、明治の廃仏、神仏分離令というのは、ある意味で、日本人の精神的な基盤を大きく壊してしまったと私はこのように思っております 。

実は、私の家も明治維新までは検校(けんぎょう)と社務と兼ねておった時代が長く続いておったわけでございますが 、今も私の家には自坊がございまして、報恩寺という寺ですが、田中家の寺でございます。今は、ここにお会員でおられる松浦俊海様のご子息にお護りをいただいておりまして、従いまして、今は唐招提寺系の末寺となっております。
ちなみに私の祖母もお寺から嫁に来ております。 私の祖母は福井県の鯖江というところの常照寺というお寺から嫁に来ております。従って明治時代も含めまして、ずっと神も仏も共に一緒に歩んで来たのであります。
いろんなところでこういったお話をさせていただきました日本の国内ではこういう話はごく当たり前の話ではありますが、家の中には仏壇があり神棚がありこれが普通の日本の家の様子であります。
それが、いろんな情勢の中で変化しましても、日本人の信仰心の中では今も、神も仏もという強い信念があると思います。
私の家も今申し上げましたように、私の先祖たちが田中という家を御守りをしてきたのですが、私の家は、四家の分家がございまして、その一つの分家の中に善法寺家というのがあります。この善法寺家は、実は、この寺も松浦俊海様のご子息が御守りをされておられます善法律寺というお寺がございますが、こちらは善法寺家のお寺ということになります。
そういったことで、簡単に申しますと私にとっては、お坊さんも神主さんも共にいつも同じ歩みを続けてきたと、そのように私は感じております。
私の最も尊敬する僧侶は、元比叡山延暦寺の葉上照澄大阿闍梨でございます。
私は、父親のように慕っておりました。海外を含めていろんな所にお供をさせていただき、いろんなことを教えて頂きました。従って私にとってはお坊さんというのはごく身近な存在であると同時に、歴史的には強い繋がりがあると、今もこのように思っております。
ちなみに、私は神職の家系を注いでおりますけども、私は実は中学高校とはキリスト教の学校に行っております。それもプロテスタントの学校でして、私の息子も中学高校大学と私と同じ学校を卒業しております。もちろん今は石清水の権宮司という立場でございまして、私の後を継ぐべく、社家の一人として奉仕をしておりますが、私の家内と 娘はカソリックの 学校を出ております。従って私の家ではカソリックとプロテスタントと更に仏教とプラスして神道と、本当に日本らしい家庭環境ということでございますが、今もって宗教戦争はありません。
いつも仲良くしているわけでございまして、ご承知のように日本人は自分の目上の人、大自然に対して畏怖畏敬の念をし続けてきた民族であろうと思っております。昔、私どもの小さい頃は父から言われましたけども、世の中には怖いものが四つあるぞとそう言われたんでございます。 一つは地震カミナリ、火事、親父と、この四つが世の中には怖い存在であったという風によく言われました。
地震、カミナリというのはある意味で大自然の営みでございますから、人間のちっぽけな力ではどうしようもできないというわけでございますが、しかし、減災ということからしますと人間がなんとかできるのではないかと思いますが、火事も人間の努力、注意によって、なくすことはできるかと思います。
今や親父というのは全く存在感がなくなっていますが昔の親父は大変怖い存在でありまして、父親より先に風呂に入ったりすると怒られた記憶があります。
今は家庭の中で最も尊敬され常に注目をされているのは、お上さんでございます家の中で最も権力のある神様が、おかみさんでございます。神仏の神ではなくて上という字を書くおかみさんでございます。これ以上の存在はないわけです。(笑い)
私たちはそのお上さんの掌の上で生かされているとこのように考えた方が良いように思います。
今日は女性の方がたくさんおられます最近はこういったことを言うとセクハラと言われるそうでございますが、最近はあなたを美しいですねと言うと、これもセクハラということになるそうであります。もう何も言えないような状況でございます。私は女性を大変尊敬しておりますし、常に気をかけているわけでございます。
さて、今年は日本書紀という書物が編纂されて1300年という年を迎えているわけでございますね、今年は東京オリンピックの年、2020と、西暦でそのように申し上げているのでありますが、えー、私どもは日本書紀編纂1300年というこの年に当たって、神社としては大変重要な年周りであるとそのように思っております。
ご承知のように日本書紀というのは皇室の御祖先であられる天照大御神と 八百万の神々のご事績あるいは日本の起源という神典、神の典ですね、そういうことで、我々はこの書物に大いなる尊敬の念を抱いているわけでございますが、実はこの神道も宗教の一つというふうに考えていただいて良いわけですが、世界にはたくさんの宗教がございますが、ほとんどの宗教は教義、経典を持つ信仰がほとんどでありますが 、道という名の信仰を持つのは神道だけだと思います。実はこの神道という言葉が文献上初めて現れますのが、日本書紀の中に出てくるのであります。
それも第31代天皇、用明天皇の時に初めて「神道」という言葉が出てきます。
このように書かおります。「用明天皇の即位前記」と言う記事の中にこの言葉が出て参りますが、「スメラミコト、仏の御法を承り、神の道を尊びたまふ」この時に出てくる「神の道」というのが神道という言葉の初現であります。
もちろん神道の歴史は2600年以上の歴史を持つ訳でございます。文献上現れているのは、用明天皇の頃、すなわち、用明天皇という方は、非常に仏さまを信仰されておられ、更には神道にも大変尊敬の念をもって生きて来られたということでございます。
皆様方には、それこそ、釈迦に説法でありますけども、用明天皇のお子様はいうまでもなく聖徳太子様で、この時に神道という言葉が日本書紀に出てくる。それから1300年ということが言いたいわけでございます。
この意味は、 言うまでもなくスメラミコトすなわち天皇は、仏の御法、仏法を信じられ、神道を神の道を貴ばれたという意味でございます。申し上げるわけでもないのでありますがそういった事柄が日本書紀に出て参ります。
また、さらに第36代天皇、孝徳天皇、この方はご承知のように、この間元号が変わりましたけども「大化」という最初の元号の天皇様でございまして、同じく日本書紀の中でこの孝徳天皇の言葉がございまして、 まさに「まこと」をもちて天下を治べし。このようにおっしゃっておられます。
この「まこと」というのは真実の真ではなくて信仰の「信」でございます、その信をもって天下を治めるべし、と、このように述べておられる訳でございます。
神道では「じょうみょうしょうちょく浄明正直」と言いまして「清き明き正しき直き心」ということをある意味、神道の信仰の中心に置いている分けでございます。清く明るく正しく直く歩んで行こう、そしてそれは八百万の神々がお引きになった神の道である。ということで、一日の生活の中で、実践をして行くということでございます。

私は、今、神社本庁の総長という立場でございます。今、神社本庁が包括しております神社の数は、約8万社ございます。
先ほど言いましたように、神道には、教義、経典が、無いわけでございますから、どのように8万のお社をまとめていくか、それが戦後の課題であります。戦前は、ご承知のように神社は国家管理という時代がございました。これは神社が好む好まざるに関わらず、ある意味そういう政治的な力によって運営されるというそんな時代があったわけでございます。
神道というのは、ある意味、日本人の生活そのものではないかと私は思っております。
毎日生きている、生かされている、そういったこと(価値観)全てが、神道的な、その生き方と言いましょうか、そういったものを我々日本人はずっと続けて来たように思います。

そして、用明天皇の時代の前の29代天皇、欽明天皇の時代に仏教が日本に伝来をして来たということでございますけども、日本人は、仏教伝来によって新しい生き方をその時代に歩み出したと思います。
それは、まさに先ほどから申し上げておりますように、神様も仏様も一緒に深く信仰して、そして、お互いに仲良く平和に寄り添いながら暮らしていこうといった、そのような信仰を日本人の感性によって神仏習合という名のもとに、そういう信仰を生み出したと私は思っております。
それが明治維新まで続いたわけでありますですから、1400年以上の歴史をもって日本人の独特の信仰の文化があったと思います。そのなかで八幡様と言うと神仏習合の最たるものではないかと、そのように思っております。
色々な形で神様自身がお話になる、我々はそれを託宣(たくせん)と言いますが神様自身がこのようにしなさい、こうするのがよろしい、とそんなある意味で範を示される。
そういう意味では八幡様は冗舌な神様であるということが言えると思います。
八百万の神々、すなわち八百万と書きますけども、別に八百万の神さんがいると言うことではございません。たくさんおられるという意味でございます。八百万の神々とこのように表現するわけでございます。
神さんの中には名もない神様がおられまして すなわち名前のついていない神様ですね。
例えば、つい最近ではトイレの神様という歌がございました。皆さんお聞きになったことがあると思いますが、あの時によく神社に電話がかかって参りまして、トイレの神様の名前を教えてくれと、よく電話がかかって参りました。
知りませんからね「私は知らんというよりもないわけですからそういうトイレの神様の名前というのは実はないんですわ!」と言ったら、「ない神様が居るのか!というようなそういうことをおっしゃって、そんな方が結構おられたわけでございますが、曰く日本人は天地万物全てに神様が宿っている。すなわち神仏の宿っているという考え方に立っておりました。
いろんな場所に神仏がおられまして、例えば人が見ていなくても必ず神仏がどこかからご覧になっている。だから影で悪いことしてはいけない。というようなことを親や祖母からそういった形で子供達に教えてきた。これがずっと伝承されてきたんですね。
最近は核家族化し、あるいは子供が自分の家庭を築いて、いろんな繋がりというものが、また絆というものが非常に薄くなってきているとそんな時代ではなかろうかと思っております。
今回、今上陛下が御即位されまして、ご承知のように上皇陛下は御在位中に攘夷をされて202年ぶりに起こった今回の攘夷による即位ということでございます。
第119代光格天皇という天皇が、実は在籍中に攘夷されたわけでございます。
光格天皇は、四十歳で攘夷をされたと言われております。その後、20年間上皇としてある意味で皇室の様々な改革をなさった方でございます。
この光格天皇の御製(ぎょせい)にこういう御製がございます。 「民草に露の情けをかけよかし代々の守りの国の司は」という御製を出しておられますが、これは光格天皇はご承知のように、江戸時代後期の天皇様でございまして、当時の徳川幕府は第11代徳川家斉の時代でございまして、11代将軍で征夷大将軍ございました。
で、(将軍が)ものすごい権力を持っていたそんな時代でしたから、その時に攘夷をされるわけでございます。この時代は天明の時代と言いまして、有名な「天明の大飢饉」と言うのがございまして、御所千度参りといいまして、御所に民衆が集まりまして救援米を放出して欲しいと請願をですね。毎日押しかけてきた。とそういう記録が残っております。
それを受けて、光格天皇は時の絶対権力者であった家斉に「救援米を放出しなさい」という命令と言いますか、そういったことをおっしゃるわけですね。それを受けて家斉は救援米を出したという記録が残されております。
それと、もう一つは光格天皇が上皇になられて一番最初にやられたのは皇室祭祀の復興であります。すなわち現在に続く天皇陛下自らが執り行われる皇室の祭祀でございますが、それを光格天皇がおやりになられたわけでございます。そのことをもってお亡くなりになられてから天皇号を久方ぶりにお受けになられた方であったわけでございます。
実は現、上皇陛下は光格天皇を大変ご尊敬されていたと以前、侍従から聞いた覚えがございます。
まあ、そういったことがあって今回ご攘夷されたと思うのですが、そこまでは我々は知ることができませんけども、でも、いずれにしても光格天皇のご存在というものは現、上皇陛下にとっては、大きなことであったんだろうと、そのように拝察を申し上げるわけでございます。
私どもは常に 神前で神明奉仕をお勤めしているわけでございますけども、石清水八幡宮は今もって先ほども言いましたように、お参りに来られる方の中には神前で般若心経をあげる方が大変、多くございます。
まあ何と言いましょうか全く違和感はないんですね。御神前で般若心経をあげておられても我々が神前で祝詞を奏上していてもですね、全く違和感はないんですね。
まさに神仏共に歩んできた清水の歴史というものが、今もってきちんと伝えられているのではないかと、まぁこのように私は思っております。

先ほども少し触れましたけども、日本人は天地万物大自然も含めて全てに神様が宿っておられるんだと言うことを、信仰していたわけでございます。
例えば神木あるいは岩、川、海、全てのものに神様がお宿りになっているとということでございますから、当然、神道の初めは自然崇拝から起こっているということでございます。従って、神社というある意味で建物が建立されるのは、まだそんなに歴史は古くはないのでございます約2000年ほどだと思います。
そういった歴史を持っているわけでございますが、それまでは自然万物に神様がお宿りになっている。従ってこれを粗末にしてはならないということを我々は教えられてきたわけでございます。
まさにこれも仏教の教えの中にも共通するものであろうという風に思いますし、仏教が日本に伝来して、古来からあった日本人の民族信仰と言って良いと思いますが、神道、惟神(かんながら)の道と、うまく和をなして 、ずっと長い間、日本人の生活の中にしっかりと根づかせてきた、こういうことができるのは日本人だけだろうと、そのように思います。

外国に行ってですね、時折スピーチをさせていただきますが、他の宗教の方と会議をすることがありますし、会議というよりも一緒に席に着くと言う行った方が良いなと思いますが、一神教の方々とお話をする機会があるわけでございますが、私のようなこういったお話をすると、まさに怪訝そうな顔をされるわけですね「あんたの信仰はいったいなんや?」という風に逆に問い正されることがよくあるわけでございますが、日本人ならごく当たり前のことなのですがやはり唯一絶対の神のみを信じておられる方々にとっては日本人のこういった信仰のありようというものに対して、なかなか理解が進まないということがあろうと思います。
特に神道は書かれたものがあまりありません。従って仏教のようにいろんな形で海外に出版されてお読みになっている方がたくさんおられるわけでございますが、
神道にはある意味で書物をも含めて そういったものはなかったのですね、従って明治維新以後、色々な形で海外に出かけた人たちが神道のことを紹介する、あるいは日本人の信仰を伝える、そういった中で大変間違った使い方をしていたことがたくさんあったように思います。
例えば海外の方々に、天照大御神のことをご紹介をするということになりますと、どうしてもアマテラスゴッドと言ってしまうんですねねぇ、そういう学者さんもたくさんおられたんですけども、そういたしますとアマテラスゴッドと言うてるその尻からスサノオゴッドというわけでございますね。あるいは、イナミゴッドと言ってみたり色んなゴッドがゴットゴット出てくるわけですね。(笑い)
外国の一神教の方々は、もう何がなにやらわからないといったことになるだけでございます「それだけ日本にはゴッドがたくさんいるのかそれでうまくやっていけるなぁ、」と、そんな不信感をお持ちになるわけでございますけども、まあひとつひとつ丁寧に説明していくとある程度は分かっていただけることもあるのですが、最近は、従って海外でも神様のお名前を申し上げる時には、そのまま言っております。例えば、石清水八幡宮も海外の方にお伝えするときには、石清水八幡宮シュラインという言い方をよくするんですが、シュラインというは神社ということ、と一般的には言われているわけでございますがshrine(シュライン)というのはどっちかと言うとお釈迦さんに近いのではないかと思っております。
神社のことを Temple というと「何を言ってるのか!」と。怒られますので、同じように、いずれにしても神社の説明にしても神様の説明にしても、最近は固有名詞を使ってちゃんとお伝えしております。その方がより分かっていただけるように思います。
「天照大神」とそのようにお伝えをいたしますと比較的皆さんご理解をいただけるだと思っております。このようなことであろうと思います。

実は、皆さん方ご存知の物理学者であると同時に神学者であった寺田寅彦さんという方がおられましたその方が、昭和10年に書かれた日本人の自然観という書物がございますお読みになった方がおられると思いますがその書物の中に大変、何と言いましょうか、的を得た日本人の信仰と言いますか、そういったものを説明された文章が出てまいります。
こう言っておられるんですね
「自然と調和する知恵を経験を蓄積して発展してきた」と、このように寺田寅彦さんは日本人の自然観を述べておられます。先ほど言いましたように、神道という言葉は日本書紀に初めて出てくるわけでございますが、古事記には出てまいりません。
従って日本書紀には4回、惟神(かんながら)の道という言葉が出てくるわけでございまして、まあこれは仏教会の方々は共生、共に生きると言いましょうか、こういったことをよくお話になると思うのですが、当然神道にも同じ考え方がございまして、ただ神道は少しひねくれてると言いますか、ちょっとおかしな言い方ですが共生(キョウセイ)とは言わずにですね、共生を「ともうみ」と読むようにしているんですね。
すなわち、「大自然と共に何かを生み出していく」そういう考え方です。
すごく積極的な捉え方をするわけですね。失礼なことを申し上げて恐縮なんですが、共生というのはごく当たり前の事なんですが、共に生きる、共に歩んで行く。 これはもう人間社会の当たり前の様子であります。秩序を守り和を尊ぶ。すごく当たり前のことだと思います。
そこから一歩進んで、共生(ともうみ)する すなわち何かを生み出すことということが、やはり必要なんじゃないかなという風に思います。私の尊敬する上田正昭先生とまったく同じ考えでございます。
上田先生とはいろんな形でお付き合いをさせていただきました。上田先生は皆さんご存知のように学者であると同時に古代史の権威であるであるわけでございますけども、上田先生は実は鴨沂高校出身であると同時に京都国学院という今でもございますけども、今は神職を養成する学校ですが京都皇典講究所という学校法人が経営しておりますが、そこの出身でございまして、ご実家は神様のお家(神社)ですから当然跡を継がれるべく、 神道の勉強をされたわけでございます。
その後、国学院大学に進まれて、さらに勉学に励まれた。
そして京都大学に移られて、さらに勉強を深められたわけでございます。
上田古代史と言いましょうか、そういった学説を確立された先生であるわけでございます。
ちなみに京都国学院学校という学校は河原町荒神口の所にありますけども、まあ簡単に言いますと寺小屋みたいな学校でございますが、歴史は既にもう130年を超えているわけでございますがもともと京都国学院の校舎は実は今、京都女子大学のあるあの場所、あそこに京都国学院の校舎があったのです。したがって 戦後GHQ によって徹底的に排除されてしまうわけでございますが、そういった学校が京都にございましてですね、そして、さらに京都皇典講究所というのは、当初は神職を要請するそういった科目もありましたけども、本来の学校の目的といいますのは小学校の教員を養成する学校として出発しているんですね。
従って、当時は小学校の先生をされてる方がたくさん排出されたと聞いておりますけども、いずれにしても、そういった神職の養成であるとか、あるいはいろんな事柄について、戦後、神社本庁という組織が、それをある意味で確立させて、今に至っているということであります。
実は、八万のお社があると言いました。しかし神職の資格を持っている、すなわち、神社本庁の傘下にある神社の神職になる資格を持っている方は、たったの22000名ほどしかおりません。したがって八万のお社を22000名の神職が護持するわけでございますから、当然、お一人の神主さんが何社も兼務する、これはたぶんお寺さんでも同じ状況だろうと思いますが、さらに最近は氏子の減少であるとか、過疎化であるとか、いろんな社会的な現象によりまして神社のお護りが非常に厳しい状況下の神社が沢山あるわけでございますけども22000名の神職の資格を持つ者が、八万の神社を現実には護持しているわけですが、そういう事になりますと、一人の神職が例えば京都の北部に参りますと、一人の神職が100社、兼務をされておられる方がおいでになり、その100社の神社を覚えるだけでも大変なんですが例えば、おそらくですね、お祭りををしなければならないとなると100社回らないといけないとなり、そんなことはできません。
そういう形の中で、神社の近くにお住いの素晴らしい氏子と言われる方々が平素は 皆で護持されている。
これが現実でございます。
さらにその100社を護持しているからなんとか生活ができるじゃないか。
このように思われるかもしれませんが、これはもう、仏教会の方も多分同じ悩みを抱えておられるかと思うんですが、神社だけでは生活はできないんですね。
したがって、その他、兼職と言いまして、他のお仕事を持たれていて、そして、そのお仕事によって得られたお給料と言いますか、そういったものを神社運営に注ぎ込んでですね、神社をお護りされている。
これが実態でございます。ところが、最近はですね、これもまた後継者不足でございまして、昔はよく養子に入ったり、養子に行ったり、いろんな形で家を継承してきたのでございますが、なかなか最近は、そうもいかなくなりまして、 なかなか厳しいものがあるわけでございます。
いずれにしても、私ども日本人が、ずっと長い年月をかけて守り抜いてきた神仏のそういった、たいへんありがたい日本の何と言いますか、国柄と言いますか国のあり方そういったものをこれからも我々は次の世代に伝えていかなければならないという風に思っている次第でございます。
だいぶお時間も超過いたしまして、お話を致しましたが 冒頭にに戻りまして神主は寡黙でございます。(笑い)
たくさん喋ったつもりは毛頭ございません。
どうぞその点はご理解をいただいて今後とも、この仏教クラブがさらにご発展されますことを心から祈念いたしまして、私のまとまりのない拙いお話を終わらせていただきます。
ありがとうございました。


 

乾杯の発声:
大本山随心院門跡 亀谷 英央 会員
みなさん、お久しぶりでございます。長いこと休んでおりまして、申し訳ありませんでした。
別に忙しいわけではないのですが、例会との時間が合わなくて足が遠のいてしまいました。田中宮司さん今日はありがとうございました。
今、お話を聞いて思い出したことがあります。それは、私どもの随心院にも八幡社がありまして、そのお社がぼろぼろになっていたんです。それで、ちょっと修理したのですが、その時に、そのお社の扉を開けると、何も無かったんです。
誰かに盗られたのか無かったのです。それで、私、思い出しましてね、神さんを勧請しなあかんと思いまして、大分の宇佐神宮さんまで出かけて、簡単に考えていたんですが、その勧請の儀式をするのが、宇佐神宮さんの本殿ではなくて、その場所は、山の奥にあるということで、山の中に入っていくのですが、その頃はあ梅雨の時期で雨も降っていて、嫌やなぁと思っていたのです。
ところが、その時には、雨が上がりまして、「こりゃぁ、運が良かったなぁ」と思ったのですが、その場所に行きますとね、口ではうまく表現できませんが、「神さんってほんまにお出でになるんやな・・・。」とそんなものを感じました。そこは、深い霧も立ち込めここは、アンタッチャブルな場所なんやな、と感じました。
1時間から2時間ぐらいその場所に居たのですが、やたら体がしんどくなったのを覚えています。八幡さんのお力というのは凄いなぁとそんな風に感じたのを思い出しました。
それから随心院では、放生池がありまして、近所の方が参られて生き物をその池に返してあげるということ(放生会)があるのですが、もともとは人に食べられる鮒やコイなどの魚をわざわざ購入して逃がしてあげるということなのですが、なかなか生きた川魚が手に入らず、最近ではドジョウを放しております。もう10年ぐらい続いています。
10年前に放したドジョウは今どうなっているのか、わからないのですが、毎年続けております。
そんなことから今、神様のお話をお聞きして、悪いことをしたら仏さんはバチをあてませんが、神さんは、ばちを当てるんやということを思い出しました。(笑い)
それでは、仏教クラブの益々の繁栄と本日ご参集の皆様のご健康と、田中宮司様の神社本庁の広隆を祈念いたしまして乾杯をしたいと思います。乾杯!!

編集後記:今、日本はコロナウィルス(新型肺炎菌)事件で多さわぎ、いつもなら観光客で身動きできない京都の名所はがらがら。
神経質な人などは、マスク、手袋装備で、電車、バスなどにも乗らない。多くの人の居るところには行かない。
報道では、毎日、感染者の数が増えています。保菌者はその何倍かいるはずです。中国、武漢から中国本土、そして日本。
当初の対処を間違っていました。結果論ですが、やむを得なかったとはいえ、最悪の結果が増幅され続けています。
今日の田中宮司のお話にあった「共生」という仏教と神道の基本的な捉え方がこういった時にこそ、必要なのですが、発生元の中国のネットでは、感染者を冷たくあしらう修羅場が映し出されています。
人の心の奥底に秘めておくべき修羅の心が表に出ているようです。今月14日は、お釈迦さまがお亡くなり涅槃に入られた日とされています。涅槃会例会です。
今、日本でも、健康な人どうしでも、できる限り他の人との接触を避けて暮らさなければならい、涅槃の境智どころか、そんな境智になっています。
一日も早く新薬ができて、このウィルス騒ぎが治まり、共に生きる、共に生み出す。この教えが、一日も早く生き生きと輝き出すように祈るばかりです。

写真:正垣、藤野
編集:藤野正観