【当麻曼荼羅】
阿弥陀如来の極楽浄土を説く教典のうちもっとも重視されるのが「無量寿経」・「阿弥陀経」・「観無量寿経」のいわゆる浄土三部経である。このうち、観無量寿経に基づいて構成された浄土曼陀羅図(如来が説く教えを体系的に表した図)である。日本で最も古い作例が大和の当麻寺に伝わることからこの名がある。
この図の向かって左に韋提希夫人(イダイケブニン)の物語がある。王舍城の悲劇といわれる、有名な仏教説話である。
この悲劇を専門家にお聞かせいただくことになったわけである。
■王舍城の悲劇あらすじ
インド・ビハール州南部のパトナ県には、周囲を山に囲まれた王舎城跡が現存する。
城址からは、悠々と延びる丘陵が見渡せる。
今から二千六百年前、インドで、最強を誇っていたのは、都に王舎城のある、マガダ国だった。
韋提希夫人は、その支配者・頻婆沙羅(ビンバシャラ)王の妃であった。 国王夫妻は、物質的には何不自由のない生活を送っていたが、ただ一つ、悩みがあった。
後継者の問題である。二人には子供がなかった。
「このままでは私たちの世継ぎはどうなるのかしら」
子宝に恵まれぬ韋提希の不安が惑いを生み、占いの迷信へと走らせたのである。
これがすべての悲劇の始まりだった。
占い師は言う。山奥にいる、ある修行者の命が尽きしだい子が宿る。
それまで五年を要するが殺せばそれは早まる、と。
「修行者を殺してまでは……」 と重臣たちは止めたが、韋提希の説得に押された王は、三百騎の兵とともに山に向かい、修行者殺害に及ぶ。
修行者を殺害
鮮血が散り、すさまじい形相で国王夫妻を睨みつける修行者。
「おのれ!このうらみ……必ず、はらしてやる!」
凄惨な光景は、韋提希の脳裏に深く焼きつけられた。やがて、どうしたことか韋提希は身ごもったのである。
城内は、祝いに来る近隣諸国の使者でにぎわうも、夢の中で、酒宴の席で、襲い来る修行者の幻影に、韋提希は憔悴してゆく。
夫にも胸中は理解されず、苦しみはまた、惑いを生み、再び占い師にすがる。
「実は…太子様…ご両親に大変恨みをもって宿っておられます。成長されると、きっと親を殺されるお方になるでしょう」
占い師の言葉に、いよいよ追いつめられた韋提希は、ついに、世にも恐ろしい計画を立てたのである。
産室を二階に設け、下の部屋に剣の林を作る。ひと思いにそこへ産み落とすのである。頻婆沙羅王も、韋提希の必死の懇願に、共犯を担うことになった。
ところが、生まれた子供は小指一本切り落としてすんだのである。
産声を聞き、もはや殺意失せた二人は、その子を阿闍世(アジャセ)と名づけ、蝶よ花よと育てるが、そのうち異常な凶暴性をあらわにしてゆく。
悪魔に見入られたごときわが子の暴虐に、この世の地獄へ転落していった二人は、釈尊のご説法に耳を傾けるようになる。やがて、頻婆沙羅王夫妻は、釈尊教団の強力な支援者となるのである。
提婆達多の策略
尊名、天下にとどろく釈尊を妬んだのが、釈迦の従弟にして阿難の兄と言われる提婆達多(ダイバダッタ)である。釈迦に提婆。釈尊教団を乗っ取ろうと野心に燃える提婆は、釈尊を殺そうと策を練る。
一度目は、高所から釈尊めがけて岩を落とすが失敗。足の小指から血を流されただけだった。
二度目、野象に酒を飲ませてけしかけるも、釈尊の偉大な尊容に触れた野象は、猫のようにおとなしく前足を折ってしまう。
やがて、提婆の目は阿闍世へ向けられる。
釈尊の威勢は頻婆沙羅王と韋提希にあると思った提婆は、巧みに阿闍世に取り入り、絶大な信頼を得るようになる。 時機を窺い提婆は、阿闍世出生時の小指の秘密を暴露する。
「おのれー、そういうことであったのか!」
一切を聞かされ、怒り心頭に発した阿闍世は、阿修羅のごとく飛びだし、頻婆沙羅王を七重の牢にたたき込んだ。
釈尊は、この王の苦しみを察知なされ、神通力第一の目蓮(モクレン)と、説法第一の富楼那(フルナ)を遣わし、説法を命じられる。
一方、韋提希は食べ物を牢へ隠し持ち、王は心身ともに命をつなぐのである。
これを知った阿闍世は激怒した。
「俺の敵に味方する奴は、母といえども敵だ、許さん!」
ついに殺母の剣は振り上げられた。その時、ガッシリと握る腕があった。側近の月光(ゲッコウ)と耆婆(ギバ)である。
二人の諫めに、剣は鞘におさめられたが、韋提希はわが子、阿闍世によって七重の牢にぶち込まれてしまう。
暗黒が光明の広海に
牢獄でのたうちまわる韋提希。霊鷲山(りょうじゅせん)で『法華経』の説法をされていた釈尊に、韋提希の悲痛な心の叫びが届き、救済に向かわれる。
仏の慈悲は、苦しむ者にひとえに重い。『法華経』のご説法を中断されてのご決断は、釈尊出世の本懐中の本懐である、阿弥陀如来の本願を説くことにあった。
愚痴の限りをぶつける韋提希に、ただ、釈尊は慈眼を向けられる。『観無量寿経』の有名な無言の説法である。
愚痴の行き場をなくした韋提希が、五体を投地したのを見届けられた釈尊は、眼前に光輝く十方諸仏の国土と、阿弥陀仏の極楽浄土を照らしだされ、定善十三観と散善三観を説かれるのである。
実行して初めて、善のできない、地獄しか行き場のない者と知らされた韋提希は、深い苦悶におちていった。
その時「韋提希、今よりその苦しみを除く教えを説こう」と釈尊が言われると同時に、お姿が消え、空中に金色輝く阿弥陀如来のお姿が現れたのだ。
阿弥陀如来を拝した一念に、韋提希の暗黒の苦悩は晴れわたり、歓喜胸に満ち、韋提希は光明の広海に浮かんだのである。
歓喜に一転した韋提希の様子に驚き、阿闍世は母の手をとって牢から出す。 やがて、阿闍世も真実の仏法を聞くようになり、永く正法宣布の強力な支援者となった。
かくして、仏教史上最大の悲劇は釈尊の妙手によりハッピーエンドを迎えたのである。
この悲劇は、親が子供に苦労させられるという現代にも通じるお話で、子供が欲しいばかりに占いを信じ、悪魔の囁きに耳を傾けてしまった・・・。
占いという語句を色々な語に当てはめると現代の病んだ部分も見えてくるのではないか、
太陽光線に見えなかった微細な粉塵が照らし出されるがごとく、仏法という光明に照らされなければ、その歪みも悪魔の囁きも見えてこない。
現代に最も必要なもの、それは、光明、つまり仏法である――。
と締めくくられた。
※この王舍城の悲劇のあらすじは、http://www.tulip-k.co.jp/anime0-0.htmより転載・引用させて頂きました。
|