淡交社刊:シリーズ「京の古寺 から」No19善峯寺(著者:掃部光暢・水野克比古)より

生きて生かされている私
             
              
 掃部光暢

左:ひろさちや氏、右:筆者

 さて、小衲馬齢八十一歳を迎えさせていただき、毎日幸いの日々でございます。
昭和八年にお寺にご厄介になり、今や「寺のダニ」と相成り、昭和十三年より満州に二回召集、 三回目は南支と台湾で終戦、七年余のおつとめも、おかげさまで米国の上陸用舟艇にて田辺に帰国 させていただきました。

 常々観音さまが護って下さっていることが、涙なくしては語れません。
ありがとうございます。
よくもここまで持ちこたえたものだと、我ながら感心しているものの、しかし部品はもちろん、心 身ともに「ガタ」がきていることは、否めない事実であります。
ところどころ修繕していただいたが廃品に近い部品は全部総持ちでの運転、不可思議な我が身であります。

親よりいただいたもので一番初めにお別れするのが歯でありましょう。
今は上歯三本、下歯八本、計十一本で、根はしっかりしていても、いずれも化粧付きで、これに上十三本、 下八本のお助け歯がないと運行不可能、自他共同で、三度の食事はガタガタと音楽入りでいただいている 次第です。

 次に耳も然りであります。日々だんだんと退化か、不完全で、お話を聞いても低音のお話は意味が 取り難くて雑音に聞こえて情けないし、やるせないし、仕方がないが、時にはこれが吾に必要かなあ と感じた時には、何度も問いただすことにしております。
 これをしないと失敗することがあります。
このように、各部品は最大の活力で運転して下さっており、ご苦労さまであり、ありがとうとお礼を 申す毎日であります。
これひとえに観音さまがお守り下さる幸せいっぱいの日々であります。


  お釈迦さまは、人生は苦なりと申され、常に無常であり、縁により変わり行くものであります。

この娑婆において、苦を味わって楽となり、喜となさねばなりません。


心の持ち方が方向を決定いたします。
常に前向きに歩むことが肝腎かと、年寄りの冷や水を申し、
ごめんくださいませ。

平成11年記
京都: 善峯寺 山主