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道元禅師は京都のお生まれ
山路純正

二年ほど前のことです。
なにげなく別冊太陽をめくっていたら「中古京城図」という古地図が目につきました。
解説を見ると、鎌倉時代初期の京都の地図を江戸時代に復元したもののようです。
欄外に小さな文字でその時代に活躍した人物について、その所在地などが記してあるようです。
なにぶんにも小さな文字ですから判読が難しいのです。
後日その古地図の写真版を手に入れました。
当時火災で焼失した建物なども詳しく書いてあります。
鎌倉時代のものではありませんから正しく伝えているのかどうか疑問が残りますが、私にとってははじめてみるものでした。


道元禅師御影:藤野正観 謹写
なぜ興味を持ったのかといいますと、曹洞宗を開かれた道元禅師ご存命中の時代のものであったからです。
道元禅師といえば、その開かれたお寺、大本山永平寺が有名で、福井県のご出身と思われる方が多いのですが、しかし道元禅師は京都のお生まれで、その生涯の大半を京都で過ごされ、京都でお亡くなりになっているのです。
その古地図を暇にまかせて眺めておりましたが、その地図には道元禅師の足跡は見つけられませんでした。
他の宗派のお祖師さまは、京都のご出身以外の方でも記されているのですが。

 京都出身の私としては、ひいきの引き倒しではありませんが、京都の人たちに京都の生んだ偉人として道元禅師を是非とも知ってもらいたいと、この時ほど強く思ったことはありません。
そのゆかりの土地は、京都の新しい観光スポットにもなりうるのですから。

 昨年、関係方面の努力もあって、道元禅師の育父といわれる久我道具公の屋敷跡の京都国際ホテルと、ご修行のお寺建仁寺に顕彰碑が建てられました。

九月二十九日、人間国宝の狂言師、茂山千作先生の新作狂言「椎茸典座」が京都でも上演され大変好評を博しました。
地元京都の人たちの手によって道元禅師が紹介され、少しは知られるようになったのでしょう。
世紀末という時代も、末法思想がまん延して混沌としているというところも現代と似かよっていますが、そんな時代に全生命を燃焼しつくして生きた道元禅師の生き方そのものはまだまだ知られてはいないのではないでしょうか。
生活そのものが修行であると説かれ、その修行形態そのものが、私たちの日常生活の中にとけ込んで、道元禅師の教えがその出発点であったということすら知られていません。

京都府向日市:慶昌院住職