京都新聞夕刊2,003年(平成15年)7月19日土曜日 十字路より
悲惨な事件がやみません。道元禅師の表された「正法眼蔵」では、「願生此娑婆国土しきたれり」という言葉で、「願いを持ってこの世に生まれてきた」と、と書かれています。
だとすれば、今月、人々の心を震撼させた長崎男児誘拐殺害事件の犯人は、どのような願いを持って生まれてきたのでしょうか。
事件は今月1日に起きました。両親や妹と買い物途中に行方不明となった4歳の幼児が、翌2日の朝、約4キロ離れた駐車場ビルの敷地内で、衣服を脱がされた遺体で見つかったのです。
そして、事件発生から9日目、長崎県警は12歳の男子中学生を補導し、男児を誘拐し殺害したとする非行事実を児童相談所に通告しました。
事件も、教育関係者、知識人、政治家などのコメントは次々に報道されました。この事件が、現代日本人の人間観、社会観、教育観、家庭のあり方などに深くかかわることが理解できます。現代日本は、大切な「もの」を崩壊させてしまった…その崩壊のあかしとして事件も見ることもできるというのです。とはいえ、すべての少年が犯罪を起こすわけではありません。
「願いを持って生まれてきた」という言葉を、現代の日本人は、もう失ったのでしょうか。私は決してそのようには思えないのです。
しかし、その一方で、日本の少年が「発達障害」に陥っているという国連機関の勧告があったことも忘れ得ません。
そこでは、子供たちにとっての生活文化も、子供自身の文化と同じく、ほぼ崩壊したと指摘されました。
少年として生きることのない社会にまみれているというのです。
学歴社会の目的が、欲望を満たす消費力であるという日本の現実を反映しているように思えてなりません。
少年の健全な心身をはぐくむ文化が喪失しているのです。
慶昌院住職:やまじ・じゅんしょう氏
1,948年京都府生まれ。
駒沢大卒。
元曹洞宗近畿管区教化センター主幹、
曹洞宗宗議会議員。 |
|
|