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悲しい事件
山路純正
洞爺湖に美しい姿を写す有珠山の噴火、そして三宅島・神津島と、このところ天変地異が日本列島をおそっています。
一方、社会では、倫理観を失った企業が、大勢の被害者を出す事件をおこしています。雪印乳業の食中毒事件です。
事後処理の悪さや、企業トップの釈明会見からは、消費者や、雪印乳業を支えてきた生産者への、真心は聞こえてきません。
豊かになった日本、しかし、その豊かさは、企業の利益にばかりむけられ、消費者という、人々の健康や心への思いやりが、薄れているようです。

道元(どうげん)禅師は、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』のなかで「治生産業(ちしょうさんぎょう)もとより布施にあらざることなし」と説いておられ、政治や生産に従事することも布施であるとお示しです。

布施は、仏教のキーワードですが、その一つに、「無畏施(むいせ)」があり、これが最も大切とされます。
「畏れなき心=安心」を与えることです。

雪印乳業は、まさにこの布施を自らの倫理としなくてはならないでしょう。

 十七歳の少年がひとり家族や仲間から逃れ、列島を一千キロ、自転車で走り去りました。 少年は、クラブ活動の後輩四人を金属バットで殴り重軽傷を負わし、さらに母親を殴り、死にいたらしめた容疑で、逮捕されました。
岡山県邑久郡から秋田県本荘市まで十六日間、少年は、なにを考え、北に向かっていたのでしょうか。
そして、それにもまして、その少年の孤独さには、心がはりさけそうになります。
もう少し、あのような事件にいたるまでに、少年に手をさしのべることができなかったのでしょうか。
十七歳の少年が、ひとり、社会から逃亡しようとした。そのような社会をどのように評価すればいいのでしょうか。
こんなにさびしくて、悲しい事件はありません。

 今一度、道元禅師の言葉を聞いてみたいと思います。
『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』に「人の心、元より善悪なし。
善悪、縁にしたがっておこる」
と説いておられます。

縁とは、社会と理解していいでしょう。
私たちは、善悪の縁(社会)に生きているということです。
しかもだれ一人として、善悪の縁から逃れることはできないのです。
では、なにが、あの少年と、あの少年の"事件"に心ふるわせ悲しむ少年とを、分けるのでしょうか。

 かつてこのような話を聞かせてもらいました。
日本がまだ戦争に明け暮れて、朝鮮半島を植民地にしていたころの話です。
芸術を愛し、貧しい人に思いをよせ、世の中からは立派な人だといわれた一人の実業家がいました。
ところが、彼の富は、その植民地から得たものだったのです。
植民地からの不当な利益で、高価な芸術品を買うことができたのです。

 つまり、私たちに問われるべきことは、
「どのように思っているか」ではなく「どのように行っているか」ということなのです。

 少年が選んだ縁は、犯罪と逃亡にいたらしめました。

縁にしたがって、あなたはどのように生きますか――。
京都府向日市:慶昌院住職