仏教関係者が京都に集う会

平成14年(2002年)7月例会報告

ゲストスピーチ:新善光寺住職 畠山昭彦先生 『ダーナの心に生きるミャンマーの女医先生』

7月例会(夏安居例会)
 
列島を興奮と歓喜の声でつつみこんだ、ワールドカップも終わり、ようャく静けさをとりもどした気さえするこのごろです。
二月例会で、「世界中で一番美しい仏教国として知られるミャンマーの、宝石に彩られた豪華なストウーバーも、美しい景色も、貧しく病気に苦しむ人々の話を聞くと、どうしても、むなしさが残る」という家田事務局長のお話を伺いました。
 
そのミャンマーでのヤデナ キャウ医師の医療活動をご支援なさっている、畠山昭彦先生ご夫妻を、新潟からゲストとしてお招きし、ミャンマーとその医療の現状をお聞きします。

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沢田教英副会長が森会長欠席のため開会の挨拶をされた。
 
六月家族例会(室生寺日帰りの旅)にたくさんの家族参加に対し、礼を述べた。また、田中龍尚会員から記念写真を出席者全員に贈呈いただいたことを報告され、ミャンマーで、ダーナの精神で活躍される女医さんのお話をお伺いする為に、新潟よりお越しいただいた、畠山昭彦ご夫妻を紹介された。
 
また、ご自身が二年前にミャンマーにライ患者慰問の為に行かれた時の軍部主導の国内の様子を話され、そんな情勢の中で、ダーナに生きる女医さんのお話を心してお聞きしたいと挨拶された。
 
ieda家田事務局長のお話
2・3日前、勝浦旅行から帰ってきたが、台風の上陸前で大変だった。夏安居とはそんな暑い時期には、どこへも行かずに、どこかの物置小屋でも借りて、一人修行に励めということなのに・・・と会場を笑わせた。
2月、家田事務局長率いる金戒光明寺企画のミャンマー旅行で、一緒だった、新潟の新善光寺住職 畠山昭彦師ご夫妻をあらためて紹介し、奥様のようこ氏が今回の主人公、ャンゴン市民総合病院胸部内科部長の女医さん、ヤデナ女史と新潟大学で一緒に勉強された仲であることも紹介された。
また、「これが医療なのか、医者として苦しんでいます。マラリアも結核も癌もエイズもどうすることもできません。注射器も薬も買えないからです。もし、ご協力いただければありがたいです。」とサイン入りのヤデナ女史からのメッセージを読まれた。
自分も2月のミャンマー旅行で、畠山師に紹介してもらい、ヤデナさんに会って来たが、この間の例会での報告の通りだが、今日は、もっと詳しいお話をお聞かせもらえると思うと語った。

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これが医療なのか、医者として苦しんでいます。
マラリアも結核も癌もエイズもどうすることもできません。
注射器も薬も買えないからです。
__________________________________________________________________________ヤデナ キャウ[/jbox]

ダーナの心に生きるミャンマーの女医先生

新潟 新善光寺住職 畠山昭彦 先生

新潟大学時代のャデナ女史と親しかった畠山師の奥様よう子氏

新潟大学時代のャデナ女史と親しかった畠山師の奥様よう子氏

hatakeyama「おばんです。」
と新潟弁でご挨拶された畠山師は、会場のそうそうたる面々を眺め、自分は布教師ではあるがこんな場面でお話しをするのは初めてで、しかも、ミャンマーの女医さんに支援金が贈れるかどうかも自分の双肩にかかっているかと思うと、今、足がガタガタしていると告白、会場を笑わせた。
 
新善光寺には3年前から住職として赴任、その前は、そこから40Kmほど北へ行った新発田市にある圓山寺の住職を30年やりながら、市役所総務課にも勤めていた。
 
今日のお話はその頃からのお話らしい――。
 
新発田市には昔、陸軍の歩兵16連隊があって、その勇猛果敢な方々が主にガナルカナル島やビルマ(ミャンマー)に行っており、6459人(ガナルカナルでは2780名、ビルマでは2750名(が亡くなっている。この連隊で生き残った人達で作った会に「あャめ会」という組織があり、毎年ガナルカナルやミャンマー方面に慰霊に行っている。
最初は、遺骨の収集目的だったが、ミャンマーでは亡くなった人は土に帰るということがあり、それが許可されなかったとか。
自分は、市の職員でもあったため、外国との友好関係強化任務もあり、「あやめ会」に同行し、僧でもあるので、慰霊の導師も勤める事になったと、ミャンマーとのご縁の経緯を説明された。
 
その時の通訳をお願いしたルルモンドさんのお話では、「確かに日本は、ビルマを荒らした結果になってはいるが、日本の前にイギリスに占領されていたところを開放してもらったのです。」というビルマ人の立場から言われたことや、アジアのリーダーとしての日本に期待し、憧れている、特に若い世代にはそれがあるようだと報告。
そんな中、その通訳のルルモンドさんからお孫さんの日本への留学の世話を頼まれ、女性でもあるので、非力ではあるが引き受けようと手続きに動きだした時、入国管理事務所から、当時の日本に留学していたビルマ人女性の大使館駆け込み事件などで、ビルマ政府から女性は外には出さないという指令が届き、残念ながら迎い入れることが出来なかった経緯もお話しされた。

ヤデナ キャウ Yadanar Kyaw さん

手紙も届く事が稀な情況でも、なんとかコンタクトは続けてはいるが、毎年のミャンマーへの旅に際しての通訳を求め、新潟大学に「ミャンマーからの留学生は居ないのか」と問い合わせてみると、紹介してもらったのが、ヤデナ キャウさんという日本の国費で招いた女性留学生だった。
当時35歳ぐらいだった彼女は、ミャンマーでは、すでに医者であったが、さらなる高度な医療知識と技術を勉強をしに、新潟大学医学部大学院に留学生として(1995.4 – 1999.3)来ていたのだった。
その他に、法学部にジョーカインという日本の国費での留学生、それから後で、妻ヤデナ キャウさんの元に来た自費留学生の元医師で旦那様のゼアリーさんの三人のミャンマー人とお付き合いすることになった。
 
その中でもヤデナ女史とは、横浜での一年に渡る日本語研修時代を除き、新潟大学留学時代の約4年間を親密にお付き合いをすることになったと説明された。
2002年2月の金戒光明寺企画のミャンマー旅行には、帰国されたヤデナさんたちの生活ャ様子が知りたくて参加したが、ミャンマーの国情、特に医療の現状を知るといたたまれない気持になったそうだ。
 
※筆者は、同行された家田事務局長とのお話の中で、彼女に支援金がプレゼントできたら・・・というお話になったのだろうと推察した。
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左の写真は、畠山ご夫妻が持参された写真で、右がヤデナ キャウさん、左はChou教授。彼女がヤンゴン大学で助教授だった頃の写真のようです。
 
※ミャンマーでは、姓と名前の区別が無く、ひとつの名前で呼ぶのだそうだ。しかし、このサイトでは、ヤデナ キャウさんのことを以後ヤデナさんと呼ぶ事にする。

ヤデナさんの父親はアメリカでアナウンサーを勤めた人、母親はアジア陸上競技大会に出場した経験のある砲丸投げの選手で、体育大学の先生だったとか。ヤデナさんの旦那さんのゼアリーさんの父親は、最高裁判所の裁判長で、お会いする前々日には中国の首相と会っていたようで、多忙な人だった。
※筆者が、思うにヤデナさんご夫妻は、どうも上流階級にあたる人たちのようだ。
 
ヤデナさんの夫のゼアリーさんは、日本に来る前には、国立病院の副院長を勤めていたそうで、帰国してから、復職したのかと思っていたのだが、ミャンマーの政治や医療の前に落胆し、現在は無職なのだそうだ、将来、お坊さんだけが入院できる病院があるので、そこでボランティアで働きたいとも言っていたそうな・・・。
本来ならばこの旦那さんは、ミャンマーの医療を引っ張って行かなければならない人であるとも述べられた。
 
今では政府のエネルギー省で働くもう一人の留学生、ジョーカインさんの家族、奥様とお子さんがマラリアにかかって会えなかったが、本人には会えたそうで、ヤンゴンから車で2時間の距離を会いに来てくれたそうだ。
マラリアという感染病は、一度感染すると生涯後遺症のために苦しんでいかなければならないことになる病気で、身近な知人の家族がそんな状態だったので、やるせない辛い思いでいっぱいになったとか――。
 
外観は大きなヤンゴン総合病院をヤデナさんに案内してもらったのだが、イギリスの建てたその建物は、老朽化が進み補修をしながら維持をしている状態で、ローカを歩くとギシギシ音が鳴るし、病室には窓があるが何故か鉄格子があり、古ぼけたベッドが置いてあった――。情況も一つの病室にいろんな病気の患者さんが入り、結核患者やエイズ患者が混在し、日本では考えられない話に、ショックを受けた。

日本の国際医療協力事業を通じてヤンゴン総合病院を知る新潟大学の長谷川先生は、ミャンマーは、日本の戦前ぐらいの医療程度と言っておられるそうだ。

長谷川先生のお話を紹介。

平成12年度調べでは、ヤンゴン総合病院のベッド数は、1300床。来院患者数は年間約三万人。亡くなる方は、年間2000人を超える。感染症で来院する患者数は、1747名。亡くなる方231名。肺結核患者540名。マラリア225名。破傷風、狂犬病、HIV・・・などなど。特にミャンマー全体では北部に急速に増えているHIV感染者は、数十万~数百万に達しているのではないかと言われ、カンボジアについで二番目に多い感染率で、事態は深刻である。
なのに、先進国からのミャンマーへの国際医療協力の支援が非常に少ない。アジアの盲点といわれるこの地域に調査・研究拠点を設ける事は、将来の国際医療協力ネットワーク事業発展の為にも重要と思われると発言している。
 
1981年から1986年までに日本のJICAより援助があり、最近マスコミを賑わせたムネオハウスのような箱物(病院)だけで、その中身の充実はほったらかし。新潟大学にも無いような、高価な医療器械も使える医師が居ないため廃墟と化して倉庫同然の様子である。外務省のやって来たことはまったく評価できない。
自分達のできることは、草の根運動のような事しか出来ないが、地道にミャンマーの苦しむ患者の為にできることをやっていきたい――。
との新潟大学の長谷川先生のコメントを紹介された。

留学生がせっかく日本で学んだ知識や技術が、ミャンマーに帰ってから十分に生かせていない。
ギャップが、あり過ぎる現実がある。

ミャンマーでは、健康保険制度が無く予防接種制度も無い。予防するにしても患者が、全額負担しなければならない。
患者が薬代金を払えないと知ると、ヤデナ女史自身の給料から出す事が続いているそうで、異常に低いミャンマーの医師の給料では自分自身が食べていけなくなるそうだ。ちなみに、市民病院の胸部内科の部長待遇で、月給1800円なのだそうだ。
 
※余談だが、家田事務局長のお話では、そんな社会だが、1000万円もする高級外車がすぐに売れるといった現象もこの国にはあって、軍部と商人だけが潤っている社会なのだそうだ。底辺の人々は、亡くなる一日前に病院に来るといったことも珍しくなく、政治的にも経済的にも医療的にもアンバランスなのだそうだ。
お金が支払えない患者の面倒をみるのだから、給料も出ないといったこところか・・・。

 
それぞれの留学生のご家庭に訪問したのだが、どこの家庭にも、メイドさんが居て一見裕福そうに見えたが、実は、給金は無い変わりに食事の面倒をみ、周りの世話をしてもらうのだそうで、メイドさんたちは、お買い物にも行けないぐらいに計算能力がなかったり、料理もほとんどできないのが実態だそうで、子供達の基本教育をそれぞれの上流家庭が担っているといった感じだろうか――。
 

もし、淨財を頂けるなら――。

「皆さんから頂けるであろう淨財で、薬や注射器を買ってくれと言われるかも知れません、今までのように分かりやすい箱物となり、後世に残るものにならないかも知れません。それでも何人かの命が救えるわけで、ミャンマーの平均寿命が現在51歳。同じ仏教を信じる国民として、兄弟として、小さな助けが必要なのです。」と締めくくられた。
 
お話の最後に、畠山師は、ヤンゴン総合病院で、自分が案内された病室を出る時に、ヤデナ女史が静かに言われた言葉、「あの患者さん達は、まもなく退院します。でもしばらくすると亡くなられるでしょう――。」どうにもならない医療費不足の現実に、医師であるヤデナ女史のさぞかし悔しいであろうその静かな口調が今も耳に残っているのだそうだ。

貧者の一灯

乾杯の音戸を指名された五十嵐前会長は、畠山師のお話しを聞き、日本の経済援助のあり方をしっかり熟慮するべきと訴え、我が仏教クラブは、貧者の一灯として、次回の三宝の集いの結実が、仏教国ミャンマーの為に使われる事を会員に促した。
 
※畠山師の講演内容を筆記にてメモ、掲載UPしましたが、たくさんの人名や専門的な言葉が聞き取りにくく、曖昧な表現になってしまい、正確さに自信が有りませんでしたが、後にヤデナ女史の直接の恩師である新潟大学大学院医歯学総合研究科・ 細胞機能講座分子細胞病理学分野の 内藤 眞教授に直接メールにてお話を聞くことができ、ご指摘もあり、細部を修正することができました。
後日、「三宝の集い・ミヤンマーの女医さんに支援を!!(仮名称)」のページを作成する際には、快く積極的にご協力願えることになりました。
彼女を知る日本人は皆、彼女を、またミャンマーを想い、支援の手を差しのべようとしているようです。彼女のお人柄が想像できます。
内藤教授の最新のお話しでは、ヤデナ女史は、今ではヤンゴン市民総合病院には居ないらしく、ヤンゴン市内から車で30分くらいの所にあるSanpya(サンピュア)総合病院に変わられたそうです。2002-7-17

写真・構成・文:Shokan Fujimo

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