仏教関係者が京都に集う会

平成14年(2002年)9月例会報告

『京都と道元さま』 曹洞宗特派布教師 岩田 雅之 師

9月例会(秋彼岸会例会)  
 
春の彼岸には、春に咲く牡丹にちなんで牡丹餅(ぼたもち)を、秋の彼岸には、秋の七草でもある萩にちなみお萩(おはぎ)を供える習慣があるそうです。
季節と、昔からの馴染んだ風習は根強いけれど、その本来の意味をも忘れずにいたいもの。
彼岸は、まさに六波羅蜜実践の仏道精進週間です。
「三宝の集い」 は昨年同様、ギャラリー園夢を会場に、11月18日ち24日の7日間、急ピッチで準備中です。
会員の皆様のご協力をお願い申し上げます。
今月はゲストスピーチです。京都から遠く離れた福井の永平寺は開山の大遠忌真最中。京都出身の道元さんのお話を聞かせていただきます。
 
平成十四年九月十三日(金)午後六時 開会

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通常の例会では、新会長の森 清範師は、初めて出席された。
挨拶では、会長の師、故大西良慶師の菊の花を詠んだ歌を紹介し、9月の頃の季節の美しさを語られ、ご自身の師にちなんで、会員の健康と長寿を祈念された。
 
 
 
 

色紙の讃の意味を聞かれ、中国の故事から、 羊にちなんだ説話の、説明をされる会長

色紙の讃の意味を聞かれ、中国の故事から、
羊にちなんだ説話の、説明をされる会長

色紙の讃の意味を聞かれ、中国の故事から、羊にちなんだ説話の、説明をされる会長[/caption]続いて、今回のゲストスピーチ 曹洞宗 永平寺の特派布教師の岩田雅之(イワタガシ)師を紹介された。
今年の「三宝の集い」の記念色紙が「新会長の森 清範師の直筆により完成。
家田事務局長より披露された。
 
今から印刷の準備にかかり、墨跡展の会場で、頒布される。
 

道元さんのお話し

曹洞宗特派布教師 岩田 雅之 師

iwatagashi2永平寺 特派布教師 というお仕事つまり、管長さんの変わりに布教される方なのだそうだ。
 
師の優しいそのお顔だちは、きびしい修行をされた禅僧からなのだろうか、道元禅を説くその語り口は、明朗で軽快で、暖かさに溢れていた――。
京都の久我で、お生まれになった道元禅師を語るようにと、山路事務次長から言われたが、実は、自分は、生まれ故郷の岐阜と京都の丹後半島しか知らず、京のことはあまり分からないので、今日は、道元禅、只管打坐についてお話をさせていただくと、前置き、「ただ座るだけで、すでに悟りの境地」の意味を分かりやすく説かれた。
 
人間は感情の動物と「いうが、自分が思うに「感情はかんじょうでも、金勘定のかんじょうではないかと思う」とお話を進められる。
つまり人は、損得勘定ばかり気にする動物であるということである。
寺に参る人のほとんどは、ご利益を求め、ひたすら祈っているが、ほんとうは、何かをしたいとか何かを望むことを超えたところに、道元禅があることを説明され、現役102歳の僧、永平寺管長猊下宮崎禅師の日課を紹介された。若い修行僧よりも早い午前二時半に起床され、3時半には僧堂へ車椅子にて到着、そのご1時間、背筋を真っ直ぐにお座りになる。結核に倒れられた時も、1日も欠かさず、禅を続けられたというエピソードも披露。
 
続いて、岩田師が平成4年から勤める老人特別養護老人ホームでの逸話なども披露された。
「寮監」として招かれた師は、その「りょうかん」を「良寛」と、解釈し奉仕に励んでいた。老人達に習字やご詠歌などを教えていたが、一人熱心なおばあさんが居たのだそうだ。
その彼女が、病気の為何度か入退院を繰り返し、疎遠になっていった。二年近くたった頃には、手足も萎縮し、喉から食事を流し込まないといけないような状態になっていた。そんな頃、師は久しぶりに、その彼女を見参った。「私の職業は?」の質問に「運転手さんでしょ。」「私の名前は?」「・・・・。」彼女の「もう帰っていいよ・・・」という、そぶりに、すごすご帰ったそうだ。
また2・3日後に出向きいろいろな過去のエピソーど聞かすが、いっこうに何も思い出せないらしい――。
 
そんな時、「そうだ、彼女が熱心に詠んでいた、ご詠歌なら少しは・・・。」と期待を込めてご詠歌を歌い始めた。
するとどうだろう、彼女の口がかすかに動き出し、声が出始めた。
彼女の肩に手を交わし、一緒に大きな声でご詠歌をあげる事が出来た。
 
このことから、師は、自分のおごり、つまり自分の心が0ではなかったことに気付いたのそうだ。
 
「人を救う事は、自分を救う事」、「人の為と書いて偽と書く」
中村久子さんという手足がなく生まれてきた女性の一生から、その現実を憎むのではなく、どんな境遇に居ても、人生の師匠は自分の体とし、、光明の中に生かされている素晴らしい人生に感謝をされた凄さ。
 
人生の最後に感謝できるかどうか。 で、締めくくられた。
 
 
道元禅は、長寿や、功徳を願い求めるものではないが故に、座れば悟りの境地というのだろうか。
生かされていることに感謝をするということは、生への執着が在るが故に0の境地ではないのだろうし、「感謝」の念は、道元禅の世界では、どう位置づけられるのだろうか。次の機会にお聞きしたい。

我がクラブの事務局長 家田隆現師が楽しくてやさしくてきびしくて・・・
そんな本を出版されました。

namazu現代の日本に仏法をわかりやすく説く。
 
ieda (1)家田隆現 著 鯰説法(ナマスせっぽう)
発行所:高文堂出版社  1600円(税込み)
 
 
著者の中学時代のアダナとサンスクリット語のナマス(南無=帰依する)を語呂合わせしたという変なタイトル。
著者の勤める金戒光明寺の月刊誌「紫雲」に平成4年~14年の間に掲載された「鯰説法」の抜粋集である。
仏教者として、また幼児教育者としてのやさしく、時にはユーモラスに描く師の身近な世界。時には師独特の言い回しで鋭く現代社会の問題点を指摘。
楽しくてやさしくてきびしくて・・・人生の為になる本です。
お近くの本屋さんでお買い求め下さい。

写真・構成・文:Shokan Fujimo

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