仏教関係者が京都に集う会

平成16年(2004年)5月例会報告

ゲストスピーチ:説経節 「あんじゅ姫とづしおう丸」
前進座俳優 前園恵子さん

開催日:2004年05月14日(新茶例会)

いつもの例会案内とは少し趣をかえて。

♪帰命頂礼 ありがたや 大慈大悲の地蔵尊  ただいま これより語り申す御物語
国を申さば丹後の国 金焼き地蔵の御本地を  あらあら説きたて ひろめ申さん♪
こんな節語りから始まる、説経節「あんじゅ姫とづしおう丸」を、六月の前進座特別公演『天平の甍』を前に、俳優前園恵子さんに語っていただきます。

森 清範会長の開会の挨拶

開会の挨拶の中で、白隠禅師生誕320年「白隠 禅と書画」展、京都文化博物館、日本経済新聞社、京都新聞社主催平成16年4月10日(土)~5月23日(日) 休館日/月曜日(5月3日(月)は開館、5月6日(木)閉館)を、すでに、会場にて「色即」と題して講演されたことも有り、そのご縁からか、大変珍しい展覧会なので、ぜひ、観てみるよう勧められた。

白隠は、ある念佛者に「阿弥陀さんはどこにお住まいかな?」と聞いた。念佛者は、「西方浄土にお住まいで、いつも我々念佛者のために、娑婆に降りてきて、教化してくれています。」
「なら、阿弥陀は現在どこに居るのか?」と白隠が訪ねると、その念佛者は、自分を指差し、「ここにお出でになります。」と答えた。
白隠は「それでよし!!」と、大いに念佛者を賞賛したという。そんなエピソードも紹介され、ゲストスピーチの前園惠子さんに、バトンタッチをされた。

説経節「あんじゅ姫とづしおう丸

説教節 前進座俳優 前園惠子 さん

前園恵子プロフィール
神戸出身。
薄田研二映画演劇研究所第三期生卒業。
前進座付属俳優養成所第三期生卒業後、劇団前進座演技部員となる。
喜劇からシリアスな作品まで、パイプレイヤーとして幅広く活躍する実力派として貴重な存在である。声の良さと存在感には定評がある。
現在、演技部副部長として後輩の指導にもあたっている。
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あらすじ

岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊将か朝廷にそむいたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜つていわきに着任してきました。政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継ぎました。この政道が、安寿と厨子王の父です。

岩城判官は、一代、二代と平和に暮らしていましたが、ある時、政道が、小山田での桜狩りの帰りに義兄である家臣・村岡重頼に殺されてしまいます。

安寿と厨子王の不幸はこのときから始まります。政道が暗殺されてから、重頼が勢いを持ち、やがて安寿と厨子王は母と乳母、下臣らと住吉城を追われて長い旅路に着くことになります。

説経節はここから始まります。
額に汗の光る彼女の熱演に、会場は、終始静まりかえり、彼女の明瞭な声と数種の仏教楽器の拍子が、響いていた。
聴衆は眼を閉じ、その物語の様子を頭に思い浮かべていた。

幼い安寿姫と厨子王丸は、母と共に行方知れずの父を捜して旅の途中、人買いにつかまり、母は佐渡へ、姉弟は山椒大夫に売られてしまいます。
安寿姫は「汐汲浜」で冷たくつらい塩汲みに涙を流す日々、厨子王丸は「由良ケ岳」で薪作りと薪運びに血の汗を流す日々が続きます。
ある日、「身代わり地蔵」に願をかけ、ようやく山椒大夫のスキを見つけて逃げ出した二人は、川を上り、山を越え、必死の思いでで逃げ続けました。
塩汲みに疲れ果てていた安寿姫は、逃げる途中の山の中で哀れにも力尽きて帰らぬ人となりました。
厨子王丸は悲しみのうちに山椒大夫への復讐を誓って道なき道を逃げ続け、ようやく都へとたどり着きました。
ひたむきな努力の末、出世をした厨子王丸は山椒大夫を捕まえ安寿姫の無念を晴らしました。
その後、偶然佐渡で母と再会した厨子王丸は、哀しさに涙も枯れ盲目となった母を引き取り、今は亡き安寿姫の想い出とともに、二人一緒に仲良く暮らしました。

「説経」とは何?

中世の頃、人の多<集まる社寺の前など街頭で、庶民相手に仏の教えを広めるために語られた物語、説談説経。
そもそも読んで字のごとく経を説くことです。
仏典を読み説くこと。仏の教えをいかに一般の人々に伝えるか。
当時、仏典そのものを聞かせても教養のない人々には理解することが難しく、庶民に対しては仏の教えを物語に仮託して伝えるという方法を取りました。
「今昔物語集」などに収められている説話のなかには、平安時代に説経したものも多<含まれているものと思われます。後々、「説経」は芸能に発展していく原型でもあったようです。

室町時代に入ると「小栗判官」「苅萱」「さんしょう太夫」「しんとく丸」「愛護若」のいわゆる五説経があらわれます。現在は文字として残っているのみで、どの様に語られていたかは定かではありませんが、おそらく簡単な打楽器(仏教楽器かいしゃく・ささら等々)で拍子を取りながら経歌風?に語られたのではないかと思われます。
「さんしょう太夫」の物語は民衆に語り伝えられ現代でも、森鴎外の「山椒太夫」や昔話・民話の「あんじゅとずしおう」として残っていますが、内容は説経説話と少し違ってソフトに美しく変えられています。
説経では『良き行いを勧め、悪しきを諌める勧善懲悪と、信仰すれば助けられる』ことを説く自的があったため、焼き金・火責め・鋸引き等、残酷とも思える部分もありました。
酷い行いをすれば、いずれ酷いめにあい、施しをすれば、いずれ施される。物語には庶民の願いもこめられていました。
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京都府舞鶴近辺には「さんしょう太夫」に関する地名 由良川、汐汲み浜、安寿沼や、さんしょう太夫荘薗跡や安寿とづし王の像があります。

本日は、説教語り「安寿と厨子王」を聞いて下さいまして有り難うございました。
私は普段は東京にいますが、只今は、「天平の甍」公演の制作応援のため京都に来ています。
今回、折りよく皆様とのご縁を持つ機会を得まして、本当に嬉しく思っています。

私がー生の仕事として舞台役者を選びましたのは、人の心に語りかける事ができる仕事だからでした。
俳優の大さな喜びは、やり甲斐のある役に巡りあえる事と、たとえ、どんな役でもいいからこの芝居の-員でありたいと思えるほどの素敵な作品に巡り合う事だと思います。
「さんしょう太夫」は私にとって、この二つの喜びを満たしてくれる大好きな作品です。舞台再演になりましたら是非、皆様に観ていただけたら・…と思います。

私は若い頃から、脇役者でピカリと光る人が好きで、主役を食ってしまうくらいの名脇役者になりたいと思いました。
お芝居創りは、主役も脇役も同じ目的に向って共に力を合わせなければなりません。表方も裏方も、誰が、欠けてもでさません。皆が必要です。皆がー所懸命です。皆、良い舞台を観て頂きたい一心です。
お芝居創り、そこが私は大好きです。 前進座の舞台は、平和や人間愛を訴える作品ガ多く、六月京都公演の「天平の甍」も初演以来40年間、再演の待たれ続けた名舞台です。
今回、鑑真和上の役を演じます嵐圭史にとって「天平の甍」は、まさに俳優の大さな二つの喜びを満たしてくれる作品といえるでしょう。
私は俳優養成所を卒業する頃、突発性難聴という病気で、一夜にして左耳の聴覚と平衡感覚を失いました。俳優になる夢は消去るかと思いましたが、それでも劇団に入ることができ、30年俳優活動を続けています。

「情熱をかけて悔いないこと」に巡り合えた私は幸せな人間だと思います。「天平の甍」の遺唐船で海を渡った若い日本僧の一途な情熱と似たものを、志の大小はあれど自分の中にも感じます。人間ドラマとして共感することができます。
多<の方に観て頂きたく、公演ご案内を同封させて頂きました。すでにお申込みを頂いておりましたら重複のご案内お許しください。
なにとぞ、皆様のお力添えで公演成功できますよう、よろしくお願い申し上げます。
本日はありがとうございました。                  前園恵子

以上、机上に配られていたパンフからの抜粋記事。
前進座のサイトはここにありますので、2004年6月4日~9日の京都歌舞練場での公演「天平の甍」をご覧になってはいかがででしょうか。

写真・構成・文:Shokan Fujimo

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