仏教関係者が京都に集う会

平成16年(2004年)9月例会報告

ゲストスピーチ 「仏教遺跡 ケサリアについて」 インパックジャパン社長 K・L・バハル様

開催日:2004年09月10日(秋彼岸) 例会

アテネオリンピックでの日本選手の活躍は目覚しく、ライブやビデオで報道され、その観戦に寝不足気味の方多いのでは。
日ごろの精進が成果に結びつく仏道精進週間(お彼岸)です
私どもも心を引き締めて精進、精進。
メンバーの新木孝信氏からインドで、ドえらい逮跡が、発掘されているとお便りをいただきました。
是非お話をと依頼を致しましたが、例会日には生憎出張中。
インパックジャパン社長のバハル様をご紹介いただきました。
新木会員日く「今までインドで見たことのない型の大仏塔で、エジプトの階段ビラミッドが円錐形になったような八層になっている」とか、ケイサリア遺跡についてお話を伺います。

会長挨拶

morikaicho大きな地震があったり強い風が吹いたりと、大変怖い日々が続いておりますが、私の寺(清水寺)にはよく外国の要人がお出でになるのですが、外務省から連絡がありますと、せいぜい、時間を空けて待つことにしております。
この前、お出でになられた方を、舞台にご案内もうしあげたときのことですが、あの本堂の大きな太い柱の前に行きますと、愛しそうにさすっていらしゃるんですわ、で、「どうなさったのですか?」とお聞きしましたら、「木の暖かさを、木の命を今この手で感じているんです。」と、こうおっしゃった。
「で、この舞台の柱は何年経っているのですか?」とお聞きになったので、「この舞台は、今から370年前にできた分けですから、その時には、この柱になった木は、すでに樹齢400年ほど経っていたはずですから・・・」「では、この柱は、700年以上もの年月を重ねているのですね・・・。」と感心をしておられたのです。
そんな会話をしておりましたので、後でよく考えますと、あの日本で一番古い法隆寺が1300年でございますから、その材料の木は樹齢1300年と云われておりますから、ざっと、2600年ほど昔に、どこかの山で、芽を吹いたことになります。お釈迦様のお生まれになった、その前ということになります。
お釈迦様のお生まれになった頃を、神代の時代ぐらいに思っておりましたが、こうして法隆寺に使われている材木が、お釈迦様のお生まれになった頃には、すでに立派に芽を吹き、りっぱな木になっていたということですので、2500年ほど前が見事に身近に感じられるようで、感慨深いものがあります。
今日は、そのお釈迦様がお生まれになったお国、インドのお話をお聞かせ頂けるそうです。
と、会員の新木氏のピンチヒッター、ゲストスピーチのインパックジャパン社長 K・L・バハル氏に壇場を譲った。

1. ケサリア大仏塔遺跡報告書

㈱ピーエス観光  新木孝信会員
会員の新木孝信氏がこの会の為にケイサリアのことをまとめたレポートが、各席に置かれていたのでまず、本題のケサリア仏塔の発掘現場をご覧になったレポートを、そのまま掲載する。

はじめに

平成16年3用、ケサリア大仏塔遺跡発掘現場を訪ねてみました。
インド・ピハール州都パトナの北方、直線距離で約100km、ガンジス河支流のガンタッキ河東岸にあって、八大聖地のひとつ・ヴァイシャリー毘舎離城址の北45km(玄奘三蔵の記録に一致)にあります。
仏塔現存の高さ104フィート(32メートル)あり、ポドブドゥール遺跡(六層)を越える高さであり、サンチー仏塔の約2倍の高さ。
1934年の地震前には123フィート、原形は150フィート(45メートル)程度と推定されています。
下層の直径は122メートルある。最初の印象は、「何、これ!?」、ド偉い宅ものが発掘されているのに驚愕しました。
今まで、インドで見たことがない型の大仏塔であり、工ジプトの階段ピラミッドが円錐形になったような八層式で(地下にもう一層ある)、各フラットフォームには首が紛失した仏陀のテラコッタ式塑像が祀られており、いずれも触地印と瞑想印を示していました。
頂上は破損が進んでいますが乳房型のストウゥーパが載っていたと維測されます。
一体何のための大仏塔なのか?率直な疑問でした。

2. 現地説明メモ

現場責任者は、“釈尊涅槃へ最後の旅立ちに際し、別れを歎き悲しむリッチヤャピ族の人々に托鉢の鉢を追憶の形見として残された。

”(大唐西域記)“かって釈尊が転輪王としてこの地を統治したが、無常を悟られ出家し仏となった。
人々はその記憲の仏塔建設を命ぜられた。”(マハーデーヴァ本生欝)“釈尊カピラ城出離の後、最初に剃髪された環所”(仏伝記)の三説かある。
最初の発見は、アレキサンダー・カニンガム将軍であり、自身で発掘はしていないが2世紀から9世紀の仏塔であり、内側に古代の仏塔が内包されていると堆定した。
仏塔最初の造営はアジャセ王によって開始され、6世紀グプタ王朝時代に拡張、現在の仏塔はインドから仏教が消滅する最後のパーラー王朝代のものと考えられている。

記録上の発掘は1862年に行なわれ、仏龕と仏像を奉安する小仏閣の存在を確認している。この時の仏像は1873年ベンガル人スタッフにより何処かに運ばれた。
1934年の地震やその後の洪水で、-部が出土していたのを機に1998年から3年間、発掘と保存修理を行い、2004年1用に作業が再開され等桓は、全容の発掘が予定されている。

3. 現地観察

周囲の様子は、仏塔は田んぽと湿原の中にあり、仏塔だけがポーンと単独でそびえている。東側の湿原地の水溜りに僧院址らしきレンガの遺構が僅かに見られる。
現在の外見からは六層の円形茎壇の上に乳房型らしきストゥーパが載った形に見える。2層白目から上の円周囲はノコギリ様のギザギザ切込文様が施されている。
総レンガ造りで中のアンコもレンガと思われる。レンガは漆くいでつなぎ垣めた白色の部分が認められ、外側に丸みを帯びたレンガの装飾連結層が5層目周囲に見られた。
最上部の乳房型ストウーパ基部の直径は22mで頂上部分の破損状態が著しい。乳房型ストウーパ上部には発掘を試みた跡と思われる穴の部分があり、穴からレンガ積の様子や意外に大きいレンガが用いられていることか判りました。
乳房型ストウーパ基部内には龕室の存在か推足され、仏舎利や重要な出土品が期待されているとの説明か有った。
基壇の2層目から4層目までは、テラコッタ仏像を祀る仏龕(独房)が三室づつ連なるユニットか東西南北とその中間方角の八箇所つつ有り、5層日と6層日は東西南北の4方向のみとなり、6層目も東西南北の4方向だかユニットがなく仏龕は-室だけになる。
テラコッタ仏像を祀る仏龕の中には仏像が紛失している部屋もあるが、残存の台座には獅子と思われる小像もあり、台座に乗る仏像は、いずれも蓮華坐で、触地印と瞑想印を示している。すべて首が無い仏像であり、頭までは推定150cm程度と思われる。首の紛失原因は不明で、首のある仏像はまだ発掘されていないとのことであった。また、触地印と瞑想印以外の印相もまだ出土していない。
2004年3月現在まで発掘は、北東側、全体の3分の1だけの出土であった。

インドネシアの世界遺産ボルブドゥール遺跡 を凌ぐ規模のケイサリア仏塔全容

インドネシアの世界遺産ボルブドゥール遺跡
を凌ぐ規模のケイサリア仏塔全容

頭の紛失した触地印の仏像

頭の紛失した触地印の仏像

破損した台座右下、獅子のレリーフ

破損した台座右下、獅子のレリーフ

最頂上部分と盗掘跡の穴

最頂上部分と盗掘跡の穴

最頂部分のストゥーパー推定図

最頂部分のストゥーパー推定図

kesaria-6

4. 疑問と推測

型式

確かにポロフドール遺跡と同類であると思われます。中回チベットのギヤンツェにあるチョルテン白居塔(高さ32m、9層)の円周囲のギザギザ文様など、すご<似てるような気もするし、フ一夕ンのチョルテンコーラ遺跡、ビルマのシュ工サンターペガンター遺跡、チベットのトウリンプチヨルテンやカシミールのティスラン遺跡が同類に属すそうです。
これら同類系との関連、影響の有無など、どうなっているか判らないとのこと。
いずれにせよ、円錐階段ビラミッド型をして、礼拝を目的と思われる巨大でこんな奇妙なストゥーパを私は今までインドの他の場所で見たことがありません。
しかしながら、単発での存在とはどうしても思えませんし、同型、類似のものが何処かに有るのではないでしょうか? そんな気かしてなりません。

上座部仏教

現在の出土を見る限り、仏像は釈迦像のみである。パーラー王朝代のものであれば、かなりヒンズー化した仏像になるであろうし、ヒンズー教の神々や菩薩群に囲まれ、全体的にギンギラに装飾が施されていて当然と思われます。
テラコッタの釈迦坐像を漆くいで覆い綺麗に彩色したとしても、純粋シンプルに釈迦像のみを祀るところから、ケイサリア仏塔はスリランカやビルマと同じ上座部に属するのでしょうか? インドでは未発達であった上座部存在の証なのでしょうか?

年代判定

現在の出土状態を見る限り、素人目ですが、仏坐像の技巧が余りにも粗雑であり、工法を逆輸入して突貫工事で造った、年代的にそんなに古<ない最近のもののように感じたり、反面、最頂部分のレンガー個の大きさか結構デカイ。つまり、レンガの大きさと技術は古い

年代の方が大き<精巧と聞いたことがありますので、大ささの点では、BC3Cのマウリア王朝代、あるいは、2C、クシャン王朝代まで遡るかも知れません。世界的権威のある旅行ガイドブックのロンリープラネット(オーストラリア)2003年版には、アショカ王が建てたストウゥーパの上に築かれた8C、パーラー王朝代のものと説明されています。とはいえ、本当に8C、パーラー王朝代のものでしょうか?
それとも遺跡建設の通説のような、後世の王たらちによって単に増築と改築が繰り返されて、いつしか今日の姿になったのでしょうか?

5. おわりに

帰国の折、デリーの考古局にケサリアに関する資料を求めたところ、会った職員の誰一人、ケイサリアのことを知らなったばかりか、ピハール州政府が55年前に発行した地史辞典CHAMPARANに僅かなケイサリアか載るばかりであり、それも主にインド五大キンクのラジャ・ベンの伝説か綴られていました。しかし、新たに大きな認識も有りました。
ケイサリア北方30kmのローリア・フレラージと現在ネパール国境に近いローリア・ナンダガールにアシヨカ王柱か現存しているとのこと。たとえ、王都バータリプトラからの距離が近いとは謂え、ヴァイシヤリー、フレラージ、ナンダガール、ラーンフプルパールなど、ガンダッキ河岸にポコポコと王柱が密集して建てられていることになります。相当に大きなレンガの遺構やマウンドも残っているとか。
古代インドにおいて北インド、ピハール州地方は政治、経済、文化の中心として繁栄し、ガンダッキ河沿いには交易の主要ルートが通っていたことから、この偉大な発見が期待されるケイサリア大仏塔の発掘を機会に、ガンジス支流ガンタダッキ河周辺の遺跡に興味の目を向けても面白のではないかとフト感じました。        ′
ガンダッキ河岸は、かつて、お釈迦さまと、あるいは、仏教との間にきっと相当に深い深い関わり合いがあったと恵われますし、確信致す次築です。
私は、誠に稀有な大仏塔の出土に驚愕、畏敏の念ととともに、仏教徒の小人として、世界的偉大な出来事に遭え、発掘現場にも立たせていただいた慶びを深<感じ入っています。

そして、本日、仏教クラブの皆様にケサリア仏塔の様子をこ報告、お知らせすることが出来ましたことに、厚く感謝を申し上げます。
最後に、急遽、ピンチヒツターの講演をお引き受け下さったインパック ジャパン社長 K・L・パハル氏にダンニャバード(有難うこざいました)と申し上げます。■
報謝合掌
以上、レポート&写真は、新木孝信会員

ケサリア遺跡と仏教と私

インパック ジャパン社長 K・L・パハル氏

bahhal会員の新木氏のピンチヒッターということになったいきさつを交え、挨拶をされた後、自分は、仏教に関して学者でも権威でもないので、ケサリア仏塔遺跡のこちは、インド観光局などの資料を基にお話をさせていただくと前置きし、松浦氏の通訳で、お話が始まった。
最初にケサリアのことを、まとめたレポートが長いので、日本語でまとめた長文を松浦氏が読まれた。内容は、インド政府のレポートらしいが、、お読みになったレポート詳細はいくつかのサイトでも紹介されているので、ここには、新木氏のまとめられたものや、いくつかのリンク集の掲載でお許し願いたい。
松浦氏の読み上げた後、K・L・バハル氏は日本に長く滞在している中で、ご自分の仏教体験や、日本の文化風習に感銘を受けたことなどお話を続けられた。

長い間、日本に住んでいる割には読み書きはまったく出来ません。ただ、話を聞く程度に関しては、多少のことは大丈夫と前置き、1947年の政治的あるいは宗教的対立によってインドとパキスタンが分離された時にインドの方へ逃れてまいりました。
その時たまたま、日本からの仏教徒のお世話をすることがありました。その時初めてお釈迦様の聖地を巡ることが出来ました。
その頃のインドはほとんど整理されていなくて、巡礼の道のりも困難なものでした。しかし、案内した日本人の直向な巡礼姿と信仰心に感銘と尊敬の念を抱きました。そんな時、自分も仏教というものを勉強してみようと思いました。
そしてついに、1970年、大阪万博の時に、日本に来ることが出来、たくさんの尊敬すべき人々にお会いすることが出来ました。
現在の日本は、宗教をないがしろにし、この世から埋没させようとしています。しかし、人それぞれは、宗教を必要としています。また、それなしでは私たちの進歩はないと思っております。
世界中でもトップクラスの工業や経済発展を遂げた日本は、人生の満足を得られない国ではないでしょうか? 何故でしょう?
私たちは、今や戦争体験、テロリズム、欲望、軍事力による他の国に対する侵略など、なぜ、こういうことが起こっているのでしょうか?
アフガニスタンでの大佛破戒は、本当にショッキングなことでした。家族間でもそうです。先輩先達に対する尊敬の念は徐々に薄れております。

私たちはこれからの新しい世代に対し、人生を実りあるものにするためにメッセージを残さねばなりません。
遅くならないうちに目覚めさせる、この時期が来ているのではないか、仏教は、全世界の真理とお釈迦様の教えに基づいた、完全なる宗教だと思います。
私は、この結論には、時間もかからず到達いたしました。お釈迦様は、富を捨て、真理を求めて、出発します。そしてブッダガヤで悟りを得ます。その悟りを広めようと思います。
お釈迦様の足跡から、そのお釈迦様は、いったい何だったのだろうか?と考えなければなりません。
これらの足跡、佛跡を尋ねるとたくさんの真実が浮かび上がってきます。

endai私は遺跡に立つとき、ただの遺跡ではなく、これは、地中深くから、湧き上がってくるお釈迦様のメッセージを感じます。私は長い間に日本に居る間、非常にたくさんのことに感動をしました。しかし、この短い時間の中ではとうてい言い尽くすことはできません。
私の心に残っているのは、リレー競争です。多くの参加者が、それぞれ、責任区間を受け持ち、最終的には非常に長いキョリを簡単に走破してしまいます。
なぜ、私たちは写真を撮るのでしょうか?なぜ、私たちは記念碑を建てたりするのでしょうか?また、なぜ、ストゥーパーは建てられたのでしょうか?このような行為は、来るべき新しい時代に伝えるメッセージを、後世に伝え残すことが目的ではないのでしょうか?
インド、あるいは近隣諸国の佛跡は、生きたメッセージを伝え、我々に問いかけているのではないかと思います。
では、その佛跡の出発点はどこにあるのでしょう。ケサリアはお釈迦様が、王子の服を脱ぎ捨て、俗人の衣をまとい、涅槃への道に向かって、出発したところです。ケイサリアを仏教の出発点として、法の灯火のように拡大していこうではありませんか。
オリンピックの聖火を例にいたしますと、非常に小さなところから出発をはじめ、ナショナリティを超え、非常に多くの人々の注目を集めます。私たちはこのように同じようなことができないでしょうか?
私たちは、子供たちが長い距離をリレーによって到達するように、仏法を広めることができないものでしょうか?
私は、同じようにすれば、世界中に仏法を広められる、必ず成し遂げられると確信しております。
お釈迦様はあちこち旅をし、全ての人を平等に扱い、弟子とともに仏法を広め、来るべき世界の為、貴重な悟りを与え、そして、涅槃に到達されました。

短い期間で全てのことをしようとしてはいけないと思います。朝起きて、会社に行って帰ってくる・・・。しかし、この当たり前の生活も、お風呂なしでは充足は得られません。水で身体を濡らすことと、お風呂でお湯にゆっくり浸かることは大きな違いが有ります。実際に触れること、浸ることが大切だと思います。
佛跡の巡礼でも同じことが言えます。それは、その感動と時間を他の人と共有できるからです。
子供たちがスタンプラリーで、一つ一つスタンプを貰い、最終的には素晴らしいことを成し遂げているように、積み重ねが重要だと思います。
私が何を言おうとしているか、賢い皆様は、お気づきのことと思います。また、仏教が発生した国で、なぜ、仏教が広まらないのか、とお訊ねになるやもしれません。しかし、私は、皆様方の方がはるかにこのことについてご存知だろうとおもっております。
私は、仏教クラブが何故できたのか存じませんが、これから何をされようとしているのか、期待をいたします。
かつての佛跡めぐりの環境と違い、今では、ホテルの設備など充実し、快適に巡礼をしていただけます。

皆様方はぜひ、次の世代を担う子供たちに、インドに来て、佛跡を廻るように進めていただきたいと思います。
やがて、その子供たちは、大人になり、仏教を知ること、またはそのきっかけになります。
現在、佛跡を訪れる人は、年間1万人もありません。仏教クラブの皆様、どうぞ佛跡の巡礼をおはじめ下さい。
ありがとうございました。

ビーエス観光 アショカツアーズ
http://cctr.umkc.edu/user/endomv/kesariya.htm
http://bihareebabu.com/Kesariya_stupa.htm
http://www.ambedkar.org/News/worlds_tallest_buddha.htm

写真・構成・文:Shokan Fujimo

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