仏教関係者が京都に集う会

平成17年(2005年)7月例会報告

祇園祭を楽しむために  菊水鉾 川塚錦造氏

開催日:2005年07月08日(夏安居例会)
仏教クラブ 七月 (夏安居例会)

「コンチキチン」の祇園囃子が流されて、いよいよ祭りムードいっぱい。
七月一日。今年は宵山が土曜日、山鉾巡行は日曜日と全国からの大勢の人たちで賑わうことでしょう。
日本三大祭の一つに数えられるこの祭を、町衆として代々支えておられる菊水鉾の川塚錦造さんにご苦労話や祇園祭を楽しむためのお話を伺いたいと思います。

森会長の挨拶

PICT0009私事で恐縮なんですが、実は今日7月8日が、私の誕生日なのでございます。決してお祝いをくれと言っているのではないのですが、こうして還暦を過ぎる頃から、母親のことを思いだすことが多くなったということが言いたかったのでございます。
私の父親は、京の張物屋の職人でございました。母親は滋賀県の水口の貪百姓の娘でございました。
で、私の兄弟は6人おりました。戦後・・・昭和15年でございますので、大変貧しい時を子供の頃過ごしておりました。
その頃、清水寺が子僧をとるということで、ご縁がございまして・・・、さて、6人のうち誰が行くかということでしたが、「お前行け!」 ということで、兄弟の中で一番大食いな私が行くことになったのでございます。
つまり食い減らしということで、私が小僧になったのでございますが、その時、私が寺に持って行くものは、着物ひとつなく、母親が持って行かせてくれましたのは、大きなご飯茶碗ひとつだけでございました。

私は、他の小僧さんたちと一緒にご飯を頂く時に、その大きな茶碗がはずかしく、肩身の狭い思いをしておりました。
ところが、師匠(故・大西良慶清水寺前貫主)が、その様子をご覧になって、私に言ってくれたことがあるんです。
「お母さんは、お前が何回もお代わりするのは辛かろう・・と思って、それを持たしてくれたんやで。」と言って、母親の私に対する思いを感じさせてくれました。
「諸人よ 思い知れかし己が身の 誕生の日は母苦難の日」と,、いう歌を思い出しました。
今日は、祇園祭の準備でたいへんお急がしい中、講師の先生にお出でいただきました。この時間を有意義な時間として過ごさせていただきたいと思う次第です。

ゲストスピーチ:菊水鉾 川塚錦造
祇園祭を楽しむ為に

講師プロフィール
1946年京都生まれ。
1969年京都外国語大学英米語学科卒業。
1953年菊水鉾再建と同時に菊水鉾囃子方となる。
1974年財団法人菊水鉾保存会理事および菊水鉾囃子方総代就任。
1986年祗園祭山鉾連合会理事就任。
1992年財団法人祗園祭山鉾連合会理事就任。
1993年同連合会理事退任。1994年財団法人菊水鉾保存会副理事長就任。
祗園囃子の符本は、本来「鉦符本」しかなく、「太鼓・笛」符本は存在しなかった。ここ数年来、「太鼓・鉦・笛」の三つの楽器を連ねた、和符(八割拍子)に載せた、菊水鉾祗園囃子譜面を制作、2005年7月8日の本日に発行された。
長い歴史を持った祗園祭を、子供の時から関わった実績と経験の中より、世に知られていない「祗園祭の知られざる部分」を研究中とか。

大きな通る声で、皆さんこんばんわ! とご挨拶。

PICT0010実は、7時よりお囃子の練習があるのですが、その前に話をしてくれとのことで、お囃子方のユニフォーム、浴衣姿で駆けつけましたと挨拶。祇園祭の歴史や、そのお囃子の歴史、伝承について、約1時間熱っぽく語られた。

7月1日切符入り~7月31日境内摂社「疫神社夏越祓」までの一ヶ月間の行事を祇園祭と言います。

浴衣は菊水鉾のユニフォーム、和装小物の商社の社長さんらしく自分がデザインされたそうだ。 右側が紺地、左側が白地で、陰と陽を表わしているのだそうです。鉾に上がってお囃子を演奏するとき、笛方が白地、鐘方が紺地とに分かれる。

PICT0012鐘と太鼓と笛の3つから囃子となるが、笛は能管を使っているので、興りは、どうも能楽からかもしれないといわれて入るが、正確には分からないそうだ。

鐘を叩く道具の材は、叩く部分そのものが鹿の角の頭骸骨部分、柄が鯨のひげ、現在では人工的な樹脂を使っているそうで、天然の材がやはり、良い音色で響くとか。

下・写真

PICT0013祇園祭は八坂神社(前・天台宗祇園感神院)の祭で、大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつに上げられており、その歴史の長いこと、またその豪華さ、祭事が1ヶ月にわたる大規模なものであることで広く知られています。
貞観5年、疫病が大いに流行り、神泉苑にて多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われます。
千百年前、全国の国の数、66本の鉾を立てて、神泉苑の池にくりこみ、厄払いをしました。後世には、これが、祇園御霊会として公家の祭りから、平安末期登場した無骨芸者が、民衆化していったが、鎌倉時代では、まだ武士や公家の祭りの色が濃かったが、安土桃山時代~室町時代になてやっと、町衆の祭として、鉾に車を付け、絢爛な飾りを施して京の都を練り歩く、祇園祭へと変化します。
祭のハイライトは17日に行われる32基の山鉾巡行。これらの山鉾のうち29基は重要無形民俗文化財に指定されています。巡行は午前9時、四条烏丸から長刀鉾(なぎなたぼこ)を先頭に河原町通を経て御池通へ向います。 途中、「注連縄(しめなわ)切り」「くじ改め」や豪快な辻廻しなどで見せ場を作り、豪華絢爛な一大ページェントが繰り広げられます。

PICT0014

祇園祭りの歴史や詳しい情報は、http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/gionmaturi.html や、http://www.kbs-media.net/gion/ や、http://kyoto.nan.co.jp/knowledge/gion.html にてどうぞ。

左写真:笛を披露する川塚氏

意外なお話として、鴨川の四条大橋から南のどんぐり橋までの川の名前が、「鴨川」ではないが皆さんご存知ですか?と問いかけられました。が、会場の全員は?・・・。
実は、7月10日に行われる神事用水清祓として、その夜行われる「神輿洗」に使用する神事用水のお祓いをしますが。水は鴨川の水を使用します、その川の名前は、本当は、宮川というのだそうです。 八坂神社の川なのだそうです。
祇園、先斗町、宮川町として有名ですが、川の名前が先だそうです。

裏話として、山鉾巡航に要する費用は、京都市より鉾に500万、山に100万と援助があるが、各町内の負担するその費用は、市からの援助金以外に1000万、山で、200万から400万が普通というお話でした。

しかし、町衆のお祭りとして、いろいろお世話をされている川塚氏だが、普通は30分から40分の講演なのに、なんとご講演頂いた時間が1時間を越えた。
時間も忘れ、熱っぽく語られるそのお姿は、保存会の世話方の心意気を感じさせる。1200年の歴史を誇るこの祭りの世話方としての誇りと情熱・・・。さすがに京都。 生の京都を感じさせて頂いた時間であった。
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菊水鉾囃子譜本 16年かけ完成
「菊童会」総代・川塚さん作成

16年がかりで譜本を完成させた川塚さん(京都市中京区)
祇園祭の菊水鉾(京都市中京区)の囃子(はやし)方でつくる「菊童会」総代の川塚錦造さん(58)が16年がかりで作成していた囃子と太鼓、笛の譜本が完成した。44曲890ページに及ぶ力作で、川塚さんは「現在のリズムを正確に後世に伝えることができる」と話している。

譜本は「菊水鉾囃子譜本」。囃子は、通常は口伝えで受け継がれていくが、昔の録音テープと聞き比べると、少しずつ演奏が変化していることに気づき、譜本に残して正確にリズムを伝えるため譜面化することにした。基となったのは1968年に録音したテープなどで、笛の穴の押さえ方や鉦(かね)のたたき方を、丸や三角などの記号を使って示し、パソコンに入力して仕上げた。  譜面化で、打楽器の鉦(かね)と太鼓はリズムが同じだが、笛だけはリズムにずれが生じることが多いこと分かった。川塚さんは「3つの楽器がそろわず、自由度の高い笛だけがずれていることが、かえって祇園囃子の心地よさを醸しているのだろう」と分析している。

譜本は非売品で250冊作成し、囃子方に貸与して練習の参考にしてもらうという。

Kyoto Shimbun News 2005年7月8日(金) より 上右の譜本の写真は会場にて撮影しました。

写真・構成・文:Shokan Fujimo

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