仏教関係者が京都に集う会

平成24年(2012年)4月例会報告

ゲストスピーチ 菅原文子さん

開催日:2012年04月13日(降誕会例会)

4月になり、年度が新しくなりました。お釈迦さまのご誕生を讃える集いです。
「如実に描く」などと使われる如実とは、あるがままの姿ということです。
しかし、あるがままの真実を知ることなど、私達凡人には出来る話ではありません。
私達はついつい、自分の目線で物事を見てしまいます。自分の都合のよいように考えてしまいます。
例えば、子供の時には幅の広い川と思った同じ川が、大人になると、飛び越えられるような狭い川に変わってしまいます。
偏らない見方・考え方をすることは、とても大切です。
かなわないまでも、仏様に倣って、できるだけ有りの儘の姿・真実・真如に近づく努力をしたいものです。
今月はゲストスピーチ。
気仙沼市より菅原文子さんをお招きして、大震災のご経験をお話しいただきます。

(※例会案内ハガキより)

松浦俊海副会長開会の挨拶

森会長が遅れて到着との連絡を受け、代わりに副会長の松浦俊海師が挨拶された。

誕生会例会ということで、自分の寺にも幼稚園があって、今年の花祭は、日曜日に重なり、6日に執り行ないましおた。この仏教クラブでも50周年記念事業として、仏教の色濃いこの京の町に市民参加の花祭がないので、運営委員会では、今、何か花祭らしい行事ができないかと考えている。また具体的なことが決まれば、その時は会員の皆さんにもご協力願いたいと挨拶され、続いて今日のゲストスピーカーの気仙沼からおいで頂いた菅原文子さんをご紹介され、一年以上も前に起こった不幸な出来事ではあるが、貴重なご経験がお聞かせいただけると思います。まだまだ復興が始まったばかりで、昨日起こった京都東山の不幸な交通事故も絡めて、不幸な出来事の因果関係は計り知れないが、我々仏教者は復興に協力を惜しまない覚悟があるとの想いを明らかにされた。

新入会員が2名出席されているので、その紹介と、副会長より会員バッジの贈呈があった。以下お二人のご挨拶

本多隆朗師(浄土真宗本願寺派 称名寺住職 宗会議員 元毎日放送プロデューサー)
この会には、浄土真宗本願寺派の方がおられないと聞いて、大変寂しい思いでこさせて頂きましたら興正派の方もご入会ということで、たいへん心強く思っております。私は副会長の若林様、会員の河原様にご紹介頂きました。本山の総務部で働き、現在宗会議員をしていますが、何よりも、地元のKBS京都ラジオで毎週日曜日の朝10年間番組をやらせて頂いており、この中にも何人かご出演頂いた方がお出でになります。これを機会にさらにこの会からもご出演頂ければよいなぁと思っております。

津田正慎師(真宗興正派 光明寺住職 真宗興正派宗務所 財務部担当 参務)
真宗興正派宗務所で 参務をさせて頂いております。自坊は草津にある光明寺です。日頃は奉仕活動に明け暮れております。この4月から滋賀県のある奉氏団体の主なる役を仰せつかりましたが、この例会に出席させていただくには時間的な問題がないと思いましたので入会させて頂きました。諸先輩方のご指導を承りますようよろしく御願い申し上げます。

降誕会灌仏
お釈迦様の降誕会ということで、中央席の代表が順に灌仏(仏像(誕生仏)に甘茶等、香水(コウズイ)を注ぎかけることを)された。

森 清範会長 開会の挨拶

灌仏の終わりごろ会長がお見えになったので、さっそく一言挨拶を求められ、挨拶をされた。
お祝いの会があって遅れられたそうで、皆に謝っておられた。

今日は、講師の先生が気仙沼から起こし頂いているとのこと、遠いところからありがとうございます。え~、まだこれからでしょう?と、ゲストスピーチの菅原文子さんに向かって話しかけられ、会場を笑わせた。
突然の挨拶ということで、ちょっとお考えになった後、被災直後のCMを思い出したと、そのお話を始められた。
あの時、その被災された方々の心境を配慮し、CMを流さなかったですね。
「心」は見えないけども、「心遣い」は見える。で・・・、「思い」は見えないけども「思いやり」は見える。というメッセージが流れましたね。
私、あれ聞いてねぇ、どうもあれおかしい、日本人おかしい・・・と、思っていたんです。
心は見える。思いも見える。というのが日本の文化と違うのかと、その時つくづく思ったのを覚えております。
で・・・、宗教には、信じる風土と、感じる風土がありますが、仏教は信じる宗教ではなく感じる風土なんですね。
神を感じ、仏を感じるという直感的なものがあると思います。
ですから、今日講師の先生のお話をお聞かせていただいて、どういうことを感じるのか、ということが極めて重大なことやと思っております。
ということで、今日は遅れてきてスミマセンでした。

 

まげねぇぞ気仙沼!

気仙沼の「すがとよ酒店」 菅原文子様

今月は、ゲストスピーカーとして気仙沼からお越し頂いた「すがとよ酒店」の菅原文子さんにお話をお聞きしました。
P1020425
『すがとよ酒店』
sugawarafumiko今回お話をしていただけたのは、気仙沼で90年酒屋さんを営む「すがとよ酒店」現店主(長男)のお母様、菅原文子さん62歳。
今日は、このような大切な場でお話させていただけ、皆様のご加護をいただきましてほんとうにありがたく心より感謝しております。

気仙沼の中心部が津波に飲み込まれる映像を10分ほど見せていただいた後、お話を始められました。

彼女は、この津波で、ご主人とそのご両親の3人を失いました。そして15年間毎晩のように抱いて寝ておりました「猫のクロも一緒に失ない、四人の家族を同時に失った思いです。」と最初に語られました。

2011年3月11日の大地震と大津波に店舗兼住居は被害にあいましたが、平成元年に立て直したばかりの家でしたので、地震にはある程度耐えましたが、津波では全壊しました。でも、流されはしなかったようです。

大地震の直後、家にいたご主人は一階の倉庫に行って、その日に予定していた「御酒を飲む会」の為に仕入れておいた『酒』が、津波で浸水しても流れ出ないようにシャッターを閉めたり、整理をされていたそうです。
彼女は、ご主人のご両親とお隣の千葉さんという方とお店の2階に非難していましたが水が迫って来る音を聞いて、下に居る夫を助けようと、途中まで浸水していた2階の階段からご主人を見つけ、上がってこようとする夫に手を伸ばしました。
一瞬、ご主人の手を掴みましたが、流れが強くてその手が離れ、ご主人は濁流に飲み込まれたそうです。その時、ご主人の被っていた帽子が濁流の上に飛んだそうです。
それが最後の別れとなり、まだご主人は見つかっていないそうです。

二階まで浸水した濁流は二階に居た92歳の義父と89歳の義母を飲み込み、逃げる術もなく亡くなったそうです。
義父に「自分はいいから行け行け」と指図され、彼女は命からがら、一緒に居た千葉さんと、雪が舞う冷たい物干しの屋根に登って難を避けようとしたそうです。
ぎりぎりまで濁流が襲い、目の前の商店街の通りを大きなマグロ船に曳かれるようにご近所にあったレストランが流されて行くのを目の当たりにされたそうです。

その後、どのくらい経ったか記憶がなかったそうですが、物干しの屋根につかまっているお二人は、周り一面工場から漏れたオイルが燃える炎や爆発音に怯え、自分たちの方に来るのかと一旦は覚悟したそうですが、なぜか涙も出なくて妙に冷静で、冷たく光る月が、いっそう綺麗だったのを覚えていると言っておられたのが印象的です。
やがて、その濁流も引き潮時には、ましになり、二階の部屋に戻り、ご両親の亡くなられたのを確認し、また物干しに戻って救助を待ったそうです。
部屋から持ち出したラジオでは、もう直ぐ夜明けだから頑張って!と呼びかけていたそうで、力を貰ったと言っておられました。

そのうちその炎も遠のき、明るくなった朝には地元の新聞社のヘリコプターが飛び、救助を待つ自分たちを写真に納めていたことを、被災後の九月に知ったそうです。

その日の夕方には、自分の家族を非難させていた次男の救出もあり、なんとか助かったそうです。
その時息子さんに、「ゴメン、生きているのは私だけだよ」というと、「お母さんが生きているだけでも奇跡だ!」と抱きしめてくれたそうです。

生き残ったお隣の千葉さんと一緒に、ずぶぬれの体で、次男について、膝まである濁流の中、必死で流されないように歩き、小高い丘のお得意さんの家まで何時間かかかって非難できたそうです。そのころには、すでに日が暮れていたそうです。

数人の他の避難者と共に、その家人に手厚く保護され、電気が切れていたこともあり、冷えた体を布団に入れると、皆さんの足の体温で暖まり、人の心の温かみと体温の温かみに触れたことを、しみじみと言っておられました。

次の日の朝、次男が軽トラで迎えに来てくれ、長男のお嫁さんの実家に非難されたそうです。
3月18日には、亡くなったご両親も遺体安置所に運んで頂けましたが、ガソリンがなくて遺体確認にいけなかったそうです。
数日後、なんとか、友人に車を借りて確認に行くと、ビニール袋に入れられた遺体がたくさん並んでいたそうです。
その中には、津波が襲って来る最後まで交通の整理をしていた若者の遺体もあり、息子たちと、そのりっぱな青年に手を合わせたそうです。
彼には生まれたての子供がいたそうです・・・。
義理のご両親は家の中でお亡くなりになったので、幸い遺体は痛んでいなかったので、すぐに確認できたそうです。

3月25日には、地元の火葬場が混んでいたので、岩手県の火葬場でご両親の火葬を御願いし、お寺には、あの方が、あの奥様が、あのご主人が・・・と、毎日「お骨の壷」が増えていったそうです。
涙を浮かべながらお話されるその様子に、その最悪の日の生々しいリアルな惨状が会場の全員に伝わっていました。

しかし、彼女とその息子たちは強いのです。商魂たくましいのです。

平成元年に立て直したばかりの家の借金の返済が気になったので、借りた金融公庫に電話をされたそうです。
電話の主は。「文子さん、今はお金を返すことは考えなくてもいいから、今生きることを考えて下さい。そして、お得意さんも居なくなったし、別に生きる道を選んだらどうですか?」と言われたそうです。

その時、彼女は、自分の生きる道とはいったい何だろう・・・と考えましたが、やはり、自分の生きる道とは、ご主人と一緒に36年間続けてきた『商い』しかないと思うようになったそうです。

4月23日には、建設会社の社長さんのご好意で3坪のプレハブの仮店舗をお借りすることができ、そして、その隣にテントを張り、残った息子たち2人と自分とで酒の販売を再開することにしました。あるのは前向きの想いだけだったそうです。

当時、気仙沼ではそんなに早く再開したお店はなかったので、マスコミに注目して貰い、全国紙の記事にもして頂いたそうです。
おかげで京都在住の支援者、田中さんにもご縁を結び、物心共に支援を頂いたそうです。

ご主人が、シャッターを閉めて必死の思いで守った酒100本あまりは、あっという間に売り切れたそうです。

5月のゴールデンウィーク頃には、「負けねぇぞ気仙沼」というラベルを作り、地元気仙沼の地酒に貼った。
「復興はこの手で」という思いを込めて書いたというそのラベルは、書道を嗜んでおられたと思うのですが、彼女の筆によるものだそうです。
その後も、余計なことは考えず、3代目「すがとよ酒店」店主の妻として一心不乱に働いたそうです。
その酒は、全国の心ある人たちや地酒のファンから支持・支援も得て、本日ご入会された本田先生がパーソナリティを勤められるラジオに出演されたり、「震災復興祈願の酒」として広く全国に知られるようになったそうです。

お商売を円滑に進めるために、行くえ不明のご主人のお葬式も6月26日にされ、ご長男が、跡を継ぎました。

マイナスをプラスに変える力のある親子の商魂パワーに脱帽です。

また、彼女は、京都の支援者田中さんに勧められるまま、京都の紙司が募集した「恋文大賞」に応募し、大賞を受賞しました。
未だに行方がわからないご主人に対して、胸中をそのまま手紙に綴りました。
賞を欲しいとか褒められたいとか、そういった気持ちはまったくなく、発表の日まで、応募したことも忘れて商いに無我夢中になっておられたそうです。

11月3日がその授賞式だったそうですが、なんと、ご主人との38回目の結婚記念日だったということです・・・。

あなたへ

「あなたが突然いなくなって五ヶ月と十日
もう五ヶ月 まだ五ヶ月ととても複雑です
あの日忘れようにも忘れられない
東日本大震災が起きました
あなたは迎えに行った私と手を取り合った瞬間
凄じい勢いで波にのまれ私の目の前から消えました
いっ体何処にいってしまいましたか
あの時から私の心はコンクリート詰めになり
山々が新緑に覆われても桜が咲いても
何も感じる事が出来ず声を上げて
泣くことすらも出来ずにおります
(中略)
私が書いたお酒の(負げねえぞ気仙沼)のラベルが
とても好評で多くの方々に買って頂いています
ある方に「これは旦那様が書かせてくれたのよ」と
言われました
私もきっとそうだと思っています
何も言えずに別れてしまったから
ありがとうと伝えたくて切なくて悲しくて
どうしようもないけれど
三十八年間いっ緒にいてくれて仲良くしてくれて
ほんとにありがとう
守ってくれて支えてくれてありがとう
感謝しています
(中略)
願わくは寒くなる前に雪の季節が
来る前にお帰り下さい
何としても帰ってきて下さい
家族みんなで待っています
私はいつものように お店で待っています
只々ひたすら
あなたのお帰り待っています」

お話を伺う前は、お釈迦様のお誕生日を祝う例会に、なぜこんな重い話を・・・と、少々疑問を抱いていたのですが、お話をお聞きしている途中から、これは、ただの被災経験者の告白ではないことに気付きました。
記事中にも触れましたが、この菅原文子さんの体験談は、確かに尋常では考えられない辛いことがありましたが、温かい人の心に触れ、それ等の幾多の苦難を乗り越えて、遺された家族が一丸となって商いをしていくという、ある種、戦後のサクセスストーリーにも似たお話に聞こえました。

そこで、彼女をはじめ、息子さんたちご家族の『マイナスをプラスに変えて行く素養』というのか、『人の温かい支援を受ける人の素養』とでもいうのか、彼等が、持つそのようなものとは何なのかを分析し、考えてみました。

文子さんに備わっていた商人としての大切な素養。それは誠実さ、前向きな発想力、可能性を信じる力、感謝する想い・・・と、文才、字が旨い等
息子さんたちは、彼女の性分を全部兼ね備え、父親の直向な商魂も併せ持ち、経費を必要としない自前でのお店のパンフレット作成技術や編集能力、インターネットによる広報技術等、真心と知恵のバランスが見事にマッチしています。

被災地において、救われない思いでお過ごしの方々がそうであるように、打ちひしがれて、すべてを政府や他人に頼ろうとしています。
自分でも求めるものが何かわからないままその何かを求めていても、何も得られないことは、うすうす感じておられると思います。
菅原文子さんのご家族のように、自分がどう生きたいのか、はっきりビジョンを打ち出し、それに向かって、その実現に向かって、今何をするべきか、何にどんな支援が欲しいのか、この「すがとよ酒店」のご家族のように前向きに鮮明にすることが大切なことと思います。

被災地の皆さんの一日も早い「心の復興」を祈念しております。 負けるな被災者!!  合掌

※募集をされた京都の紙司のサイトから全文はここです。
※会場に配られた彼女が毛筆で書いた恋文全文はここです。
すがとよ酒店のホームページ
※菅原文子さんのメッセージ動画
※ネットで検索すると、彼女の周辺の被災状況の画像がたくさんありました。

真言宗智山派総本山智積院第六十九世化主 阿部龍文師からご提案がありました。

会員の真言宗長者であり真言宗智山派総本山智積院第六十九世化主 阿部龍文師 が久々に出席されたので、復興に関するご提案のお話の後、被災地復興祈念と会の発展を祈念し乾杯した。

乾杯の音頭の前に師から以下の提案が示され、約40冊のパンフレットが配布された。

東北復興のための「遍照構想

1、被災しない新しい村落復興青写真としての「天空村落構想

2、復興資金の捻出法として「Q、Q&Q構想

「天空村落構想」とは、建築家の迫慶一郎氏の「スカイビレッジ構想」とほぼ同じなので、ご参考にリンクしておきます。

http://jp.reuters.com/video/2012/02/17?videoId=230332782&videoChannel=2605
http://pika2.livedoor.biz/archives/3854343.html

なお、これ等について、詳細をお知りになりたい方は、電話03-3705-1622 満願寺 まで

P1020429

P1020430

【灌仏】
お話の後、出席した会員全員が灌仏をし、お祝いの花束を持ち帰った。

写真・構成・文:Shokan Fujimo

PAGETOP
Copyright © 仏教クラブ All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.
Top